7双子

 彼はオブジェの向こう側から、白い外套を翻しながらアルマのいる側へとやってきた。皮肉めいた笑みを浮かべ、仰々しくアルマと相対する。アルマは顔を顰めて、半歩、後退った。腰辺りにぶら下がっている肩掛け鞄が仄かに揺れる。右手が無機質な巨大ドーナツに触れ、その滑らかな質感が脳内へと伝達されてくる。アルマは思わずオブジェに目を遣り、唇を噛み締めた。しかし、柔らかな組織で出来上がった唇の細胞は弱く、痛みですぐに前歯を放した。

 アルマは目の前にいる男を睨みつける。


「久しぶり、と言っても、ほんの数日前の話だったと思うんだけど」


「いえいえ、こちらと向こう側とでは時間軸が違いますからね。あなたの体感した数日間は、私にとっては数百年のように感じられましたよ」


「そのまま永遠に離別できれば良かったのに」


 この数日間、ドーナツを避けに避けてきたアルマは、無機物でもチャンネル切り替えの条件に見合っているという事実を突きつけられ、やるせなさと苛立ちに支配されていた。下手をすれば、輪っかの穴、或いは穴そのものを覗くという行為が発動条件として設定されているのかもしれないという可能性さえ予想でき、アルマは頭を抱えたくなった。


 目の前の男は、嗤うばかり。アルマは溜息を吐いて、一度周囲を見遣った。アルマと男の二人以外は、生物の気配を感じさせない世界。心なしか、以前来た時よりも荒廃しているように見えた。建築物のコンクリートや道路のアスファルトには遠くからでもはっきりと見えるほどにひびが入っており、また、所々砂煙や酸によって浸食されている。しかし、緑の繁殖は皆無であり、このままいけば、終末の一途を辿るように感じられた。

 アルマがここを訪れ、去ってから、まだ数日しか経っていないというのにもかかわらず。男の宣った、「時間軸が違う」という言葉は、あながち間違ってはいないのかも知れなかった。

 アルマは男の方へと視線を戻し、抑揚のない瞳で彼を射抜いた。


「それで、今回は何の用なの?」


「前にも言ったでしょうに」


 彼は薄く笑い、地平線の向こうを指し示す。アルマは訝しがりながらもそちらへと目を向けた。何もない道路の先。広がるのは、灰色の景色。アルマは顔を顰める。


「彼女たちと挨拶する機会。それが、今日です」


 音が聞こえてくる。地を蹴る音。乱れる呼吸音。二人分の足音。アルマは目を細めて遠くを見詰める。そこからは、点々とした真っ白なシルエットが、徐々に大きくなっていく様が見て取れた。次第に鮮明になってくる二つの人影。そのどちらも同じ髪の色、長さ、身長、顔の形をしていた。


「双子……」


 手を繋いだまま、有り得ない速さで駆けてくる二人の少女。彼女らには減速という概念が存在していないのか、はたまたわざとそうしているのか、ぶつかれば交通事故レベルの速さでアルマのもとへと突進してくる。普段から体を鍛えるようなことをしていない一般的な女子高生であるアルマは、咄嗟のことに反応することができずに二人の少女と衝突し、宙へと吹き飛ばされた。彼女はものの見事な弧を描き、硬いアスファルトに向けて落下していく。アルマの中を占める感情は困惑ばかりで、この先起こるだろう事柄へと意識を向ける余裕を持ち合わせてはいなかった。


 不意に、柔らかなものがアルマの背を受け止める。漸く「飛ばされて落ちた」ことを認識したアルマは、彼女を受け止めた人物を見上げた。


「人を助ける程度の良識は持ち合わせているんだ」


「心外ですね。私は至って紳士なのですよ?」


 七色に輝く瞳は、柔和にアルマを映し出す。アルマは眉間に皺を寄せ、すぐに彼の腕から飛び降りた。それまで彼女を抱き上げていた空間を、男、こと選帝侯は暫し眺める。まるで、人の温もりが霧散していく様子を不思議がっているようであった。

 アルマは惚けている選帝侯を無視して、彼女が吹き飛ばされた原因へと意識を向ける。真っ白な双子の少女たちは、興味深そうに目を輝かせながらアルマを見上げていた。


「それで、結局あなたたちは何なの?」


「「天使」」


 重なるソプラノの声。あまりに端的に返答され、アルマはますます眉間に皺を寄せる。それでも双子は天真爛漫に笑みを浮かべ、口々に喋り始めた。


「片翼の天使」

「堕ちた天使」

「呪いの天使」

「悪魔の天使」


 アルマに向けられる楽しげな表情とは裏腹に、その可愛らしい小さな口々から出てくる言葉はあまりにも否定的で、非現実的で、オカルトめいたものであった。アルマの更なる困惑などいざ知らず、双子は言葉を紡ぎ続ける。


「飛べない天使」

「忌み嫌われた天使」

「地を駆ける天使」

「空を捨てた天使」

「動の真を手に入れた天使」

「静の理を手に入れた天使」


「「運動の真理を得た天使」」


 アルマから見て右側にいる少女には左耳に、左側にいる少女には右耳に、それぞれ銀色の細長い雫型のピアスが揺れていた。アルマは無意識に選帝侯を見遣る。彼の右耳では金色の細長い雫型のピアスが、同様にゆらゆらと揺れている。


「真理を得た者の証……?」


「正確には、真理の一部、ですけれども」


 正答した子供を褒めるかの如く、選帝侯はアルマに微笑みかける。アルマは彼から視線を逸らし、宙を見詰めた。苛立ちが募る一方で、自身の好奇心も比例するように膨らんで行く。そのようなままならない自分の感情を、アルマは掻き毟って捨て去りたい思いに駆られた。


 帰りたいと思った。知りたいと思った。帰路を邪魔されたことに苛立った。一体自分に何が起ころうとしているのか気になった。フィルターの向こう側には行きたくなかった。関われば中心地へ引きずり出されるのではないかと邪推した。このまま〝あれ〟を避けていれば、元の生活へ戻れるのではないかと考えた。けれども、既に事の一端に片足を突っ込んでしまっている事実から目を背けることはできそうになかった。ならば、中途半端に突っ込んだまま、傍観していればいいのではないのか。その曖昧な境界線からならば、どちらも眺めていられるのではないのか。


 それはそれは、面白そうだと思った。思ってしまった。それが、人間らしさなのではないかと、遠い記憶の波が囁いてくる。


「選帝侯は」


 と、アルマは口にして、何も映さない瞳を宙に向けたまま続ける。


「選択した事柄が真理になる、特殊例? 歩く真理製造機?」


「一部ですけれど。あなたにはどう足掻いたって、敵いません」


「私は証を持ってないよ?」


 彼は含みのある笑みを浮かべるのみ。アルマは彼の本心を覆い隠しているだろう、その覆いを暴こうとはしなかった。その方が、幾分も面白そうな予感がしたから。不確定要素でしかない未来に、関心の一滴を零すことができそうであったから。だから、何も言わずに笑みを返した。


 それは、無関心を取り払った、不敵な笑みであった。

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