第24話 馬庭念流との試合
文左衛門は騒動が終わり、やれやれとはねを伸ばしお茶を飲んでいた、誰だろう遠くから呼ぶ声がした。
「頼もう申し、紀ノ国屋文左衛門殿はどちらにおわすのか、いざ尋常に勝負されたい?」
「紀文の旦那、是非にも会いたいと申す者が来てますが、若旦那どうしましょうか何なら今すぐにでも追っ払いましょうか?」
「ウウム呼ぶのは、何という御仁かの?」
「へいえぇっと馬庭念流の、本間忠勝様と言っておられてますが」
「はて来て間がないこの江戸に、そんな知り合いは居ませんがねぇ?」
いう間もなく目の前に、眼光鋭い浪人風の見知らぬ侍が現れた、顔に刀傷がある。
「えぇぇ失礼します、お初にお目にかかるあなたが紀ノ国屋文左衛門殿ですね!」
「はい私が紀ノ国屋文左衛門ですが、何か御用向きでも御座りますかな?」
「この度私に一手御指南願いたく、まかり越しました本間忠勝と言うです!」
馬庭念流は関東では有名な古武術で、戦国時代から続く名門であるが、平和となった時代にはその使い手は数えるほどしかいなく柳生流と並ぶいや逸れ以上とも云われていたそして町人までも学んでいる関東では、最近有名な古武術であったのだ。
後年北辰一刀流の開祖、千葉周作が唯一負けた古武術馬庭念流とは如何なる流派か。
島津藩の 薩摩示現流に近い流派と、言えばわかって貰えるかも知れない噂では兎にも角にもその一撃は、鬼気迫る凄まじいものがあるとも聞いていた。
柳生新陰流では稽古に袋竹刀(ふくろしない)を使用していて、人に優しい流派もあったのだが、馬庭念流ではもっぱら昔ながらの木太刀を使用していました、古武道は実戦から産まれたので戦には意外に強いのである。
柳生新陰流と北辰一刀流は、現在の盛んな剣道に近い流派です防具竹刀も使用します。
紀文もどうしようかと少し迷っていたが周りに人々が成り行きを見たいと集まりだしたので、引くに引けなくなってきました。
普通紀文の習った、関口流では宮本武蔵の流れもあって、他流試合をするときは相手の研究を怠らない(敵を知る)が、今は馬庭念流とは如何なる剣か全く知らない。
「それでは一試合だけですが、お手合わせいたしましょうか!」
この試合を受けた時点で、相手の術中に嵌まった事に成る。真剣や木刀を取っての試合では負けは死を意味するのである、紀文は安易に対戦を受けてしまったうかつだった。
「逸れは有り難い木太刀を二振り、御用意いたしましたでは木刀を改めお願います!」
紀文渡された木太刀を見たが、見たところ特に細工はしてなかった。
「では今すぐでも近く広場で、二人でやりましょうか?」
何度も云うが真剣または木剣をとっての試合では、敗北は死を意味する。相手は生き延びる為あらゆる手段弄して迫って来る。竹刀をとっての道場試合とは違って、参りましたなどで済むようなきれい事では済まない。
剣客が試合に臨む時、地形、風向き、日差しなどを最大限利用し、その上色々な罠を設けて勝利を得ようとするのが普通であった。
「してお主の流派は、何で御座ろうかな?」
言いながら紀文を見ている、にやりとしている明らかにこの若造がと、馬鹿にしているような顔であるこの態度も一つの手段です。
「紀州藩留め流の、関口流で御座いす」
「ふうんそうですか、でもあまり関東では聞かない珍しい流派だなぁ?」
「私どもの流派は剣術よりも、柔術に重きを置いていますので剣では無名なのです」
こう言うより他なかった、腕前は確かなのだが相伝印かは受けていないのである。
「そんな事はどうでもよい、関口流では剣の技も有るのだな!」
鷹揚な口調に変わっている、あるいは一つの手かも知れないと思った昔宮本武蔵のよく使った怒らせて正気を失わせる戦法です。
「はい勿論剣技も、御座いますよ!」
それが悪いとも言えない関口流の元成る宮本武蔵において、剣術の他に心の一法として、兵法を盛んに用いて相手の裏をかいたり相手を怒らせたりしていた。その例は佐々木小次郎との戦いで、小次郎敗れたりとなじって心の一法で動揺させた一件は有名です。
その手口を武蔵の残した本や師匠から聞いた話などでよく知っていました。武芸者にとって心の乱れは即勝敗に結び付くのです。勝てば官軍負ければ賊軍として死ぬのだ。
相手の実力も分からず勝負するのは、止めておくべしてあったと思うそれこそ無謀であつたのだ、今更であるがいくまでいくかな。
やはり若気の至りカだな、相場でも勝とうとして打つな負けじと打てがある、強いは避けるべしであった相手が弱ければ負けない。
この頃木刀の試合と云っても現在の剣道の試合ではなく、防具や竹刀(しない)では有りませんので対戦相手しだいで、手加減は無く命に関わる事も有ったいやに焦っていたし。
それに稽古では、寸止めといって身体に当たる前に止める流派が多かったが、他流試合となると勝敗をはっきりさせる為、容赦なく手加減は無しとなっていた狙っていたのか。
真剣での勝負ではないがそれに近いものです、まかり間違えば死ぬか大怪我をいたしますが、勝ったところで何も有りません。
(この試合は大義名分何もない武芸者でもない自分が、なんでとも思ったがもう遅い引くに引けなくなっていました)
人々はまだ二十人ぐらいで、試合に支障はなかった二人して先ず礼をして軍配を一人付ける二人は正眼の構えで対峙した。
「では本気で行きますればそちら様もその覚悟にて、お願い申す後で泣き言言わぬよう」
この試合は昔の剣豪同士が対戦のごとく一対一であったので良かったのです、逸れは相手だけに専念すれば良ったからである。
これがヤクザの出入りであったなら、不特定多数であるので何があるか宮本武蔵のように剣術以外の兵法も必要になって来るのだ。
「はい御口上しかと、賜り心得ました!」
紀文はます関口流でやる事にした、相手は摺り足で声を出してじりじり打ち込み押して来る、紀文は逸れを受けながら後ろに退く強打撃なので受ける手が、しびれてくる連続技で息もつかせぬ。相手はしやに無に打ってくる攻撃は最大の防御と言わんばかりに、守りばかりではいずれ遣られるのだ。
剣術戦いには拍子が有ると、宮本武蔵は常日頃言っていたらしい、拍子とはリズムである相手調子ずかせずに相手の拍子(リズム)を狂わせろという事だなぁ。敵は大きくきたらこちらは細かく丁寧に対応する、相手の豪快な攻撃を受けながら紀文は丁寧に受け、反撃の機会を探っていました。
紀文も打たれる中随所に義経流の、型が現れて反撃に転じ掛けていた。
「ヤァヤァヤァ、きぇぇい!」
そして関口流得意の上段から、全力で一撃する押し切りの方で、ねじ伏せに掛かる薩摩示現流のごとく一撃必殺である。 相手も木刀で受ける(ボキッ)と鈍い音がすると紀文の持っていた木刀が折れた。
にったと相手が笑う、そのとき頭の中で何かがはじけたような気がした、手にはもう何もない。
それを見た相手は、馬庭念流得意の兜割りの秘技で紀文の頭上を襲う、皆は一瞬目を伏せた紀文が頭割られやられたと思ったのだ。
気がつくと紀文の合気無刀取りが決まってる、そのままの状態で身体を捻ると相手は横に吹っ飛んだ、まあ合気も武田大東流なら元を辿れば義経流かも知れませんがねぇ。
「おお参りました 、 流石にお見事です!」
場内は沈黙した。しばらくして拍手が沸き起こった。その様子をひっそりと見ていた者がいた。そうあの奈良屋茂左衛門である、何とも諦めの悪い男ですなそしてまた消えた。
憎まれ子世にはばかると昔の人は言ってますが、今回も悪知恵働かせてこの試合を仕組んだようです、人の縁とか運は逃れようとして、絡む宿命もあるようですね。
「本間殿これで宜しいですかな」
「見事な技見せてもらい、誠にありがとうございました、はいとても未熟な私には勉強になり申した!」
礼を述べ頭下げると、悪びれずそそくさとその場を後にした。
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