第4話 根来忍術、超能力、千年の歴史

「腹膨れたし、小吉また相撲でもやるか」

 小猿と相撲を取る(うーん今日は少し試しに、少しだけ合気技を試してみるかな?)

「えい、やあ、とおぅ!」

 先ずは試しに関口流の技を、小猿に掛けてみました。

「あちゃ-!」

 続いて合気術も掛けてみたが、すばしっこくてスルリと技を外される。

「うむ、矢張り猿には効かねえのかなぁ?」

すると猿は反撃し、文兵衛に覆い被さって来ましたその反動で後ろに倒れ掛けた、その時に頭の中で何かがはじける、おかしなことに猿の動きが、妙にゆっくりとした動きに見えました、あれおかしいなどうしたんだろうか、いったいどうなったのだろう。

「とうりや-、きっえぇい!」

 一瞬にして猿は、後ろにぶっ飛んだ。

「あっしもた、手元が狂ってしまったこれは少しやりすぎたかな!」

 見ると仰向けに泡吹いて痙攣している、小猿は気が付き文兵衛を睨みつける。(これはあの仙人習った、技のおかげなのかなぁ?)

 それから小猿は来ない、合気柔術を得たが猿の友を失ったのだ、悔やんでももう遅い気落ちして、めしも喉とうらずとなりました。

此処で合気について、少し述べたいと思う。現在合気は二派あって一つは大東流合気術であるが、剣術との戦いが多い中負ければ即座に死ぬ為早く直線的に攻撃した。

 もう一つは柔らでの対戦で、円の動きを大事にしゆるりと相手をあしらうものである。どちらがよいとは言えないが、この頃の合気とは、大東流合気術の事であったのだ。

 文兵衛は何事でも考えるより、行動が先になるようであった。

いつものように修験者の林長五郎は、練習相手に文兵衛を訪ねて来て一汗かいた。

「今日はいつもより技の切れが違うな、なかなか良くなったそれは猿のおかげかのう?」

「あれれ林長五郎師匠は、その事を知っていたんですか?」

「あれだけ派手にしてたら、誰でも気がつくもんだよ! 今日は趣向変えて御堂に行き修験道の勉強でもするかの?」 

「はい私も前々から不思議に思っていました、其れではご教授をお願いします?」

そして二人は連れだって、近くの護摩堂まで歩いて行った。 

「修験道は神道と山岳信仰及び仏教とは密接な関わり合いを持っているのだ、世の中には人智では測れない不思議な事がある、そんな時神や仏にすがるのである」

「はいではここの神社と同じく、神仏習合で御座りますかねぇ?」

「うむ特に紀州は空海によって開かれた、密教系寺院の高野山もある事から、このところとみに修験道は盛んである」

「それが根来忍者と、どういう関係があるのでしょうか?」

「空海より前に、大坂の葛城山に役の行者という仙人がいて、修験者や忍者の開祖と、いわれていて呪術も得意だったそうだが、役の行者以前にも忍者はいたが、特に優れた仙人であったので、弟子も多くいて以降は伊賀忍者の開祖ともされているので、忍者全体そう根来とも関係深くある!」

「逸れは怖い、呪いの術ですか?」

「呪術としているが実際は祈りの術で、運の動向もしくは読心術や先読みの術であったそうだな?」

「へぇ運ですか? それは全くつかみ所の無いものですよねぇ」

「修験道では、宇宙(自然)を神と崇める、その動きに(予兆)よって予知し、今後の自らの行動に生かす!」

「どこでその(予兆)掴むのですか?」

「自然の中で滝に打たれたりして、自然と一体となり無我夢中のうちに、自然の声なるをを心にて聴くのだ……」

「それは自然がどのように、語りかけてくるのですか人の声としてですか?」

「ウムそれは、感じるのだ神は自然そのものだから、自然より宇宙の神の声を聞き答えを得るのです」

「滝に打たれ瞑想してですか、それは私にも出来ますでしょうか?」

「修行して、その才能に目覚めればなぁ? けれど逸れはいつとは言え無い」

「昔から神は鬼とも、例え等れますね!」

「ウム見えぬものでのう、宇宙の果ては見えぬように神も鬼も全く見えぬでのう」

「では自然とは、宇宙ですか?」

「宇宙の運行により、世の中や自分の運を占って、まずは兆しや予告めいたものを掴んだらしい」

「運とはいったい何なのでしょう、自然の運には逆らいようがないし、自分で操作しようがないし、時のなすがまま自らを委ねるしか無いのでしょうか?」

文兵衛は無中で話に没頭していた。

「ある程度は変えられると思う故に神にすがるのであるが、個々にはその人の持つ気であろうと思う!」

「えっ人の気持ちですか、そう言えば昔の人はよく言いますよね病は気からと!」

師匠は哲学的問答に、よく答えてくれる。

「そうだ気は大事である、弱気・病気・強気・正気・運気・合気などみな気が関わっているのである、だから多少なら自分の力でどうにか成りそうに思えるのだが?」

「逸れで修験道では座禅し、リラックスして自らの気の巡りを良くするのですね」

「役行者は逸れを最も得意とした、気の持ちようで人の病気も運気も良くなるのだ!」

「 その人役行者(仙人)は本当に、世の中に実在したのですか?」

「今は伝説となっているが、現実に修験者も忍者もいるから、いたのであろうな、我が根来忍者と伊賀忍者もしくは真田忍者は、元祖は役行者としているが、本当は物部氏の活躍した時代から、いたそうだがぇぇと鷹巣一族だったかな山河一族だったかな?」

「ではかなり古いのですねぇ?」

聖徳太子がしのび(忍者)を用いたと文に書き残しているので、千年の歴史があると言えようか。

「そうじゃ、その時仙人術と忍術とに別れた仙術は超能力で、忍術は手品と同じで種が有るのだ!」

「では私の学んでいる忍術は、すべて種が有るのですか?」

「そうだ! それに体術を加えたものが忍法なのだ、種を知れば相手に勝てる可能性あるのだ」

「勝には敵を知れですね……超能力の本はないのですか?」

「逸れは儂も見たことはない、仙術(超能力)は言わば神の力だ。仙術を懸命にやると、科学や道理に元ずいた忍術がお留守になり、忍者で無くなるので程ほどにせねばなあ!」

「超能力は神の力ですか、逸れは大き過ぎて私にはあまりぴんと実感出来ませんがね」

「地球の自然も儂らには大きくて、解らないことが多い地球は奇跡の星なのじゃ、石ころや岩も何億年も歴史があるそれで崇めてる」

火があついのか、汗が次々と噴いて出てくる。

「私にはただの石ころや、単なる岩ですがね!」

「そう思う者には、そうで有ろういわしの頭も信心からと申すでのう、そう思えは中々自然の声は聞こえて来ないだろうがな」

 ごまを焚きながら、続けて言うその顔つきは鬼のように赤い。

「そういえば塚原ト伝や宮本武蔵や上泉伊勢守にしても、剣豪と云われる人はかなり長期間山に籠もって修業していますね、山に何か有るのでしょうか?」

「自然の神が住んでおわすのじゃ剣の神も居るのだろう、逸れで剣豪達はその神に就いて技を練り超能力を得たのであろう」

「えっ超能力ですかそれは山に籠もって、そんなに簡単に得られるものなのですか?」

超能力と久しぶりに聞いたので俄然興味が沸いてきた。自分も神社で不思議体験し合気を習得したのに。

最近では空手家で極真会を開いた大山増達翁が、宮本武蔵を見習って山に籠もった話しは有名である。

「この世の中には真理や道理があって、例えば表と裏があるそして善人と悪人がいる、なるべくなら悪人とは会いたくないが」













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