第24話 香夜とモグ子

「ふい~」

 ヤマダは家に帰って腹筋をしている。腕立て伏せに腹筋。ジムに通わなくても体は鍛えられる。おっさんになると体は自然に衰える。これは年齢的なものもあるが、体を動かすことが億劫になることが原因だ。

 おっさんは動かないから体が弛む。そして、その状況で若い時と同じ食生活をする。間違いなく太る。そして余計に動かなくなるのだ。

「その様子だと、勇者へのアプローチはうまくいっているようじゃな」

 すうっと出てきたのは地縛霊の香夜。幽霊だけど話し相手ができてヤマダの心は和む。そしてこの地縛霊はヤマダの恋愛の師匠でもあるのだ。

「いや、そちらは危なく死ぬところだった」

 ヤマダはそう香夜に話す。チョコがわざと間違えてヤマダを試したこと。間違えれば即殺されてしまう緊張感の中で仕事をしたことをだ。

「ふ~む。なるほど……お前はものすごい職場で働いているのじゃな……」

「ものすごいどころじゃない。緊張で胃に穴があきそうだ」

「緊張感はおっさんを鍛えるものじゃ」

 香夜の言葉はヤマダの心にすっと落ちていく。そうなのだ。おっさんがおっさんになってしまうのは、安楽な生活に慣れてしまうから。どうでもよくなった時にだらしなくなるからダメなのだ。

 トイレで小をするときについ屁が出てしまうのも体に緊張感がないから。大きな音を立てて痰の絡みを取る行為もそうだ。人が思わず顔をしかめる行為は、緊張感のなさからくることが多い。

「バイトも体を使うから、体を鍛えないとな」

 ヤマダはノルマである100回目の腹筋を終える。そして井戸水で汲んだ水を飲む。人心地してから、先ほど仕込んでいおいた鍋の出来具合を見る。鶏肉を入れて煮込んだ野菜スープである。

 野菜はバイト先から調達。鶏肉は町で仕入れた。今日のヤマダの活躍で安く手に入ったのであるが、それは別に買った大きなパンもチーズも同じである。今日の出来事で、ヤマダは一躍有名人になってしまった。

 これはプラスではあるが、少しだけ心が痛いことも確かだ。人間に好意的に受け入れられたとしても、ヤマダは魔界から派遣されたという事実は変えられないからだ。

 ヤマダの任務である女勇者チョコにプロポって、専業主婦にしてしまう作戦が成功すれば、魔界の侵略が開始され、再び人間たちは恐怖のどん底に陥ってしまうからだ。

ゴソゴソ……。ガタガタ……。

 聴き慣れた音がする。床の穴から間抜けなモグラの帽子を被った女の子が現れた。モグ子である。魔王に報告に行くと言って一時、魔界へ帰っていたのだが、またやってきたようだ。

 このモグ子、足がうっすらと消えている香夜を見て驚いた。

「うわぱぱぱぱっ!」

 変な声を上げて再び、穴へ転げ落ちた。香夜の方も驚いた。床の穴から突如出てきた変な生物に幽霊も驚くらしい。

「なんじゃ、こいつは?」

 再び、そっと顔を出したモグ子を指差して、幽霊の香夜はヤマダに尋ねた。ヤマダはモグ子を香夜に紹介する。

「そういうことでモグか……それにしても……」

 モグ子の目は汚いものを見ているような感じである。もちろん、その対象はヤマダである。

「こんな幼女を家に囲うとは犯罪者でモグ。すぐに警察を呼ぶでモグ」

「おい、待て。モグ子」

「近寄らないでモグ。変態が感染るでモグ」

「香夜は幽霊だ。地縛霊なんだよ」

「関係ないでモグ」

「年齢は180歳。つまり典型的なロリババア」

「ばばあ……?」

 モグ子は香夜の頭のてっぺんから消えている足までをじっと見ている。そして、ふっと笑った。相変わらず失礼な奴である。

「ばばあと同棲とは、やっぱり変態でモグ」

「モグ子~」

 ヤマダはモグ子の両ほっぺたをつねって、そのまま持ち上げる。だらっと体を弛緩させて持ち上げられるモグ子。

「ひたい……で……モグうううっ……」

「無礼な改造人間じゃな」

「師匠、コイツのことは無視してください」

「おっさんにとり憑いてもいいことはないでモグ」

 ヤマダは無言でモグ子の頭にチョップをかます。それを見た香夜は(くくく……)と笑った。

「お前たち、お似合いのコンビじゃないか。ケケッ……」

「師匠、コイツと組まされる俺の苦労をわかってくれ」

「そうじゃのう……」

 香夜はそう言ってモグ子にここへ来た理由を尋ねた。モグ子はいつも、肝心な用事を後回しにしてしまうことがある。本当に残念な子なのだ。

「よく聞いてくれたでモグ」

「どうせ、ろくなもんじゃないだろう」

「魔王さまが勇者チョコ抹殺のために、ものすごく強い助っ人を派遣すると仰っていたでモグ」

「も、ものすごく強い?」

 これは話が違う。魔界は無敵の勇者に業を煮やして、ヤマダたちを派遣したはずだ。その作戦はほぼ失敗に終わったとはいえ、まだヤマダが残っている。一応、勇者パーティに潜りこんで作戦実行中である。

(まあ……冷静に考えれば、作戦変更するのも当然の判断だろうなあ……)

 ヤマダが魔王でも別の作戦に変更する。

「魔王様も恐れる、古代竜ゴールド・サックスが目覚め、勇者を退治すると宣言したそうでモグ」

(なんだ、そのアメリカの金融関連会社に似たようなネーミングのドラゴンは……)

「ちなみにこのドラゴン、お金をしこたま稼いでいて大金持ちでモグ」

(そりゃ、そうだわな。そのネーミングで金持ってなかったら笑うわ!)

「そうか。それはよかった。それじゃ、俺はもうお払い箱というわけだな」

 ヤマダは自分の今後を考えた。勇者を実力で倒すというなら、ヤマダの役割は失われたと言っていい。下手に勇者と一緒に行動すると、そのゴールド・サックスとかいうドラゴンの攻撃に巻き込まれること疑いない。

「それは困ったことになったのじゃ……」

 そう香夜は本当に困ったような顔をして、腕組みをした。その顔には話題になっているドラゴンについて知っていると書いてある。

「香夜、何が困ったというの?」

 ヤマダは一応聞いてみた。

「決まっておるのじゃ。そのドラゴンが暴れれば、こんな町は一瞬で灰になるのじゃ。そうなれば、この丸木小屋も燃えてしまうじゃろう。そうなれば……」

「師匠も消えてしまう?」

「いや、別のところで暮らすしかないのじゃ」

(おい、あんた地縛霊じゃないんかよ!)

 心の中で思わず突っ込んだヤマダを無視して、香夜は続ける。

「我はよいとして、町の人たちが多く死ぬことになる。この件については我は心を痛めるのじゃ」

(なるほど、そういうことか。師匠は幽霊だが魔界とは関係がない。どちらかというと、人間の味方なんだな)

 そうヤマダは解釈した。それはヤマダも同じだ。自分のような改造人間を偏見なく受け入れてくれる町の人をヤマダは好意的に見ている。情が移ってしまったとも言える。そんな町の人がドラゴンブレスで焼かれるのは嬉しくない。

「でも、あの女勇者ならドラゴンでも一撃でしょ?」

 ヤマダはそう言ってみた。勇者チョコは無敵である。あらゆる魔法を使いこなし、その剣技は一級品。愛剣の『デ・リート』は魂まで素粒子分解する極悪な魔法剣である。

「そうでもないのじゃ。ドラゴンでも古代竜となると別格。奴らは魔法を、無効化する結界を常時発動する。そして硬いウロコは人間の作った武器を受け付けない。勇者の持つ剣『デ・リート』は息を止めた時にしか素粒子分解を発動しない。巨大なドラゴンを瞬殺しない限り、その効果は発生しないのじゃ」

「マジ?」

 そうなると勇者といえど苦戦が予想される。そしてドラゴンの攻撃力は侮れない。勇者といっても生身の人間。魔法防御や防具でダメージを防ぐとは言え、強烈な一撃や高熱のブレスを受ければ無事ではないだろう。

 ヤマダは少し女勇者チョコが気の毒に思った。確かに魔族にとっては最強で最凶な存在であるが、人間にとっては救世主なのだ。それに女性である。一緒の部屋で仕事したということがヤマダに情を感じさせたのかもしれない。だが、即座に首を横に振った。

(いやいや、これは午前中に殺されるかもしれないと思って、ドキドキして同じ部屋で仕事をしたせいだ。いわゆる吊り橋効果って奴だ)

 その時、ドンドンと丸木小屋の扉が叩かれた。その音で香夜はすうっと姿を消した。何かを感じ取ったらしい。ヤマダは恐る恐る扉を開ける。

 開けたとたん、その扉が強烈な力で押された。扉に手をかけていたヤマダは扉に押されて後ろへ転がった。

「モグ子よ、ウサギ男の住んでいる小屋はここでいいのか?」

 入ってきたのは身長2mは超えるかという大男。赤毛のもじゃもじゃ頭に頬から口、あごまで繋がった赤い髭。まるでバーバリアン戦士といった風情の大男である。

 服装はなんの革かわからない赤地の革の服。全身が赤い。転がったヤマダは恐る恐る立ち上がった。縮こまっているモグ子の様子を伺えば、この大男が誰なのか、おおよそ予想できる。

「あ、あの……あなた様は?」

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