二十二話 近くにいて、遠くに離れて
病室から場所を移した俺達は、礼拝堂と併設された古びた寄宿舎に居た。白い病室と比べると温かい暖炉の火が照らす談話室は、過剰な程の暖かさだ。オリワスは揺り椅子に座り、起きているのか眠っているのかも分からない程微動だにしない。俺は仕方なく手持ち無沙汰に用意された温かい飲み物に手を伸ばし一口啜る。
「……体の芯からほかほかしてくるな」
「摩り下ろしたジンジャーと蜂蜜、シナモンをお湯で溶いたものでね。今時期は聖地ではよく飲まれてるものだよ。美味しいでしょ」
なるほど
しかし、待てどくらせどオリワスは最初の一言を放ったまま、口を開こうともしない。いい加減痺れを切らした頃。ゆっくりと老婆は瞼を開いた。
「ふむ……。冷えた体に活力が戻ったようだね。それで何を知りたい?」
なるほど、聞きたいことがあれば直接聞けということらしい。一から十まで全て説明されるのかと身構えていたが、それならそれで要点を簡潔に引き出せる。
もちろん、最初に尋ねることは決まっていた。
「単刀直入に聞く。シエラはどこに?」
迷いもせずに発した俺の問いにオリワスは少しだけ驚いた素振りを見せる。が、それも一瞬のこと。相変わらず何を考えているか読めない無表情に、薄く微笑を浮かべた。
「最初に訊くことが今代の聖女の行方とは。余程お前に取っては大切な人なのだな」
「勘違いするな。そりゃ、あの子は俺の元弟子で人一倍思い入れは強いけど。じゃなくて! 本当に何処にいるんだよ?」
「グラナさん!? 落ち着いて!?」
椅子から立ち上がり老婆に詰め寄る俺にアルクスが待ったをかけた。これまで散々思わせな振りな言葉に惑わされ続けたがそれも我慢の限界だ。ここまで所在が分からなければ、当然何かに巻き込まれた可能性が高い。レイ枢機卿からの依頼を引き受けたのも、聖地に戻ったあの子を案じたからだ。次期教皇を決めるコンクラーヴェ、そして大聖別の試練。
これまでの経緯を振り返れば、各地で騒動を巻き起こしてきたアルケーがこの機会を狙わない訳が無い。
確証は無いがおそらく聖地にも空想元素が隠されている可能性は否めない。
何故なら、聖女の伝承に於いても旅の途中に立ち寄った地として伝えられているからだ。
「————すまぬが、我にも今代の聖女の居場所は分からぬ」
「な……?」
あっさりとシエラの行方を、知らないと告げられたことに驚愕を隠せない。原初の精霊でも居場所が分からない? 本当にあの子は……シエラは何処に消えたんだ……?
「どういうことだよ……。だって、聖地に来る途中に寄った岩屋の宿で、あの子が宿泊した証拠だって————」
「ふむ、元素術師よ。つかぬことを聞くが、今代の聖女が聖地に向かったと確証があるのか?」
「当たり前だろ! 本人から直接聞いてるんだ。次期教皇を目指す為に聖地に戻るって」
「グラナさん……」
何がどうしてこうなったのか。必死に理解しようとしたが駄目だった。これだけ探してもいないどころか、聖地にあの子が居るという痕跡すら無い。あの子と過ごした日々そのものが急速に色褪せていく。今まで育んできた絆も、師としてあの子を見守ってきたという自負も、何もかも。
「頼む……婆さん。精霊の力でも何でも使ってあの子の、シエラの居場所を教えてくれ!」
気付けば床に膝を突いて、必死に頭を下げていた。重苦しい沈黙に混じる暖炉の薪がパチパチと火花を散らす音。
パチパチ。パチパチ。
音がなる度、あの子との思い出が泡のように浮かんでは弾けて消える。信じたくも無い最悪の想像。
どれくらい、そうしていただろう。恐る恐る顔を上げれば、揺り椅子から立ち上がった原初の精霊の透き通る水晶の瞳が俺を真っ直ぐ見下ろしていた。
「名代よ。そろそろ真実をこの者に語るべき時ではないかな」
「それは……」
「元素術師にクロイツの病状を知らせたこと。決して情にほだされたから、という訳でもあるまい。今代の聖女の身に起きた異変。解決するには我らだけの手には余る。それが元素術の過剰な行使が原因とあれば尚更ではないか?」
「……分かりました。オリワス様がそこまで仰るのであれば」
そう言ってアルクスは胸元から見慣れたとある物を取り出した。象牙色に磨き込まれた七色石のロザリオ。結ばれた紐に飾られたテロルの花飾りから、あの子のものであることが一目で分かる。
「なんで、それをアルクスが?」
「今まで黙っていてごめんなさい、グラナさん。————大切なお弟子さんの身体を、間借りさせてもらうことになってしまって」
「…………え」
意味が分からない。アルクスが何を言っているのか全く理解が出来ない。彼が異性と見間違う程の美少年であることは分かる。確かに親族だけあってシエラとよく似た面影もある。けど————身体を間借りさせて貰ってるとは。
「どういうこと……だ?」
「白状すると僕は既に亡くなった者だ。クロイツ教皇猊下を襲った賊に、心臓を貫かれてね」
そして彼は語りだした。命を落とした瞬間のこと。しかし肉体から魂が離れようとも、天に召されることも無く聖地に留まったことを。
「未練……だったんだと思う。従姉妹の唯一の片親を守りきれず、名代としての役割も果たせず、この世を去ることになったから」
「それで、お前はシエラに取り憑いたのか?」
「そうでもしなければ、今代の聖女の身が持たなかった。過剰な元素術の行使により、あの子の身体は生命維持すらままならなかったのだ」
岩屋の宿屋の少女からも聞いた雨乞いの結果。確かに雨は降った。
しかし、身の丈に合わないエーテルの行使量は、あの子の身に危機を齎した。
「エーテル欠乏症を発症しておった。肺から新鮮なエーテルが取り込めなくなって、一時は生死の堺を彷徨っていた。神殿医でも匙を投げる病状だ。しかし、クロイツの愛娘を死なせるわけにもいかぬでな。そこで————」
「亡くなったこと自体が、聖地のプルゥエル家にも伏せられていた僕の魂をオリワス様が使って、新鮮なエーテルを取り込めるようにしたんだ。精霊と邂逅したことがあるグラナさんなら、この意味分かるでしょ?」
「精霊……いや生物に宿る魂は高密度のエーテルの塊だから————ということか?」
「正解。本来なら彼女のエーテル摂取機能を回復出来た時点で僕の役目は終わったはず、だったんだけどね。この子の意識が目覚めなかった。だから、止むを得ず僕がこの子の身体を使わせてもらってる。————今話したことはカインも知ってることだよ」
シエラの身に起きた一部始終を語り終え、アルクスは肩の力が抜けたように椅子に座った。ずっとこれまで秘密にされてきたあの子の居場所。それが、まさかこんなに近くて、遠いところにいたなんて。
「シエラを……助ける方法はあるのか?」
「奇跡でも起こさぬ限り不可能であろう。それこそ七色石の力を解放でもせぬ限りな」
老婆のしゃがれ声はやはり抑揚が無く、重く胸に響く。奇跡……か。
それを言われたら、今まであの子と数多の危機を乗り越えたこと自体が奇跡じゃないだろうか。
マグノリアで聖葬人と対峙し、汚染エーテルで体中を蝕まれたこと。皇都であの子を攫われて、別人格に洗脳されたあの子と戦い呪縛から解き放ったこと。
けど、今回ばかりは本当に打つ手無しだ。どうやって、シエラの意識を目覚めさせればいいのかなんて見当もつかない。
「くそっ!」
だんと床に握りこぶしを打ち付ける。何度も何度も。指の皮が剥げて血が滲んでも構わずに。どうして肝心な時に俺はいつも間に合わない。どうして、あの子の危機に駆けつけられない。どうして、どうして、どうして、どうして、どうして————
「————元素術士よ。そなた己が無力だと勘違いしてはおらぬか?」
「……気休めならいらねぇよ」
「やれやれ。我の知る元素術士達は気骨がある者ばかりであったがな。よいか? 嘆いている場合では無いぞ元素術士。元素とエーテルを玉に取り込み、人には過ぎた力を行使する者、それが連換術士であろう?」
「それがなんだ……。……まさか」
原初の精霊が言わんとしていること。それが何故か、唐突に理解出来た。
いや、理解も何も無い。何故なら……余りにも基本的な連換術の基本工程。
それは————元素とエーテルの収束。
「え? いや、でも……」
「今代の聖女の散らばった魂の欠片はシナイ山の霊洞内に留まっておるようだ。そして、幸か不幸か半分程の魂はロザリオが預かっておるようだな」
「だけど、霊洞内には大聖別の儀が行われている時しか入れないんだろ? それまで、シエラの散らばった魂の欠片は残っている保証なんて————」
「大丈夫だよ。……声は聞こえなくても、僕には分かる。師匠が迎えに来ることを信じてずっと待ってるって」
「……っ」
勇気付けるように俺に向かって微笑むアルクスの顔と、あの子の笑顔が重なる。
ああ……もう何度目だろう。この自戒。つくづく俺は師匠に相応しくないと痛感する。けど、それでもあの子を元に戻す手がかりは見つかった。
「少しは生気が戻ったか。もう一つ、お前達に伝えておくべきことがある」
老婆は腰を真っ直ぐ伸ばすと、柔和な表情を一変させる。
「オリワス様? まだ、何か懸案事項が?」
「うむ。禍々しい気配がこの聖地を内と外から食い破ろうとしておる。余り時間は残されておらぬじゃろうから手短に言うぞ。————災厄の気配が聖地を飲み込まんとしておるぞ」
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