十六話 秘密の部屋
聖地に到着し一週間が経過した。その間何をやっていたかといえば、フレイメルからの嫌味に耐えたり、カインの破天荒な行動に悩まされ続けたり、無理難題を毎回突きつける春雷卿の修行は苛烈さを増すばかりで正直心休まる暇が無い。
肝心の大聖別の試練についても、カインは全く教えてくれない。何のために聖地に来たのか目的を忘れそうになる。そんな日々を送る中、唯一の安らぎといえば早朝早くから聖地の周りをぐるりと走る
ここ連日の走り込みで体力が更に付いた気がする。無心で走れば走るほど余計ことを考えなくて済む。吐き出す息は白く、かじかみそうな寒さの中で身体を動かし続けるには、運動で体温を上げるしかない。
走り始めて1時間。ようやくゴールの目印である聖地の裏門が見えてきた。すっかり顔馴染みになった門番に会釈し裏門から大聖堂の裏手に戻る。もちろん、修練着は汗だくでこのままでは風を引きかねない。けれど、初日と違って今は浴場で汗を流す必要は無い。
「お疲れ様、グラナさん。昨日より気持ち早く戻ってこれたんじゃない」
「そうか? そこまで時間は意識して無かったけど」
裏門で俺を出迎えてくれたのは俺が浴場で倒れて以来、なんだかんだと話す機会が増えたアルクスだ。なんでも、とある人から俺のことを頼まれているらしいが、それが誰かまでは雁として教えてくれない。
「はい。汗拭きと水分補給の飲み物。着替えた後は、暖炉の前でよく身体を温めるのを忘れないように」
「いつも、悪いなアルクス。助かるよ」
「どういたしまして。本当は、対立候補の護衛役に情けをかけるのは違うのだろうけどね」
そう嘯くアルクスだが表情は柔らかい。俺の本来の護衛主と取り替えて欲しいくらいだ。なにせ、あの子と同じプルゥエル性だし心情的にもアルクスを応援したくなる。と、ここらでいい加減はっきりさせて置きたいことがあるのを、すっかり忘れていた。
「一つ、訊いてもいいか? アルクス」
「改まってなにかな?」
まじまじとこちらを見返す翡翠の双眸。あの子とよく似た色の銀髪。……これで、疑問に思うなというのが無理な話だ。であるならば————
「お前……シエラなのか?」
「…………へぇ。どうして、そう思ったのかな?」
結構な爆弾発言をさらりと受け流すアルクスは逆に理由を尋ねてくる。根拠なら一つだけあるが、果たして俺の予想は当たっているのか? 自信は無かった。
「聖地に来る途中に立ち寄った岩屋の宿。そこで働いている女の子から聞いたんだ。アルクスと名乗る女の子が確かに泊まっていったと」
ノルカから訊き出した皇都から来たというシエラと思しき少女は、アルクスと偽名を名乗っていた。偶然なのかどうなのか知らない。ただ、目の前にいる彼の名もアルクス……だ。そこから導き出される結論といったら一つしか無い。
「なるほど。皇都から聖地に向かっていた、教皇様のご息女が僕の名を名乗った……と」
「ああ。根拠としては弱いが、聖地にシエラが居る気配が全く感じられないのも変だ。だから————」
だが、それは無理な話だと薄々気づいていた。背格好は丁度同じくらいだろうが、華奢なシエラの体格と比べて、立ち姿が様になっているアルクスはやはり別人だと思わざるを得ない。
無論、そんなことはお見通しだったのだろう。アルクスは俺に呆れたような眼を向けて、嘆息しながら切り出した。
「そんなこと、ある筈が無いだろう。僕は正真正銘のアルクスだよ。けど、どうして彼女が僕の名を騙ったかについては気になるね」
だよなぁ、と相づちを打ちつつレモン水を口に含む。どうしてシエラがアルクスとノルカに名乗ったのか。考えられる理由としては、聖地に向かったと部外者には知られたく無かったということなのだろうか? ただ、ノルカにはバレバレだったようだが。
「ところでアルクスはシエラと面識があるのか?」
「数える程しか無いよ。それも幼い頃に何回か会ったことがあるだけ。彼女の父親、現教皇猊下はうちの大婆婆様から良く思われていなくて、家族で本家に来ること自体が珍しかったからね」
そう語るアルクスの眼はどこか悲しげだ。幼い頃の話ということだし、シエラとは親戚同士というより友達に近かったのかも知れない。ということは、ある程度シエラが抱えている事情も知っていたりするのだろうか。
ここで探りを入れるべきか止めとくべきか。と逡巡していると、アルクスが「ところで」と話題を切り替える。
「カインから大聖別について教わった?」
「……いーや。俺の功績を買いかぶり過ぎてるのかなんなのか知らんけど、直前でも大丈夫でしょ! と未だに教えては貰っていないな……」
「……まったく。カインらしいというかなんというか。それじゃ、僭越ながら僕から説明するけど問題ないかな」
問題なんてある筈が無い。有り難く拝聴したい。裏口では人目もあるので、場所を移そうと移動するカインの後について大聖堂内部へと俺も続いた。
★ ★ ★
俺とアルクスが忍び込んだのはつーんと傷んだ紙の匂いが鼻を突く、古い書庫だった。どうやら焚書の類が乱雑に置かれているようで、迂闊に手を触れようならば連鎖的に崩れ落ちそうな雑然とした本の山がでんと聳えている。もちろん倒したら埃が巻き上がるだけでなく、怒られるのは間違い無い。
後ろを振り返ればアルクスが慎重に扉を閉めているところだった。どうやら、この書庫事態が立ち入り禁止の部屋らしい。何故、そんな場所に俺を案内したのか気になる所だが、何か事情があるのだろうか?
「ケホケホ……。全く手入れされていないから埃が酷いね。グラナさんこっち。僕がたまに使ってる秘密の部屋にご招待するよ」
積み上げられた本の影に古ぼけた扉が壁と同化するように佇んでいた。ぎぃと錆だらけの蝶番が鈍い音を鳴らし、俺とアルクスを秘密の部屋へと招き入れる。
「これは……」
暗くて見づらいが先程の荒れ放題の書庫とは比較にならない程、綺麗に並べられた本棚。蔵書量は決して多くは無いものの、装丁からして保全が行き届いた書物の一冊一冊は、否応無しに興味をそそられる。
「この部屋だけ、何故か綺麗に保たれていてね。そこの本棚に在った誰かの手記によると、教会の歴史や精霊についての書物が収められているそうだよ」
蝋燭に火を灯しながらアルクスが説明してくれる。まさか、こんなところで精霊について記述された書物と巡り合うとは。マグノリアに帰ろうとしたのも、皇都では精霊について記述された書物が見つからなかったからだ。
特別な許可を得て帝城の書庫にもあたってみたものの、水の精霊どころか精霊に関する資料は一切残されていなかった。セシル曰く、どうやら崩御された皇帝陛下が秘密裏に何処かに移したらしいとだけ聞かされていたが、もしかしてこの書庫にあるのが? と否応なく期待を抱いてしまう。
「さて、あまり長居は出来ないからね。大聖別の試練についてさっそく伝えていこうか」
「……ああ。よろしく頼む」
その一言で思考の海に沈んでいた意識を引き揚げられた。今はおあずけをくらっていた大聖別の試練について教えてもらうのが先だ。
「よろしい。では、簡単にだけど試練がどんなものか説明を始めるよ」
蝋燭の火の向こう。アルクスは裏表の無い表情で俺に翡翠の双眸を向ける。
それが、どうにもあの子を思い出させるようで、少しだけ切なかった。
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