一話 連換術師の出立

 秋も深まりそろそろ冬支度を誰もが考え始めた頃。夏の時期からずっとお世話になっているアクエスの家で旅支度をしていた。皇都に来た当初は少なかった荷物も、日々生活していればそれなりの量にはなる。


 と言っても増えたものと云えば衣服に生活必需品、それと師弟関係を解消したシエラに送る連換術の教本くらいだ。


「ふう、なんとか収まったな」


 それなりに大きめの旅行用トランクの蓋をしっかりと締める。皇都に来る前にシエラに見繕ってもらった茶色い皮のトランクは、数ヶ月の間に味わい深い色合いに変化していた。


「…………」


 ふっと浮かんだのは愛弟子————ではなく、教会へと戻って行ったシエラの顔だった。詳しい経緯はついぞ教えてもらう事は無かったが、あの短い夏休みの後、シエラは聖地グリグエルへと戻って行ってしまった。


 なんでも現教皇である父親の容態が悪化し、次期教皇候補として【大聖別】と呼ばれる儀式を受ける為……らしい。教皇というのは世襲制なのかと初めて知った訳だが、それはどうでもいいだろう。


「————なんだか寂しいもんだな」


 マグノリアでの一件後、師弟の契りを結びいつも側にいたあの子がいない。それだけで胸にぽっかりと穴が空いたようだった。だが、目下の悩みとしてシエラのこと以上に気に病んでいることがあった。


「あ、こんなところにいた。後輩、帰って来てたなら『ただいま』くらい言えないの?」


 そんなもの思いに耽っていると、後ろから抑揚の無い声で小言を言われた。振り返れば家主である青い髪の女性の俺を見下ろすように眺めている瞳と目が合う。彼女の名はアクエス・エストリカ。皇都連換術協会本部所属のA級連換術師であり頼れる先輩でもある。


 手にぶら下げた紙袋から焼けた肉の香ばしい匂いが漂っているのは、また帰りに異国通りの屋台で串焼きを買い込んできたのだろう。荷造りに夢中で日が落ちかけていたのにも気づかなかった。夕餉時を知らせるように、腹の虫がぐーと鳴る。


「それって旅行用のトランク? もしかしてマグノリアに帰るの?」


「いつまでも厄介になるのもどうかと思ってたし、明日朝一番の汽車で帰るよ。世話になったな先輩」


 色々あった激動の夏が頭を過る。勲章授与の式典に参加する予定が、気付けば皇都壊滅の危機に介入することになり、今思うとよく五体満足で乗り切れたなと我ながら思う。


 本当に色々なことが起きて、まだ俺の中でも消化しきれていない。

 根源原理主義派アルケーの真意、清栄に向かった師匠の事……。など色々だ。それら全てが理解出来るとも思わないし、俺はそこまで頭が切れる訳でもない。


 ただ……改めて起きたことをどこかで整理する時間が欲しかった。

 そして、もう一つ。あの危機の中で覚醒した新たな風の力と、あのクソ生意気な風の精霊? についても————だ。


 ————俺に何故、精霊染みた力が宿っているのか? それを何処かで知らねばならない。そんな気がしたから。


「なんだか、変わったね後輩」


「なんだよ、やぶからぼうに?」


 紙袋を床に置いて、アクエスが畳に座り込んだ。東方様式で建てられた帝国では珍しいこの家屋は、土足では無く靴を脱いで家に上がる。当然、畳に正座するアクエスの素足は丸見えであり、程よく引き締まった健康的な膝や太ももから咄嗟に目を逸らす。


「挙動が怪しいけど、どうしたの?」


「な、なんでもない……。で、俺の何処が変わったって?」


 動揺を悟られぬよう俺は先を促す。無自覚なアクエスは、小首を傾げて切り出した。


「シエラとはなばなれになったこと、応えてるのかなって。なんだか、随分と寂しい目をしているから」


「…………やっぱり、そう見えるか」


 薄々自覚していたことをはっきりと指摘されて、逆にすとんと腑に落ちた。言われるまでも無い。どうやら、知らぬ間に俺はあの子に相当依存してたようだ。


 ……思い返してみても、普通の師弟関係とは大分異なっていた気がする。

 エリル師匠とのような関係を最初は目指していたんだが、何事にも一生懸命なシエラの心意気にこちらも段々絆されていったというか、なんというか。


 いつからだろう。あの子を弟子と思わなくなったのは。


「で、寂しくなったからあの子との温もりが残るマグノリアに帰ろうと」


「……その言い方じゃ、俺が弟子狂いのただの変態じゃないか」


「違うの?」


「断じて違う!」


 しつこいアクエスの追求につい怒鳴ってしまった。普段の様子から色々と誤解されがちな弟子との関係だが、俺自身はきちんと一線引いてたつもりだ。と強がってはみたものの、やはり誤解を解く事は難しいらしい。


 アクエスは「そんなにムキにならなくてもいいでしょうに……」と嘆息した。元はと言えばそっちから吹っ掛けてきたことだろうとは思っていても口には出さない。気まずい沈黙が東方風の畳敷きの部屋に沈殿する。


 少し間を置いて、アクエスがわざとらしく切り出した。


「……そういえばすっかり忘れてた。王子様から伝言。明日、朝一で協会本部に寄って欲しいって」


「アルから? そりゃまたどんな要件だ?」


「詳しい話は教えて貰えなかった。なんでも、一月後に控えたコンクラーヴェに関することだとか、なんとか」


 アクエスから告げられたその言葉を聞いて、あぐらをかいていた膝が無意識に震える。コンクラーヴェとは精霊教会の総本山、聖地グリグエルで行われる次期教皇選出の儀のことであり、俺と師弟関係を解消したあの子がこれから挑む試練でもある。


 けど、水と油の様に相容れない教会に、連換術協会が教皇選出に関わることなんてあり得ないはずだ。アルの奴……一体何を企んでいる?


「じゃ、伝える事は伝えたから。夕ご飯の準備よろしく」


「……あ、ああ。————ちょっと待て。今日の当番はお前だろ?」


「————働かざるもの食うべからず。我が家の家訓を破るつもりならいい度胸だね? ————後輩」


 ゆらりと振り返るアクエスの瞳に『御飯』という東方文字が浮かび上がっていたのは、多分目の錯覚……だと思いたい。今日の仕事は殊更大変だったのだろう。乙女にあるまじき腹の虫が、ゴロゴロと雷の様に荒れ狂っている音を早急に鎮める必要もある。お世話になった礼も兼ねて、最後に美味しいお米を炊くかと俺は畳から立ち上がった。


「それで、今日はどれくらい炊けばいいんだ?」


「一升」


「米櫃の底まで食い尽くす気か!!」


 相変わらずの大食らいな先輩の胃袋に、それだけ食べてるのにどうして太らないのかと思ってしまう。————やはり水の連換術師は恐ろしい。


 ふと、大師匠のリャンさんはアクエスの食費をどう賄っていたのかと気になった。今は記憶を失った師匠……翠さんを連れて清栄に居るはずなので、聞くことも出来ないが。


 こうして、皇都で過ごす最後の夜は賑やかに過ぎていくのであった。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る