二話 連換術協会本部長 カマル・アブ・サイード

 明けて翌日。言われた通り朝一で皇都連換術協会本部を訪れた俺は、アルのお目付け役のナーディヤさんに本部長の部屋へと通された。いつもなら、にこやかに挨拶を返してくれるミシェルさんの姿は今日も無い。


 その理由とは、皇都の異変の最中、突如尋常ならざる土の連換術で、大量の死傷者を出した弟ペリドの件でここ二ヶ月近く、皇都第一親衛隊に勾留という名の尋問を受けているから————だ。


 どうやら根源原理主義派アルケーの一員になったらしい奴の行方は、他の使徒共々分からないまま。そもそもとして、奴らが皇都で引き起こした事件の全容も未だ調査中だ。異変後の皇都復興に尽力した功績をマテリア皇家から認められたことにより、連換術協会は今のところお咎め無し。しかしミシェルさんと、マグノリアの貴族街に居を構えるグラスバレー男爵家は追求から逃れる事は出来なかった。


 風の噂では身内から帝国に仇なす逆賊を輩出した咎として、男爵家から爵位を剥奪する用意を帝国政府が進めているらしい。気の毒な話だが、一個人にそれを止めることなんて出来るはずも無い————。


 もろもろの状況が重なって連換術協会も先行きは不透明。それとも、皇都で大それたことをしでかしたあの盟主は、こうなることまで想定していたのだろうか。


 分からないことだらけだ。————異変は収まったというのに、まだ巨大な陰謀の渦中に取り残されているような……そんな気すらする。


 考えれば考えるほど……出口の見えない迷路で迷い続けているようだ。嫌な想像をぶんぶんと首を振って振り払う。気分を変えようと部屋の隅に置かれた大型ケージの中で羽を畳んでうたた寝しているアルタイルの寝顔を見やり、目の前に用意されたチャイのカップを手に取った。


 芳醇で鼻腔をくすぐる甘い香り。チャイを初めていただいたのは、皇都に来る時に乗った汽車の中だ。あそこで偶然……いや、作為的に出会ったアルとここまで付き合いが長くなるとは思っても無かったが。


 それに、チャイを飲んでると何杯もお代わりしていたシエラのことをどうしても思い出してしまう。……いかん、いかん。あの子と師弟関係を解消すると決めた時に誓ったじゃないか。お互いに一回り成長して、いつかまた再会しよう……と。


「と、カッコよく決めたはいいが、けれどやはりチャイの香ばしい香りは、あの子のことを俺に思い出させて止まないのであった————。というのが、今の君の心境かな?」


「ぶっ!?」


 とそこへ、聞き慣れた人を茶化すような声が唐突に耳に入る。危うく口に含んだチャイを吐き出しかけた俺は急いでごくりと飲み込んだ。濃厚で甘いチャイと独特なシナモンの味が、口の中で後を引く。


「急に声かけるな! ついでに人の心を読むな!」


「なっはっはっはっ! しんみりしてた割には元気じゃないか」


 陽気に笑う目の前の王子様は、いつもの白いひらひらとしたラサスムの民族衣装では無く、かっちりとした帝国貴族の身嗜みだ。どこかで見たことあるような、青いウエストコートは多分、アレンさんあたりから融通してもらったのだろうか?


 確か、フューリーさんが同じような服装をしてたと記憶している。


「呼び立てしてすまなかったね。なんでも、今日朝一でマグノリアに帰る予定だったそうじゃないか」


「ああ。お前の呼び出しのお陰でチケット払い戻しだよ。……で、要件はなんだ」


 せっかくわざわざ自費で確保した汽車のチケットが無駄になったことを嫌味たらしく伝える。皇都からマグノリアまでは朝一の汽車に乗れたとしても、どんなに早く着こうが丸一日はかかる。つまり、ここでアルの相手をしている時点で、今日中にマグノリアに帰る手段は無くなったと言っても過言ではない。


「実はかなりというか……まぁ意外過ぎるお方から、グラナを名指しで依頼が入ってね。先方の都合が今日しかつかないそうだから、君にご足労いただいた訳さ」


「俺を名指しで依頼?」


 どこか歯切れの悪いアルの言葉足らずな説明だけでは、何のことかも分からない。それに誰だよ、意外すぎるお方って。依頼主は誰だ? と切り出そうとした時「……失礼する」と、低い男の声がドア越しに聞こえてきた。


「連換術協会本部長殿。……時間通り、従司教フレイメル・トライシオン参上した。例の風の連換術師は呼んだのだろうな」


「やれやれ……もう少し、空気を読んで欲しいねぇ。そちらの要望通り、当協会所属の連換術師グラナ・ヴィエンデは招致済みだよ。ということで、グラナ。ここから先は彼から話を聞いて欲しい。————なにせ、僕にも詳しい話は聞かされていないからね」


 本人の雰囲気と違ってやや簡素な内装の本部長室に入って来たのは、黒色の神父服を纏った紅蓮を想起させる灼髪と目つきの鋭い長身の男。レイ枢機卿の付き人でもあり、火の連換術師でもあるフレイメル従司教。


 なぜ……こいつがここに? 俺の困惑する様子にフンと鼻を鳴らしたフレイメルは苦々しげな感を隠そうともせず口を開いた。


「また会ったな、風の連換術師」


「……正直、こっちは二度とその顔も拝みたく無かったけどな。依頼人とはフレイメル従司教、あんたのことなのか?」


「正確に申し添えるなら、レイ枢機卿猊下から直々のご指名だ。どうやら、先の皇都の異変に際しての貴様の働きを、高く評価されているようでな。その腕を見込んで連換術師である貴様に頼みたいことがあるそうだ」


 レイ枢機卿から……名指しで直々の依頼? それも、状況に流されるだけだったあの時の俺を高く評価……だって? 


 どう考えても胡散臭い。そもそも、シエラを黄金の連換術師に攫われた時は勝手に決められた期限までにあの子を奪還出来なければ、俺の身柄を教会預かりとする脅しまでかけてきた相手だ。


 当然、こちらの印象は最悪であり、なんとか事態を好転出来た今でも関わりたくないやから。それが何の気まぐれか、わざわざ教会と相容れない連換術師である俺に、ご指名で依頼とは……疑うなというのが土台無理な話だ。


 当然、こちらの考えてることなどお見通しなのだろう。フレイメル従司教は懐から何かを取り出すと、手持ち無沙汰に突っ立っているアルに縦に丸めた書状を渡す。さしてそれを気にすることも無く受け取ったアルは、無造作にそれを広げる。


 四大精霊のシンボルが印字された、枢機卿からの依頼状。それに目を通したアルは眉を顰めた。


「冗談……じゃなさそうだね。フレイメル従司教、この依頼状に貼り付けてある帳面の切れ端は————」


「……教会に仇なす不届き者からの予告状だ。コンクラーヴェの機に乗じて、次期教皇候補の命を頂戴する————。つい先日、レイ様宛に届いた次期教皇候補の殺害予告だ」


「な……」


 淡々と従司教が告げたその内容に、俺は思わず長椅子から立ち上がった。時期教皇候補……それって————。


「コンクラーヴェの妨害を企む何者かが聖地に潜んでいる可能性が高いと、レイ様は判断された。改めて依頼の内容を伝える。次期教皇候補の護衛を任せる為、急ぎ聖地に向かって貰いたい。————当然、引き受けてくれるな、風の連換術師?」

 


 

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