七十六話 風と疾風

「疾ッ……」

 

 的を絞らせないように走り回る俺に、唸りを上げた風の刃が放たれる。

 さっきまでとは一転、距離を取り隙あらば風の刃を連換する戦術に切り替えたヴェンテッラの相手は、やり辛いことこの上ない。


 凍りついた大河の上には芸術的な形状の氷の塊がいくつかあり、躱しきれない風の刃はそれらに身を隠して何とかやり過ごす。


「同じ風属性の術師だけあって、速さだけは大したものですね?」


「チッ……」


 徹底してこちらに接近せず、じわじわと嬲り殺しにするようなヴェンテッラの戦略は理に叶っている。風そのものを刃とする連換術はエーテルの制御が難しく、師匠ですら木の葉を切り裂くのが精一杯だった。

 なのにこの女はあろうことか、本物の剣を振り下ろすような感覚で風の刃を呼吸をするように飛ばしてくる。


 いくら風で衝撃を軽減出来ようが、斬撃までは防げない————。


「そろそろ終わりにしましょうか。————貴方ばかりに時間を取られる訳にもいきませんので」


 ぞくり……と、こちらの理性を掻き乱すような艶のある声が、距離を取っているはずなのに耳朶を打つ。視線を前に向ければ、白虎の型のように両手を前に突き出し、五指に連換した風を集中させ、角を地に伏せる猛牛のような構えが目に映った。


「——裏四凶うらしきょうの型、『饕餮とうてつ』。武聖から四象の型を教わったようですが、さて私の速さについて来れますか?」


「……!」


 ————消えた。そう錯覚するほどの速さで、音もなく振り下ろされる爪が眼前に迫る。

 切替は一瞬……。俺は自身の生命エーテルと大気を接続し、開眼状態でヴェンテッラの攻撃を籠手で受け止めた。


「ぐっ……。速い上に重い————」


 疾風の如く振り下ろされる両手の五指。それが空を裂く度に、指から風刃が放出される。

 見えない風刃で身を裂かれ、身体のあちこちから血が流れた。

 超高速の攻防は更に加速し、奴の爪それ自体が必殺の威力を持つ暗器のようだ。 

 


 まるで幾重にも重なる刃の軌跡が風の精霊から借り受けた翡翠の籠手に無数の傷を刻む。籠手の耐久力がどれくらいあるかは、まさに精霊のみぞ知る——ということだろうが、このままではじり貧なのも確か。

 出来れば距離は離したくないが奴の攻撃手段は遠距離、近距離関係なく何処からでも致命の一撃を放つことが出来る以上、このまま攻撃を捌き続けても埒が明かない。


「……いい加減にしやがれ。元素解放!」


「————竜巻。……これは砕氷を含んだ強風ですか」


 間隙を縫って連換した極寒の竜巻でヴェンテッラを下がらせ、何とか距離を取ることに成功する。気温は上がらず、身体は冷えっぱなし。申し訳程度に降り注ぐ夏の日差しで何とか凍傷になるのを免れている現状は、はっきり言って劣勢だ。


 せめて冷気を発している『ローレライの巨岩』の異常さえ止めることが出来れば、話は違ってくるだろうがどうすればいいのか皆目見当が付かない。


 何か……突破口は無いのか? 何か————。


「苦し紛れに風を連換したところで、何も為せませんよ。影の一族の師を持つ弟子、興醒めですね? 貴方の実力はこの程度ですか?」


「……言いたい放題、言いやがって」


 奴の挑発を聞き流し出来るだけ距離を取る。その時、あることに気が付いた。


(————ヴェンテッラの立ち回り……。俺をローレライの巨岩に近づけないようにしている?)


 激しい攻防を演じている最中は、奴の速さについていくのが精一杯で分からなかった。

 だが、あらゆる攻撃行動が俺をこれ以上、巨岩に近づけさせない為の布石であると考えるなら、その行動に一貫性が見出せる。


 開眼状態で感知する限り、この異常な冷気の発生元は間違い無く『ローレライの巨岩』からだ。ここに根元原理主義派アルケーの一員である、ヴェンテッラが居ることがその証拠。


 であるなら、この事態を引き起こす為、巨岩に何らかの細工がされた可能性が高い。

 奴らの技術力が表の世界のそれとは数段、次元が違う領域に到達しているのは、あの深層領域に設置されていた用途不明の機械の数々が証明している。


 どうにか時間を稼いで巨岩を調べることが出来れば……。

 そこまで考えてふと思いついた。

 地下遺構で巨大カエルを貫いた風の騎士槍ランス

 貫通力は身を持って知っている。加えて、モスクでお祓いを受けた際に夢からいざなわれた精神世界。風の精霊と対峙した際に、俺は無意識に連換術を使っていた。


 もしかして、今の開眼状態ならあの時に錬成出来た巨大な騎士槍ランスも再現出来るかも知れない————。


「元素……拡散」


 左腕に装着していた翡翠の籠手を元素に戻す。

 元々は風の精霊が行使した力によって形成されていたものだ。まさか、それが自らの意思で拡散出来るとは思わなかったが、拡散が出来るなら続く工程も——。


「元素——固定」


 荒ぶる翡翠の風の奔流がいつの間にか巨大な騎士槍ランスを形成していた。

 元素をエーテルで固定して、幻の武器とする『元素錬成』。

 身の丈以上に大きい騎士槍の持ち手を掴み、風の力で高速回転させる。


「な、何ですか? その武器は……」


「お前のように遠距離攻撃は出来ないが、接近してからの攻撃手段ならまだまだ手札は持ってるんだよ。——まぁこいつは攻撃用じゃ無いけどな」


「攻撃の為では無い……?? まさか!?」


「そのまさかだ!! 何故、俺を巨岩に近づけたく無いかは知らないが、その慌てぶりだとこっちの予想も当たりのようだな!!」


 ドリルのように周囲の気流を乱す程の勢いで回転する騎士槍を、ローレライの巨岩に向ける。


「ま、待ちなさい!? 今、巨岩に衝撃を与えては————」


「誰が待つか!! ここから反撃開始だ!!」


 さっきまでとは一転した状況の中、俺は風の騎士槍を前方に突き出し全速力で駆け出した。

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