五十九話 Fifth day end 陰謀の全容

 武聖から認められ荷物を纏めた俺は東地区の連換術協会本部へと向かっている最中だった。

 鋭敏な感覚がまだ残ってるせいか、皇都内全域の大気中に含まれるエーテル属性の偏りがはっきりと分かる。確かに異常……としか思えない割合で火属性のエーテルが充満している。

 

 皇都の清浄な水の性質を保っていたのは水の精霊の御神体。にわかには信じられない話だが、その上更に連換術師まで関わってくるとなると話は別だ。


 皇都の下層、二日目に足を踏み入れた遺構の内部に描かれていた『水の精霊の印』。

 セシルの話しによれば、皇都では代々二人の水の連換術を扱う巫女がその力で持って皇都の治水を行っていたとか。途方も無い話だが、御神体が力を失っている以上、皇都に張り巡らされた水路や水道を維持するためには必要だったのだろう。


 そう考えると、この世界はとっくの昔に精霊の加護から外れたものだということが実感出来る。では、いなくなった精霊を崇め奉る『精霊教会』の存在意義とは、なんなのだろうか?


「今、考えることじゃないか——————」


 ——何か大切な思考を中断するように首を左右に振る。とにかく急いで協会本部に向かわないと。深夜に近くなってきた暗い通りを風の連換術も使って勢いよく走り抜ける。この先の水路を飛び越えれば東地区はもうすぐだ。速度を速めて水路を飛び越えようとしたその時、鋭敏な感覚が異様な気配を捉えた。


「誰……だ?」


 橋の下に張り巡らされている水路の方から何やら話声が聞こえる。誰だろうか? こんな遅い時間に、まさか逢引ってわけでも無いだろうし。どうしても気になった俺は、声がする方へと吸い寄せられるように足音を立てないように向かった。


 荷物を纏めたトランクを民家の物陰に隠す。念の為、左腕に可動式籠手を嵌めて水路に降り立った。もちろん風で落下速度を減速させてなるべく物音を立てないように。


 すぐ横は綺麗な水が星空の光を反射しながら流れている。その前方にはエーテル灯がぽうっと煌々と瞬いている。灯りに吸い寄せられる夏の虫のように、俺はいつでも臨戦態勢を取れるよう警戒だけは怠らずに水路の奥へと向かった。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 街中から地下へと潜る水路の中はやはり暑苦しかった。ペリドでなくともこんな極端にエーテル属性が偏っている空気の中では、異常をきたすのも無理の無い話だ。


 幸いなことにあのエーテル変質事件を乗り越えたお陰か、生命エーテルの汚染に少しは耐性がついたようなので、今の俺に目立った影響は見られない。


 話し声が明瞭に聞き取れる位置まで着くと水路の点検用の通路に用途不明の木箱がいくつか放置されていた。そのうちの一つに身を身を隠し、聞き耳を立てる。


 向こうにいるのは二人だろうか。見つからないように慎重に顔だけ覗かせた。


「……皇女殿下に動きが?」


「ああ、どうやらそうらしい。影にこちらの拠点が筒抜けになっていたのだろう」


 密談しているのは二人組の男女のようだ。内一人はフード付きのローブのようなものを着込み、顔は分からない。もう一人は長い鮮やかな緑髪の女性だ。聖葬人が着ているようなコートを羽織り、艶かしい肢体を惜しげも無く晒すぴっちりとした黒い独特な衣装姿だった。


 ——その顔には目元まで覆う、銀製のアイマスクを身に付けておりこちらも顔は分からない。

 だが、その女性の後ろ姿を一目見た瞬間、何か強烈な既視感のようなものを感じた。


「どうやら皇太女の儀までに、我らの拠点を取り潰す腹づもりのようだ。——今のうちに、例の『心臓』を移動させるべきなのでは?」


「…………」


 水路を流れる水音が若干煩わしいが、聞き取れないほどでは無い。話の内容からして、この二人は根元原理主義派の構成員らしい。セシルから協力を頼まれた奴らの拠点を炙り出す計画も既に漏れているようだ。けど、何故こんなところで密談をしているのか?


 確かにこんな水路に人は寄り付かないし、遅い時間でもあるから人目に触れる心配も無い。にも関わらず消えないこの違和感は、何故なのだろうか。


 その答えは低い声帯の男が語ってくれた。


「皇都中の水路に張り巡らされた水の精霊の印、そして汚水処理遺構に設置した大量の『白色玉アルベド』。これだけ準備が整えばエーテル属性を反転させ、フラスコを作ることぐらい簡単に出来るはずだ。何故、そうしない?」


「計画の全容をこんなところで無用心に話さないでいただきたいものですが? まぁ、聞かれたところで理解出来る者もいないでしょうし、お答えはしましょう。ですが——」


 アイマスクの女性は足に装着したホルスターから、漆黒の可動式籠手を取り出し右腕に装着する。そして、音もなく男の背後に回ると籠手の手甲を遮るように伸ばした刃の暗器を男の首筋に突きつけた。


「——二度目はありません。我らの言動は常にしゅに聞かれていること、くれぐれもお忘れなく」


「くっ————」


「さて、『心臓』の移動に関してでしたね? 簡単なことです。あなたが先ほど語った準備に必要だからですよ。素体は空想元素を封じ込めた白色玉アルベドを取り付けて、二日が経過した状況。今のところ拒絶反応などは見受けられませんが、ただでさえ身体に馴染ませるのは時間がかかる実験。それを突貫でやろうとしているセレスト博士には我々も手を焼いているのですよ」


 暗器を突きつけたまま、女性は淡々と告げる。その蠱惑的な姿だけでなく、艶のある唇から発せられる言葉には妖しい響きがあり、女性の魅力に鈍感な俺でも聞き入ってしまうほどだった。


「……いいだろう。だがこうしている間にも、公爵や協会だっていつ嗅ぎつけるか分からんぞ? イデア派に乗っ取りを指示したようだが、例の第二王子が先手を打ってラサスム王家預かりとしたからな」


「想定の範囲内……と言いたいところですが、こちらの情報もどうやら何処かから漏れてるようですね。皇女殿下も成人前とはいえ、既にここまでの手腕を発揮しますか。彼女が皇帝に即位するようなことがあれば、随分と帝国は様変わりしそうです」


 フフッ……と妖艶に振る舞うアイマスクの女性は、刃を左の手の平で押すように仕舞う。首筋の圧迫感から解放された男性は弾かれたように女性から距離を取った。


「ああ、そうだ。お前たちが手をこまねいていればあの賢い殿下は、帝国を良くしようと尽力されるだろうさ。その為にはラサスム王家と手を組むことだって厭わないだろうな」


「政治的な話には興味がありませんが、そうなると困るのは教会でしょう。マグノリアの一件からここ二ヶ月、内部では保守派の責任の擦りつけ合いと革新派の台頭が相次ぎ、権力の構図は大分塗り変わったかと。——ええ、こちらの思惑通りに」


「……マグノリアの英雄か。上手いこと利用したものだ。——彼女を親衛隊に異動させたのもお前達の差し金か?」


「そこまで答える義理はありませんね? 優秀な人材を印の刻まれた地に留めておくのは、資源の無駄ですから、とでもお答えすれば良いのでしょうか?」


「いや、いい——。十分だ」


 会話が途切れる。今この場で盗み聞いたのは紛れもなく奴らの機密情報だ。

 それに、あのアイマスクを付けた女性もしかして……あの蛇の刺青の聖葬人が語りアクエスが対峙したヴェンテッラと呼ばれる根元原理主義派の構成員なのか?


 どうする? この場で奴らを抑えて更に情報を聞き出すか?

 それとも、この場は一旦引いてこの情報を協会本部にそしてセシルに伝えるか?


 武聖との激しい試練を終えたばかりの俺に、実力が未知数のヴェンテッラに太刀打ち出来るかどうかは、はっきり言って分からない。ならば、ここは確実に情報を持ち帰ることを優先するべきだ。今まで後手でしか動くことが出来なかった奴らとの駆け引きに、初めて先手を打てる絶好の機会。この機を逃せば次はいつになるか分からない。


 この場は大人しく退散するしか無さそうだ。来た時と同じように足音を立てずにその場を立ち去ろうとし、後ろを振り返ると……。


 ギョロ目の大きな血走った眼球と目が合った。


「ふーむ? 誰かね? チミは?」


「驚かすなよ……。お、お前こそなんだよ?」


 目の前に居たのは子供くらいの背丈に、ぶかぶかの白衣、そして異様に尖った鼻と薄い髪の毛が特徴的な小人としか形容出来ない子男だった。白衣の胸ポケットから片眼鏡モノクルを取り出した奴は、眼鏡越しに俺をまじまじと観察し始める。こいつ——何者だ?


「ほうっ、ほうっ!? なんと素晴らしい生命エーテル数値!! 吾輩はチミのような実験素体を探していたのだ!!」


「しー!! 声がデカい!? それとそんな怪しい実験、受けるわけねぇだろうが!?」


「あーん? 実験モルモットの分際でなーにを言ってるのだね? チミィ? このセレスト博士の実験に貢献出来るのだよ? ——————光栄に思いたまえよ」


 外観からは想像も出来ないような、凄みのある低い声を刃物のように向けてくる子男。

 こいつ——。今、なんと言った?? セレスト博士??


「何やら物音が聞こえると思えば——。盗み聞きは関心しませんね? マグノリアの英雄?」


 首筋にヒヤリとした感触が走る。

 振り向けばそこには、ヴェンテッラと呼ばれる根元原理主義派アルケーの構成員が気配を感じさせることもなく俺の背後を取っていた。

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