五十七話 ただ拳に思いを込めて

 帝城から外へ出ると辺りはすっかり暗くなっていた。随分と長居をしていたようだ。皇都に来てから今まで知ることの無かった事実を立て続けに知らされて、正直なところ何が悪くて正しいのか分からなくなりかけていた。


 けど、もう迷わない。離れ離れになってやっと気付かされた。あの子が俺に取ってどれだけ大切なのかを。だからあの子を助ける為なら俺は——————。


 帝城前の大橋の上でぐっと拳を握る。師匠から体術を習い始めて早八年。少年の小さな手はいつの間にか大人の大きな手に変わっていた。エリル師匠に弟子入りした頃が随分と懐かしく感じる。 

 

 色々あった皇都での一連の事件も明日で決着は着きそうだ。だが、その前に俺にはどうしても果たすべきことが残っていた。


「日も暮れてるし、今なら夜の闇に紛れて本部まで行けそう。——どうしたの? そんな怖い顔をして?」


「済まないアクエス。明日に備えてどうしても先にやっておきたいことがある。本部への連絡を任せてもいいか?」


「別にいいけど——。何するつもり?」


「アクエスの親父さんから出された課題。今のうちに終わらせておこうと思ってな」


 皇太女の儀までに武聖に一撃いれる課題。今だに達成出来ていないこの難題を乗り越えない限り、俺は真の意味で成長は出来ない。何より今朝のように無様な姿を晒したままじゃ俺の気が収まらない。だって俺は……シエラの師匠なのだから。


 あの子の期待を裏切るようなことは死んでもごめんだ。


「——分かった。本部へは私が向かう。言っとくけどうちの父さん、本気で強いからね?」


「知ってたのか? 俺の修行のこと?」


「父さんは話してくれなかったけど、朝早くから道場で激しくかかり稽古してるところを見てれば、おおよそ察しはつく。エリルさんが取った唯一の弟子……なんでしょ? 情けないところ見せたら許さないから」


「アクエス?  お前——」


「行方不明のエリルさんの名に、泥を塗るようなことだけはしないで。武聖に挑むというのは、己の命を掛けるのと同義なの。——東方ではね」


 意味深な言葉を残しアクエスは足早にその場を走り去った。一人その場に残された俺は、人工湖を照らす月を見上げる。夜空にコンパスで描かれたような、綺麗で丸い月が煌々と光り輝いている。今宵は満月、いつかの夜、故郷のミルツァ村で師匠とルーゼと一緒に天体観測をした時も、こんな感じで明るい月を見上げていた気がする。


「よし……」


 静かに気合を入れ直し、皇都の北地区『異国通り』の外れにあるアクエスの実家へと急いで向かうのだった。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 増水した大河の激しい水音が敷地内にまで響いていた。急いで走ってきたので、身体は充分あったまっている。月明かりが射す東方風の庭園を横切り、道場に向かうと武聖は板張りの床に胡座をかいて瞑想している最中だった。


 邪魔するのは流石に躊躇われるが時間も無いので、音を立てずに静かに道場へと裸足で上がる。すると、瞑っていた目を開き武聖の黒い瞳が鋭く俺を射抜いた。


「誰かと思えば、孫弟子か。なんの用だ?」


「……恥を承知で頼みます。今から俺に稽古をつけてください。言い渡された課題を、この場で達成してみせます……!」


「…………」


 武聖は返事を返すことも無く、静かに床から立ち上がる。瞬きをし、一瞬だけ視界が途切れた直後、武聖の身体から尋常ならざる闘気が湧き上がった。否、そう錯覚するほどの圧が対峙する俺に向かって吹き荒れるように感じた。


「大きく出たものだ。そこまで断言するからには覚悟はあるのだろうな?」


「それは……もちろん」


「結構。ならば己が身の一撃を持ってその覚悟の程を示すがいい。我も手加減抜きの本気で迎え撃とう。五武聖の一人としてな」


 淀みない動作で見せる武聖の構えは地に伏せ後の先を狙う『玄武の型』。俺が最も得意とする型。それに加えて武聖は瞳を閉じた。本気で迎え撃つようなことを言っておいて、随分と見くびられたもんだ。


「教えたことを実戦に取り入れるだけの知恵は回るか」


 目を瞑ったまま武聖は俺が取った構えを見抜いた。全身に纏う闘気の流れは、相手の状態すらも如実に伝えるものらしい。武聖が構える型に効果的な、風を司る神獣のように両手を前に突き出して、連撃を狙う『白虎の型』。


 武聖から教わった『四象の型』は互いに相克し合うように作られている。記憶に残る師匠の戦う姿でも、おぼろげではあるがいくつかの型を使い分けていた気がする。


 そう、あの日、燃え盛る村の出口に立ち塞がった灰色のコートに、燃えるような赤い瞳が特徴的な聖葬人と戦っていた時も——。


 脳裏に描いたエリル師匠の滑るような体捌きを真似て、一気に足を前へ踏み出す。

 武聖は変わらず目を瞑ったままだ。目を開かずとも闘気で間合いに入った者を識別しているのだろう。足を広げ、地に伏せるような体勢を取っていた武聖の身体が即座に動く。


 踏み込んだ勢いを殺さぬよう、更に一歩足を踏み出して俺は拳をぐっ……と握る。

 彼我の距離まで後二歩。唸りをあげた渾身の振り下ろしが武聖目掛けて放たれる。


「いい踏み込みだ——。だが、遅い」


 瞬間、武聖の身体がブレる。そう感じるほどの速さで、床に向けた手を手刀の形にし、重力に逆らうように俺が放った拳を止めるように手首を強かに打つ。ビリビリと痺れ骨が嫌な具合に軋む音が俺の耳に届いた。


 これが玄武の型の本来の使い方……。文字通り、次元が違う……。

 気迫に押されぬよう、俺は崩しかけた型を維持してもう一つの拳を振り下ろす。

 瞬きすら許されぬ刹那の時が拡張された中で、俺は歯を食いしばり譲れぬ思いを込めた拳をただひたすらに、がむしゃらに武聖に向かって突き出し続けた——。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る