五十六話 水の精霊と聖女

 眠ってしまったバーヒル元将軍にしばらく付き添うというアルを置いて、俺たちは帝城内にあるマテリア皇家の者と、縁ある爵位持ちの貴族しか入れない豪奢なサロンに案内されていた。移動は皇家のものしか通れない特別な通路を使うという徹底ぶりに、この帝城内ももしかしたら安全では無いのでは? と不安にならざるを得ない。


 三日前にセシルから帝城に招待された時は、思わぬ邪魔が入ったからな。帝城内にも教会と通じている誰かはいそうだし、警戒は確かに必要だろう。


 そこそこの広さがあるサロンはまさに上流階級の社交場という雰囲気だった。だが、今このサロンは俺たちの貸切状態。

 最後に入ってきたセシルが以後、誰も入って来れないよう扉に鍵を掛けた。


 俺とアクエスは適当にふかふかの椅子に腰かける。皇家と縁あるものしか座れない椅子だけあって、なんとなくお尻がむず痒い——。セシルが一際豪華なソファに座るのを待って、俺はおもむろに口を開いた。


「人払いをしたってことは、詳しい話を聞かせてくれるのか?」


「……余り時間もありませんので必要な情報だけこの場でお伝えいたします。そして、この話をするからにはお二人にも協力してもらいたいのです」


「協力って? 何するの?」


 何処か刺を含ませた口調でアクエスがセシルに問い返す。二人共『水の精霊の巫女』ということだが、その具体的な役割についてはまだ分からない。


「帝城の地下区画に秘匿されている、深層領域へ続く『ローレライの門』の封印を解除する為です。五年前、先代皇帝である父上が亡くなってから、帝城内に素性の知れない者達が出入りするようになりました。彼らは帝城内の協力者と共に地下独房区画で大規模な工事を行い、恐れ多くも深層領域へ繋がる通路を作っていたことがようやく分かったのです」


「どういうことだ? それに何故部外者がそんな好き勝手を——」


「手引きしているのは第一から第七まである親衛隊を率いる隊長の誰かであると、私は睨んでおります」


 声を潜めて告げられた真実は、想像以上に残酷なものだった。親衛隊と言えば、皇帝陛下を守護する誇りある役職のはず。それがあろうことか、マテリア皇家のお膝元である帝城内で好き勝手していたというのは信じられない話だ。


 帝国の治安が年々悪くなっていく一方なのは、もはやマテリア皇家にかってのような求心力が無い……ということを暗に示している。これは、人々の間でまことしやかに噂されていることだった。


 そして、セシルの話ではマグノリアで起きたエーテル変質事件を機に、皇都でもある異常が確認されるようになったらしい。


「それが水質の変化か?」


「その通りです。皇都の全域を流れる水路の水が清浄なのは『水の精霊の御身体』がその力で水質を保っているからだと、皇家には代々伝わっています。つまり、御身体に何か異常が発生しているとしか考えられないのです」



 これまでことある毎に常識の及ばない現象に遭遇することは確かにあった。一年前に出会った桜の精霊に、エーテル変質事件でその片鱗を見せたシエラの聖女由来の力。


 しかし、ここまではっきりと精霊の存在が明言されることは無かったはずだ。

 マテリア皇家としても公に、ましてや連換術師にその事実をつまびらかにする予定は未来永劫無かったことだろう。帝国の中心たる皇都がまさか人知を越えた存在によって成り立っている都であることは、決して口外せず秘匿しておきたかった情報に違いない。


「いいの? そんな重要なことをこの場で明かして?」


「対の巫女たる貴女だって知っていたはずです。カマル王子の協力で、教会によって妨害されていた連換術協会の調査結果もようやく知ることが出来ました。次期皇帝としては不甲斐ないばかりではありますが——」


「知ってたのか? アクエス?」


「まぁ……ね。ただ、もう一人の巫女がまさか殿下だったまでは、知らなかったけど——」


「私も……最近まで知ることはありませんでした。水の精霊の巫女とは、力を失った『水の精霊(アクレム)』の代わりに皇都の治水を司る役目を受けた者。そして、それは少なからず聖女様とも無関係ではありません」


「どういうことだよ……。水の精霊と聖女が無関係じゃ無いって?」


「御身体を安置したのは聖女と水の聖人であると、皇家に伝わっているのです。八百年前、大河の氾濫により人が住める場所では無かった流域の土地を、その大いなる御技(みわざ)で人の住める土地に作り替えたと」


 ここでも聖女……か。災厄を鎮めたことといい、大河の叛乱を鎮め土地を作り替えたことといい、つくづくスケールの大きい偉業ばかりだ。先ほどアルが語った皇都の治水は、事実を知らない学者達が調査した皇都の成り立ちを彼なりに解釈したものだ。


 対して、セシルが語ったのは言わば裏の歴史。突拍子も無い話だとは思うが、現にこうして二人の巫女が目の前に居る時点で信憑性はあるのだろう。


 それに、聖女が確かに存在した証はマグノリアで嫌と言うほど思い知らされたからな——。


「皇都に巣食う秘密結社の巣窟を炙り出す日は既に決めてあります。皇太女の儀を執り行う前日しかありません」

 

 確かにもう時間が無い。どのみち二日後までにシエラを奴らから奪還出来なければ、俺の身柄は教会預かりとなる。もう、余り時間は残されていない。——覚悟を決める時が来たようだ。


「決行は明日、明朝。当日はカマル王子が秘密裏に皇都に呼び寄せたラサスムからの援軍を始め、様々な方達に協力していただく予定です」


「待った。セシルは知っていたのか? 根元原理主義派(アルケー)の拠点がこの帝城の地下にあると?」


「……黙っていてごめんなさい。私がそれを知ったのは偶然届けられたお姉様の手紙からです。帝国に沈殿する滓を一掃するのは、お姉様の一族の悲願でもあります。お姉様の行方が分からない以上、その役目は私が負うべきものですから」


 帝国を陰から支える守護者の一族、まさか師匠に秘められた過去があったとは——。皇都に来てから驚くことばかりだ。

 十一年前の宗教紛争から始まった一連の陰謀劇。根が深すぎる問題に、知らず知らずの内に巻き込まれていたのは俺がエリル師匠の弟子だったから……なのだろうか。それとも、俺の中に眠る人に在らざる力のせいなのだろうか?


「大規模な作戦になりそうだけど、打ち合わせとかは大丈夫なの?」


「ええ、つつがなく。ラサスム方面との連絡に関してはカマル王子が独自のルートでやり取りしてると伺ってます。それと——」


「それと?」


「いえ、後は当日のお楽しみとさせていただきましょう。出来れば連換術協会の皆様にも今回の作戦に協力していただきたいと思っております。急な話ではありますが東地区の本部に協力要請をお願いしたいのですが」


 ここで親衛隊の名が出てこないのは本当に信用していないからだろう。本当はアレンさんにも頼りたいのだろうけど、公爵閣下は自らの邸宅を第七親衛隊の仮拠点にしてまで、シエラの捜索に現在も全力を注いでいる最中だ。


 皇帝陛下が崩御されてから帝国が政治的に腐敗しなかったのも、セシルとアレンさんが二人三脚で政(まつりごと)を取り仕切っていたからこそなのだろう。この二人がいなければ、とっくの昔にレイ枢機卿を始めとする教会勢力によって政治の実権を握られていたのかと思うと、恐ろしい話だった。


 そこまで考えてふと思う。奴らがシエラを攫ったのは、セシルとアレンさんを一緒に行動させない為なのか? と。


「了解。本部への連絡は私達に任せて」


「いいのか? アクエス? 俺たちは奴らに見張られているかもしれないんだぞ?」


「ここ数日、実家の周囲も含めて怪しい気配や視線は感じていない。あの蛇の刺青を入れた女も聖葬人なんでしょ? 皇太女の儀は教会にとっても重要な儀式。次期皇帝にゴマをする絶好の機会だし、連中も今は私達に構うより、要人の護衛に聖葬人を使うはず。——あの女が本当に教会の暗部に所属していればね」


 そこまで考えて行動しようとしているアクエスに驚かされる。目の前のことだけじゃない。あらゆる可能性を考えて、最前の行動を模索する。俺に一番足りていないことだった。

 

 アクエスの表情は普段通りだ。

 泰然自若、それが彼女の在り方なのかもしれない。


「分かった。協会本部がどうなってるかも知りたいしな。——そうだ、セシルに見てもらいたいものが一つある」


 俺はアクエスから預かっていた例のアイマスクの破片をセシルに見せる。


「これは……?」


「三日前、シエラが連れ去られた時に根元原理主義派(アルケー)の構成員らしき女性が落としたもの……だ」


 ここで俺は言葉を区切りアクエスに目配せする。ヴェンテッラと名乗る達人と手合わせした彼女は左右に首を振る。余計なことは話さず、必要な情報だけ訊き出せってことだろう。


 大事な作戦前だ。余計な先入観をセシルに与えるのは避けるべきなのは、俺も同じ考えだった。


「特注品のようでさ。製造元がオズワルド商会っていう最近出来たばかりの商会であること意外、流通経路が分からないんだ。これはその女性が身につけていた銀製のアイマスクの破片の一部だ」


「そうですか……。すいません、お力になれなくて申し訳ありませんが——。グラナ? 今、オズワルド商会と言いましたか?」


「ああ、そうだけど?」


 セシルは失礼しますと一言断って、俺から破片を受け取り目を皿のようにして見定めている。

 何か思い当たることや見覚えでもあるのだろうか? セシルは震える手を押さえつけた後に顔を上げた。


「なんで? どうしてこれがここに?」


「セシル? 大丈夫か?」


「あ、すみません……。取り乱してしまいました——」


「いいけど、何か気になることでも?」


「エリルお姉様の一族に代々伝わる継承者の証と材質がとてもよく似ているのです。その名は『宵風の仮面』。影の一族を継ぐ者に継承されるもので……お姉様も持っていたはずです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る