二十八話 皇都の影に巣食うモノ

「ここまで来れば大丈夫だろう。連換術、解いて大丈夫だよシエラさん」


「は、はい⋯⋯。ふぅ——、やっと一息⋯⋯臭くてつけません」


 グラナとアクエスが巨大カエルを相手に奮闘している頃、シエラとアルは汚水に流されたと思われるラスルカン教過激派教徒達の行方を追っていた。

 下水道は下層から更に地下に向かって作られているようであり、入り組んだ通路は傾斜によって降りていくような作りになっているようだ。

 鼻を突くような悪臭はあの巨大カエルが発生源だったようで、徐々に薄れては来たものの、依然として下水道自体の不快な匂いが消えた訳では無く、二人はハンカチで口を覆いながら進んでいた。


 中世の時代に作られた遺構にしては、規模も大きく現在でこそ汚水の処理施設として使われてはいるものの、所々に散見される壁や柱に彫られた水の精霊アクレムの紋章や姿絵を見る限り、少なからず何かの用途で使われていた遺構なのかもしれないと、シエラは翡翠色の瞳にその光景を焼き付ける。


「しっかし——軽く幻滅したよ。帝国の近代都市国家モデルには多少の興味はあったのだけど、まさか処理しきれない下水は垂れ流しだったとはね」


「汽車の中でも話してましたね。皇都の治水について興味があると」


「おや、よく覚えていたね? 少しでも技術を学んでラサスムに持ち帰ろうと思ったんだけど、考えが甘かったかな? これは」


 自重気味にアルはやれやれと両手を上げるがシエラは気付いていた。飄々とした素振りを見せながらも東から来たこの美丈夫は、目に映る物全ての本質を捉えようとしていることに。その証拠に彼の視線は興味が無いことを装いながらも、遺構内の建築様式や素材に使われた石材、通路を明るく照らすエーテル灯などに注がれているのが良く分かる。


 そこにはラサスムの王族として、少しでも自国の民の為に何か出来ないか? と苦悩するアルの意外な姿がちらほらと垣間見えるようでもあった。


「アルさんはどうして帝国に来られたのです?」


「ん? なんだい? 急に?」


「いえ⋯⋯。ただ気になったものですから」


「そっか。⋯⋯外交上の関係で余り詳しくは話せないんだけど。まっ、シエラさんだけには特別ってことで」


 目の前を歩いていたアルはくるりと後ろを振り向く。初めて正面から直視したアルの姿にシエラは不覚ながらもドキリ⋯⋯せざるを得なかった。

 砂漠の灼熱の太陽で焼けた浅黒い肌に、月を思わせる黄金色の瞳。師匠とよく似た色合いの茶が混じった黒髪は艶めいている。高い鼻梁と彫りの深い端正な面持ちに、程よく鍛えられた身体は引き締まっており甘いマスクとのギャップが大人の色香を際立たせている。


 それはシエラが幼い頃に読み耽ったラサスムに伝わるお伽話に出てくる物語の主人公のようで——、年頃の女の子には刺激の強すぎる美丈夫の立ち姿であった。


「大丈夫かい? ぼーっとしてるけど?」


「ほぇ?? あ、すみません⋯⋯。つい、見惚れてしまって」


「今の言葉⋯⋯聞かなかったことにしとくよ。君の師匠に知られたらうるさそうだからね」


「そ、そうですね⋯⋯」


 コクリと頷くシエラにアルは堪えきれなくなったようでぷっと吹き出した。当人は悟られていないつもりのようだが、シエラに対して師匠として振舞うグラナの態度は、見る人が見れば少々どころか大分過保護と取れなくもない。

 その理由は恐らくだが彼はいなくなってしまったエリルから、精神的に自立出来ていないからであろうことは想像に難く無い。生き別れたのは今より五年も前、それもグラナが十二歳の時だ。

 幼い頃に流行り病で両親を亡くした彼にとっては、師匠である以前に歳の離れた姉のような存在だったということは、以前グラナがそれとなく話してくれた内容から薄々ではあるが感じていた。


 脅迫観念に近い自己犠牲の精神。それが今の彼を突き動かしているのだとしたら、仮に師匠であるエリルが既に亡き者であった場合、彼の精神はその喪失に耐えることは出来るのか?

 こればっかりは当人が乗り越えるしか無いのだが——。


 今は師匠の心配よりもやることがある。自分が師匠の心の支えであるならば、無事に彼と合流することが己が果たすべき役目だ、とシエラは己を律した。


「気になるけど、今は過激派の拠点を突き止めるのが優先です」


「了解した。それなら、目的は達せそうだよ。こっちへ」


 アルにさり気なく手を引かれ傾斜した通路を駆け下りて行くと、これまでとは違う雰囲気のホールのような場所に出る。空気にも変化が現れ悪臭はせず、その代わり土カビ臭い匂いがあたりに漂っていた。どうやら遺構の最下層に到達したらしい。漏れ出た地下水が石壁の隙間からちょろちょろと流れており、大きな水路に向かって流れていた。


「この水——、とても澄んでますね」


「どういう仕組みか分からないけど、悪臭もしないね。この遺構⋯⋯本当に下水処理施設なのかな」


 物陰からこっそり辺りを見渡すシエラとアルは、水路の水がやたらと綺麗なことに驚き戸惑う。

 飲み水にもなりそうなこれだけの量の水が、何故こんなところにあるのか? 分からないことだらけである。


「アルさん⋯⋯!」


「しっ、静かに。——アタリだね、なるほど⋯⋯こんなところに拠点を構えていたのか」


 ホールの奥。石壁が割れ目からパックリ開き、そこから数人の過激派と思しき男達が現れた。

 一様に口元を白い布で覆い、目だけを出している。そして男達の背後から背の高いラサスムの民族衣装を纏った褐色の大男と、この場に不釣り合いな燕尾服を着て山高帽を被り、ぐるぐると渦巻きのような模様がある眼鏡をかけた背の低い小男が並んで歩いて来るのを目撃した。


「馬鹿な⋯⋯あの方は」


「アルさん??」


 大男を一目見て唖然とするアルを気遣うシエラの耳に、聞かれてるとは思いもしないであろう彼らの話し声がホール内に響いて聞こえて来た。


「準備は順調ですか? ラサスムの将軍殿、ククッ」


「⋯⋯元将軍である。貴公の望み通り、この遺構中に白色玉アルベドとやらの設置は完了した。——しかし、こんな玉が何の役に立つ?」


「すとぉっぷ、将軍? 商機とは知られぬからこそビジネスチャンスなのですよ。守秘義務は守ってくださいな? ククッ」


「ほぉ? その立派な口髭、毟られたくなければ隠し事も程々にせよ。死の商人?」


「おや?? これは。一本取られましたかね?? ククッ」


 アルと同じくシエラも目の前の光景を注視する。

 そこには皇都へ汽車で向かう途中、師匠から聞かされた一年前にマグノリア貴族街で暗躍した連換術師の一人。『黄金の連換術師』と思しき男が、将軍と呼ぶ男と軽薄そうに会話をしていたのであった。

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