二十話 First day end 乙女達の休息

 夜も更けた公爵邸。

 思いがけず一つ屋根の下に集うことになった彼女達は、公爵邸自慢の広々とした浴室で一日の疲れを癒している最中だった。

 

 湯気立ち込める広々とした浴槽にはリラックス効果を高める、花びらが浮かんでいる。

 足を存分に伸ばして湯浴みをする彼女達の見目麗しい姿は、東方風の言葉を借りれば桃源郷とでも表現すればよいのだろうか。

 

 まさにここは花園であり、自然話題に上がるのは一人一人の体型と、恋の話であるのは想像に難くない。しかし、今朝グラナとギクシャクすることになった、ルーゼの姿だけはこの場に無かった。


「大丈夫でしょうか? ルーゼさん」


「本人もあの後、言いすぎたと反省はしておりましたけど。いずれにせよ、貴女が気に病むことはございませんわ、シエラさん。付き合いが長いだけに、抑え切れず感情が爆発してしまったのでしょうね」


 ルーゼを怒らせたのは自分のせいだと、ソシエからその後の顛末を聞いたシエラはしゅんと身体を縮こませていた。そんな彼女に寄り添うようにソシエはシエラの隣に身体を寄せる。普段はコルセットで体型を絞ってる分、一糸纏わぬその上半身の胸部は、たおやかな果実が湯の上に浮いていた。


「ソシエの言う通りさ。流石に鈍感過ぎるアイツも悪い」


「ん。事情はよく分からないけど、シエラの師匠が悪い」


 向かい側で寛いでいるクラネスとアクエスもうんうんと、ソシエに同感するように頷いている。

 

 湯気で隠れてはいるものの、着痩せする体型なのか、引き締まるところは引き締まり、出るところは出ているクラネスの女性らしい理想的な体型を、シエラは「はぅ⋯⋯」と頬を紅潮させ、気づかれないように視線をチラチラと送っている。

 

 普段から男性のような格好と言動をしている分、その艶姿はまるで別人のようでもある。

 そういえばと皇都に向かう汽車の中で師匠から聞いた一年前の事件について、一つだけ気になっていたことがあった。


「ソシエさんとクラネスさんは元々、幼馴染みだったのですか?」


「ど、どうしたんだい!? 急に??」


「⋯⋯⋯⋯」


 予想していた通り、明らかにクラネスの反応が怪しい。

 

 師匠は上手くぼかして話していたつもりのようだが、黄金の連換術師の動向を探る際に突如現れた、ソシエの幼馴染みの女性というのは流石に無理がありすぎた。

 

 マグノリアの一件以降、負傷した師匠をつきっきりで看病していたシエラは、市街騎士団詰所の医務室の前でなんとなく入るか入らざるか悶々とした挙句、諦めてすごすごと執務室に戻って行くクラネスの姿を何度か目撃している。


 そして、この反応である。師匠とソシエの馴れ初めの話であるはずにも関わらず、終始その話の中心にいたのはどう取り繕ってもクラネスだ。つまり、師匠が語ったソシエの幼馴染みの女性とはクラネスという簡単な連想だ。

 

 どうやら、その想像は当人の反応を見れば当たっているようだった。



「シエラさん? その話、グラナから聞いたのですか?」


「そうですけど、ソシエさん——。目が怖いです!?」


 気づけばソシエの表情は冷たい笑みに変わっていた。暖かい湯に浸かっているはずなのに底冷えのする冷気すら感じる。


「ん? つまり、どういうこと? シエラ?」


「アクエスさん?? 貴女にはそもそも関係ない話です。下手に首を突っ込んだらどうなるか、その身に教えてさしあげましょうか??」


 空気を読まず、興味深々の眼差しをシエラに送っていたアクエスにソシエが冷気のような視線を向けた。絶対零度すら生温い眼光に、怖い物知らずのアクエスも思わず後ずさる。

 

 これ以上、この話題に踏み込むべきでは無い——と、本能で悟ったシエラとアクエスはどちらからともなくソシエから距離を取り、温かい湯船の中、二人で手を取り合いカタカタと震えている。だが、この混沌とした状況を更にかき乱したのは、渦中にいる当人自身であった。


「まぁまぁ。いいじゃないか、ソシエ? それくらい話してあげても?」


「⋯⋯クラネス様。せっかく、わたくしが憎まれ役を買って出たのに、それでは意味が無いですわ」


 自分を守ってくれてるとは露知らず、クラネスは笑ってソシエを嗜める。

 そういえば、お姉様も割と空気読めない方でしたわねと、ソシエは額に手を当てて嘆息した。


 一年前、貴族街の神隠し事件で偶然にもグラナが知ることになったクラネスの正体とは詰まるところ、これから彼女の職場となる親衛騎士隊では絶対にバレてはいけないことでもある。

 

 クラネスの養父、ミデスと懇意であったジークバルトの口添えで実現したこの異動の話も、もし皇帝陛下暗殺の逆賊の汚名を着せられている者の娘と知られれば、立ち消えどころかクラネス自身の命の保証も無い。

 

 後でグラナに行う敬語のレッスンは、ハードにやろうと、ソシエは心に固く誓った。

 目に入れても痛く無い弟子からせがまれて止むを得ず話したようだが、もう少し上手く話せないものなのかと歯噛みしながら。


「今まで黙っていたが、私はこう見えても元貴族でね。ソシエとは幼い頃からよく一緒に遊んだ仲なんだ。色々あって貴族の爵位は剥奪されたのだけどね」


「お、お姉様!? シエラさんだけならまだしも、今日あったばかりのアクエス様がいる前でそれを話しますの!?」


「大丈夫。こう見えて口は硬い」


 アクエスは口をつぐんで湯の中に顔を半分だけ沈め、ブクブクと泡を立てた。

 お姉様?? とシエラはソシエの聴き慣れない、クラネスに対しての呼び方に疑問符が頭に浮かぶ。一体、どういう関係なのかと。


「別に隠すようなことでも無いだろう。一年前、グラナには既に話してしまったことだし。弟子であるシエラさんにも、知る権利はあると思うよ。アクエスさんも悪い人では無さそうだしね」


「——お姉様」


 ことここに至っては止めるだけ野暮と思い直したのか、ソシエはそれきり口をつぐんでしまった。立ち入った事を聞いてしまったと、慌てたシエラは湯船から立ち上がり深々と頭を下げる。


「ごめんなさい。出過ぎた事をお聞きしました」


「別に気に病む事は無いよ。ソシエはこう見えて結構な心配性でね。だからこそ、商売に向いてるのだろうけどね」


 そう言ってクラネスはシエラに気にしないで、と微笑んで見せた。普段の凛々しい姿の彼女からは想像も出来ない穏やかな表情に、シエラは目が釘付けになる。

 

 なんて——綺麗なのだろう、と。


「ところで。その男っぽい喋り方や、男性のような格好は好きでやってるの?」

「え? あ、ああ、そうだとも。昔から男子に混じって剣の稽古に励んでいたからね。知らず知らずのうちに、女性らしい話し方や振る舞い方を忘れてしまったんだ。こ、これでも色々苦労してるのさ? あはははは⋯⋯」


 アクエスの鋭い指摘に目を泳がせながら誤魔化すクラネスの姿に、ソシエはヒヤヒヤしっぱなしである。このままではいつ、一年かけて身につけさせた女性らしさが、ぽろっと出てしまうか気が気で仕方が無い。


(嘘が下手なタイプか、ふむ)


 ぶくぶくと泡を吹かしながら思案するアクエスは、笑って誤魔化そうとするクラネスに疑惑の眼差しをじっと注ぐ。そして密かに忍ばせていた水属性の連換玉を静かに励起させた。


(ま、待ってください、アクエスさん。連換玉なんて作動させてどうするつもりです!?)


(む? 必要最低限のエーテルと水の元素しか使って無いのに、よく気づいたね? シエラ、もしかしてエーテル感知能力高い方?)


(まぁ、それなりに。話を逸らさないでください!! 連換術で何をするつもりですか!?)


(お風呂で女の子同士が集まったら、必ずすることといえば、相場は決まってる。すなわち、互いの発育状況の確認)


(え?? ええええええ??)


 まさか、そんなことの為に、連換術を使うつもりなの?? と、もはやアクエスの思考はシエラの理解の範疇外であった。とにかくそんなことはさせないと、アクエスを止めようとするが一足遅く——。


(元素⋯⋯結合)


 アクエスのボソッとした呟きと共に、湯船にお湯を垂れ流していた獅子の像の口から濃い霧が発生し、浴室全体が覆われた。


「な、なんだ。急にミストが——。この浴室はサウナにもなっているの⋯⋯ひぅ!?」


「ほほう? 湯気でよく分からなかったけど、Cはあると見た」


 気づけばクラネスの背後に回り込んだアクエスは、湯船の中にクラネスを引き摺り込み、後ろから両手で抱きつくようにして双丘の大きさを確かめていた。僅か十秒にも満たない一連の動作に、もはや驚き呆れるしかない。


「あ、アクエスさん?? 一体、何を——」

「裸になっても、尚、仮面を被る騎士団長の化けの皮を剥ぎたくなった。単なる知的好奇心」


 ニヤリと笑ったアクエスはそのまま、両手で細身の体型にしてはたおやかな双丘を揉み始めた。突然の事態にソシエは見ていることしか出来なかったが、濃い霧の中から聞こえる喘ぎ声にハッと我に返る。


「お、お姉様!? お気を確かに!? ……アクエスさん?? 流石に悪ふざけが過ぎますわよ」


「ひっ。た、助けて、ソシエ————!?」


「く、クラネスさん⋯⋯??」


 クラネスらしからぬまるで生娘のような悲鳴に、シエラは最早何がなんだか理解も出来ない。

 濃い霧に覆われた浴槽内を手探りで移動し、ソシエがクラネスを助けに行こうとしたその時、浴室の扉が勢いよく開かれた。


「浴室で何、遊んでるのよ。貴女たち」


「ルーゼ⋯⋯さん?」


 バスタオルを身体に巻き不機嫌そうな目付きをしたルーゼが、ずかずかと浴室に入ってくる。

 外気が入ってきたことで幾分さっきより視界が良くなった浴室の惨状を見て、ルーゼはふん!! と鼻を鳴らしバスタオルをはらりと剥ぐと湯船にドボンと飛び込んだ。


「きゃっ、ルーゼさん!? 何を——」


「決まってるでしょ。あの鈍感馬鹿甲斐性無しの誠意もへったくれも無い、謝罪聞かせられてイライラしてるの。 ——しばらく一人になりたいから、さっさと出てって貰える? 全員、即刻!!」


 その余りの剣幕に、悪ふざけしていたアクエスも思わず手を止めた。

 這々の体で浴室からバスタオルを身体に巻いて、出て行くシエラ達を気にも留めず、ルーゼは声も枯れよとばかりに吠えた。


「グラナの馬鹿————!!」

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