第三話 大空を翔る白き翼④ ~その名は~

「えっと……どちら様でしょうか」


 偉そうな声の持ち主は、青のネクタイから察するに二年生の男子だった。


 細身長身で少し金色かかった髪を逆立て、クイッと直したメガネをキランと光らせたりしている。


「フン、何やら新入生が変なことをしていると聞き校内を探してみれば……今朝我が校の歴史に泥を塗った召喚科だったとはな。まったくフェルバン魔法学園の品位も地に落ちたものだ」


 堅苦しい長台詞に耳が痛くなる。なにせ今指摘された事は全て事実でしかないからだ。


 しかしシバは少し違ったらしい、少しだけ鼻息を荒くして謎の先輩に食って掛かる。


「いきなり失礼ではありませんか先輩。愛するものをただ愛していると告げる事は何よりも尊いと僕は思うのですが……それとも出会い頭に人の友人を馬鹿にすることがこの学園の品位だとでも?」

「ま、まぁまぁ落ち着こうぜシバ、気持ちは嬉しいけどさ……どうもすいませんねお騒がせして」


 俺は小さく頭を下げ、シバは腕を組んでそっぽを向く。


 気持ちはわからない訳じゃないけどさ、ここは穏便にね。


「全く初めから素直にそうすれば良いものを……おっとこれはこれは学園長、ご公務お疲れ様です」


 謎の先輩は俺の足元にいる学園長に気づくと、深々と頭を下げた。




 ――公務? 女子更衣室と女子トイレに入る事が? この犬これで給料もらってるの? 違うよね?




「しかし下らない事に学園長のお手を煩わせるとは、どうやら礼儀というものを教わって来なかったらしい」

「何を」


 その言葉にまたシバが顔を突き出すが、俺は手を伸ばして制止する。どうやらこの二人の相性はあまりよろしくないらしい。


「はぁ田舎者なんでね、すいません」


 また小さく頭を下げれば、今度はため息が帰ってきた。


「それにしても……何をしていたのかね君達は」


 いきなり俺達を捕まえようとしないあたり、どうやらそこまで横暴な人じゃないらしい。


 オリエンテーションの日に襲いかかってきた召喚科の連中と比べれば、その対応はまさに雲泥の差と言って良いだろう。


「それはもちろん女子更衣し」


 シバの口を急いで塞ぐ。危ない危ない。


「えっと探し物なんです。ある女子生徒に……叡智の欠片を探してほしいって頼まれて」

「それで新入生の君達が探していたと?」

「そうですね」


 そう答えると、先輩はその口元を大きく歪めた。それからわざとらしく額を押さえて高笑いなんてされてしまう。


「ハハハハハハッ! どうやら冗談だけは学んできたようだな!」


 そんな物言いに思わず腹が立ってしまう。けど、我慢だ我慢これ以上揉め事は起こしたくない。


「良いか貴様ら、これを見ろ! このバッジこそが生徒会役員たる証!」


 と、ローブの襟を掴み、そこにある琥珀色の宝石があしらわれたバッジを外し突きつける。


「またの名を……叡智の欠片だ!」

「へー」


 なるほど、探してたものの正体はこれか。リタ先輩が欲しかったのは、尊敬されたかったからだろうか。


「そう、生徒会庶務であるこのマシュー・ブラオールのようにふさわしい者が持つべきものだ!」


 ふふんと鼻を鳴らす謎の先輩改めマシュー先輩。


 語気を強めるあたり、この学校における生徒会役員はおいそれとなれるものでは無いのだろう。


 それか物凄い嫌われ者で、生徒会役員をボコってやったぜへっへっへこれが証拠の叡智の欠片だぜみたいな場合。いや後者は流石にないか。


「それはまぁ……わかったのでちょっと貸してもらえませんか?」


 何にせよ、俺達としてはとりあえずリタ先輩にあれを渡せば済む話。


 果たしてそれで友達が出来てついでに召喚科の地位が上がるかはわからないが、それはまず手に入れてからの話。


「話を聞いていたのか君は?」

「いやそれぐらい彼女もわかっていると思うんです。だから何か別の用途があったとか……」

「フン、その答えにたどり着く程度の頭はあるようだな。いかにもこの叡智の欠片には身につけた者の魔力を高める効果があるのだ」

「なるほど、それであの人探してたのか」


 ようやく合点がいった。


 あのバッジをこっそり持って魔法を使って、きゃーリタさんすごいねみたいなきっかけが欲しかったのだろう。


「とりあえず……貸してもらってもいいですか? ほんのちょっとの間でいいので」

「良いわけ無いだろ、これを紛失するという事は即ち生徒会役員からはずれる事を意味するのだぞ」


 じゃあ一日ぐらいマシュー先輩に休んでもらって、と思ったが流石にそれは無理だなうん。


 どうやら俺達が思った以上に厄介な代物らしい。




 ――となると、取るべき行動は少しだけ。


「どうしよシバ、一旦退く?」


 撤退。




 そして作戦を立て直すのが一番だろう。少なくともこのまま女子トイレの前でこれ以上話し合うのは得策じゃない。


「そうだね、彼が交渉に応じてくれるとは思えない。生徒会役員のバッジだというならもっと別の役員あたりを」


 とシバが言いかけたところで、マシュー先輩に駆け寄る白い影。


 っていうか学園長。


「あ、学園長」


 そのまま先輩に飛びつくと、噛んだ。


 思いっきり叡智の欠片を掲げる手に噛み付いた。


「痛いっ!」


 とっさに叡智の欠片を落とせば、学園長がそれを加えて戻ってくる。


 尻尾を嬉しそうに揺らしながら、まるで仕留めたネズミのように俺たちに突き出してくれた。


「あ、どうも」


 シバがそれを受け取り眺める。ちょっと俺にも触らせて欲しいな。


「きさ……貴様らあっ! 何をしたあっ!」


 当然のようにマシュー先輩が叫ぶ。いや叫ぶのはわかるんだけど貴様ら何をしたって台詞はどうだろう。


「いや学園長が勝手に……というか見てましたよね!?」

「そんなわけ無いだろう! 貴様らがどうせおかしな魔法でも」


 マシュー先輩は目を血走らせ、腰から下げた魔導書を開く。


 そして込められた魔力が一枚のページに注がれる。うわこの人も攻性科か、とことん相性悪いんだな俺達召喚科と。




「……使ったのだろうが!」




 氷の礫が生成され、そのまま俺たち目掛けて勢い良く飛んできた。


「こわっ、逃げるぞシバ!」


 ので、振り返って逃げる。


 そうだもうこの人に用はないさっさと手に入れた戦利品をあの先輩に渡せば済む話ださあ全力で走ろうかどこまで逃げればいいだろうか。


「あ、待ってくれたまえマイフレンド! 僕は!」


 と、ドスンと言う鈍い音が廊下に響く。振り返らなくたってわかる、こけたなこいつ。


「運動が……苦手なんだ」

「そういえばそうだった」


 ため息が出る。


 素直に鬼ごっこをしていた方がのちのちシバのためになったんじゃないかと後悔するぐらいには。


「とりあえずこの叡智の欠片を……受け取ってくれ!」


 走り出すマシュー先輩が、倒れたシバに蹴りを入れようとする。


 だが、稼いだ距離はそのまま時間に変わっていた。シバがその手にある小さなバッジを、俺に放り投げるぐらいの時間に。


「任せとけっ!」


 シバの下手投げは年寄りみたいにヘロヘロな軌跡を描いたが、それでも俺は何とか掴む事が出来た。


 握った右手をゆっくり開き、左手でそいつをつまむ。


 綺麗だった。太陽を反射する琥珀色の宝石は、そのまま夕暮れを閉じ込めたように輝いていた。


 それはまるで、誰かの黄昏の記憶。




 ――例えばそう、あの夕日に向かって翼を広げた。




「あ、消えた」


 弾けた。


 比喩じゃなく、叡智の欠片は砕け散った。割れた? にしては破片も残っちゃいない。何だったのだろうか今のは。


 と、ここで顔をあげる。


 そこには全身を固まらせたマシュー先輩の顔があった。えーっと、何だっけこれ無くしたら生徒会役員じゃいられなくなるんだっけ? 


 いやね、本当ちょっと借りようとしただけなんですよね別に怖そうとかそんな気持ちは無かったんだけどね。


 せめて言い訳ぐらい言いなさいよアルフレッドほら動け俺の口なんかあるだろ都合のいいのが。


「か、霞でできてた」

「そんなわけあるかあああっ!」


 はい、そうですね宝石でした霞じゃないです。


「貴様、自分が何をしたかわかっているのか! 代々生徒会役員が受け継いできたバッジを、叡智の欠片を……どうしたというのだああっ!」


 怒り狂う先輩が、魔導書に刻まれたいくつもの紋章に魔力を注ぐ。


 氷の礫に氷の槍に氷の剣に氷のナイフにって刃物多いですね殺そうとしてますねこれ。


「しっ、知りませんってば逃げるぞシバ!」


 まだ倒れているシバに駆け寄り抱きかかえる。


 流石にこのまま置いて逃げるのは色んな意味でよろしくない。


「僕のことはおいていってくれ給えマイフレンド! 故郷にはそうスジャータには……僕が勇敢だったと伝えてくれ!」

「女子更衣室に笑顔で侵入したときは特にな!」

「それは……格好悪いな!」


 何とか立ち上がるシバだったが、その瞬間飛んでくる幾つもの魔法。


 すんでのところで避けるものの、掠めた冷気が皮膚を裂く。




 駄目だ、逃げられない。


 だったら出来ることはもう一個しか残っちゃいない。




 人差し指を真っすぐ伸ばし、立ちはだかるマシュー先輩を指す。そして戦うための魔法は、俺達には一つしか無い。


「はっ、召喚科風情が何をするつもりだ!」

「自分で答え言うなっての」


 描く軌跡は五芒星。


 そして叫ぶ。きっと彼女に届くと信じて。


「来い……エル!」


 五芒星の中心を殴りつける。何も起きない誰も来ない。


「あれ」


 とりあえずもう一回。描く軌跡は五芒せってくどいっての。


「来て下さいお願いします……エル!」


 言い方が悪かったのかなと、台詞を変えて再チャレンジ。


 はいエル来ませんね。おかしいですねこれ。


「おかしくない?」

「わかったぞアルフレッド君、彼女は今……保健の授業中だ!」


 確かに。


 いや確かにそうだけどとりあえず逃げるしか無いじゃないかやっぱり。


 今度はシバが転ばないように、その背中を俺が押しながら走る走る。


「ハッ、どうやら新入生は猿でも出来るような魔法も使えないらしいな!」


 一呼吸おいて、またマシュー先輩が氷の武具を生成する。


 俺が何故か猿でも出来る魔法が使えない今、残された手段はもうこれしか残っていない。


「シバ! 召喚獣を呼ぶんだ!」

「ああ、心得た!」


 心強くシバが頷く。


 走りながら五芒星の軌跡を描き、彼らしく上品な前口上を付け加えて。


「契約に従い僕の前に姿を現せ!」


 そしてその名を。




 名前を。




「……名前まだ決めてなかった」


 今度は俺が転ぶ番だった。それも思い切り顔面から。


「ちょっとお!」

「いや2つまで絞ったんだ。スジャータと僕の名前をとってスジャーバかシバータか」


 立ち止まったシバが頭を捻りながらどう考えてもいじめの対象になりそうなぐらい語感の悪い案を出してくれた。


「どっちも却下だ子供に絶対つけるなよ!」

「む、そんなに言うなら君が考えてくれないかな!」


 恐る恐る振り返れば、もう先輩の魔法は向かって来ていた。時間はない。


「後で文句言うなよ!」


 えっと確かシバの召喚獣は白い鳥だったっけか。鷹っぽかったかな? そうだな空を飛んでる白い翼で。




 ――ああそうだ、知っている。


 いつ、どこで? わからない、思い出せない。


 けれど、あの姿を覚えている。


 誰よりも気高く誇りを持って、大空を翔る白き翼。


 黄昏の世界に向けて、飛び続けたその名前を。




「グリフィード」




 つぶやいた。口元からこぼれた言葉は、シバの魔法陣に光を与える。


 瞬間、視界が白く埋まった。その正体に気付いけたのは、数枚の羽がゆっくりと空を舞ったから。


 彼の翼が広がった。その体躯は獅子のようで、四つの足で地面を踏みしめる。


 向けられたその顔は、まさしく鷲のもの。




 幻獣グリフォン。それが目の前にいた。




「……えっ何これ」


 いや、いたじゃないよグリフォンって。絵本とかお伽噺の生き物でしょ君随分前にはいたらしいけど絶滅したって入試にも書いてあったでしょなんでいるのおかしくない?


「ふむ、良い名じゃないか……いや、違うな。きっと君はずっとその名だったのだろう」


 当のシバは、流石というべきか幻獣の頭を優しく撫でた。


 肝座ってますねさすが普段から現実見えてないだけありますね。


「よろしく頼むよ、グリフィード。まずはあの」


 シバが指差した先には、目の前にいる生物を理解出来ないって顔をしたマシュー先輩がそこにいた。


 そりゃそうだろう、なにせグリフォンだ。化石すら残っちゃいない、ただ伝承に謳われるだけの生物。それがシバの命に従って、まっすぐと自分を睨みつけるのだ。


「わからず屋を……吹きとばせ!」


 啼いた。


 耳に残るあまりに高すぎる音で、その声帯を震わせた。そしてその羽根をただゆっくりと、扇のように仰いでみせた。


 巻き起こる二つの竜巻が、狭すぎた廊下を駆け抜ける。


 扉を、ガラスを巻き込みながら一直線に向かっていく。そんな暴風に為す術もない先輩は、そのまま廊下の端まで吹き飛ばされた。


 ゴンッ、という鈍い音が響いた。頭打ったねあの人。


「ふっ、どうやらどちらが学園の品位を落としていたかこれでハッキリしたようだね」


 顎に手をやりながら、シバが得意げな顔でそんな事を言う。


「いや、シバ」


 なんですけどね、目の前には頭打って気絶した生徒会役員に散乱する窓ガラスやら扉やらで騒ぎに気づいた他の生徒や教師が教室からわらわらと顔を出してきてね。




「これ……やばいよね」




 頷く俺達。えーっと召喚科の地位って何だっけ。


「そうだアルフレッド君、鬼ごっこでもしようじゃないか。鬼は……そうだな、この現場の目撃者だ」


 グリフィードの背に乗るシバ。無言でその後ろに乗る俺。


 そうそうライラ先生もそうしとけって言ってたんだっけ。


「さぁ、大空を行け……グリフィード!」


 窓ガラスを枠ごとぶち破って、グリフィードは空を舞う。シバと俺を乗せ、あの太陽に向かっていつまでも。


 見下ろす度に魔法学園が小さくなる。ここで過ごしたあの日々が世界のほんの片隅での出来事だと教えてくれたような気がした。


 それは一瞬だけど、確かにいつまでも輝いている宝石のように思えて、気づく。




 ――俺、今度こそ退学かなって。

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