ダミアン

谷村にじゅうえん

第1話

香りは混じり合ってはじめて匂い立つという。


調香師のダミアンを知ったのは10年も前のことだ。

天才と呼ばれてはいたが、気分屋で仕事をえり好みする。

仮に仕事を受けたとしても相場の10倍はふんだくるってことでも有名だった。


ところが老舗ファッションブランドの2代目である父は彼のことを気に入っていて、自社ブランドの香水を任せていた。


歳は俺より一回り上。ひょろりと背が高く、病的にも見える白い肌。

白衣をなびかせて歩く姿はまるでバンパイアみたいで。

子供の頃の俺はどうしてか、ダミアンのことが恐かった。


なぜ父は彼を使うのか。

その謎が解けたのは大学を卒業し、父の会社の商品開発部を任されてからのことだった。

ブランドで扱う香水を、どの調香師に頼んでも満足できないのだ。

どうもダミアンでなければ、俺の納得できる香りは出せないらしい。

それで一度外した彼を呼び戻そうと、俺は何度も工房の門を叩いた。


4度目にしてようやく工房の中に通される。

そこは病院の地下にある、遺体安置所を思わせた。

花、草木、鉱物……あらゆるものがガラス瓶に閉じ込められ、いくつもの背の高い棚を埋め尽くしている。

素材保護のためなのか照明が抑えられ、景色が半透明の闇に沈んでいた。

違う次元にでも迷い込んだよう気分になる。


「坊ちゃん、立派になられましたね」


声をかけられて、無音で近づいてきた男に気づく。

ダミアンだった。

5年は会っていないはずだが、彼の若さは以前と変わらないように思う。

不思議な人だ。


「ダミアン、不義理をして悪かった。機嫌を直してくれないか?」


そう切りだした俺に、彼は薄笑いを浮かべてみせた。


「わたしは香りのわかる人にしか、香りを作ってさしあげませんよ」


彼の鼻先が俺の首筋に近づく。


「俺は香水は身につけないが、香りの違いはわかる」

「香水というのは肌の温度で気化させて、本来期待されている香りを放つものです。そして単体で楽しむものじゃない、肌の香りと混じり合って成立する」


彼は呆れた口調で言いながら、俺のネクタイを解いてしまった。

シャツのボタンが、上から順に外される。

香りを確かめるように、また首筋に彼の鼻先が触れた。


彼の作った香水のひと振りでもしてくればよかったのに。

匂いとしては裸で来てしまった自分を後悔する。


「勉強し直して来いということか」

「また来るつもりなんですか」

「あなたを諦めきれない」


至近距離で目が合った。

さらけ出された胸元を、彼の冷たい指がたどっていく。


「人の体臭は大きく分けて12種類。年齢や生活環境でも変化しますが、基本の型は生まれつきです」


何を思ったのかダミアンが、棚の香水を俺に向かってひと振りする。

甘さの奥に苦みの覗く香りが立ち昇った。


「あなたが大学に入る年、貴社の依頼で作った13番目の香水です」


確かに知っている香りだ。

ダミアンの表情がわずかに色気を帯びる。


「試作時には試せなかったが、やっぱりあなたに似合うようだ」


香る胸元を、彼の手のひらがさらりと撫でた。


「坊ちゃん」


作業台に寄りかかっていた俺の体に、ダミアンが体重を預けてくる。


「あなたが試作のキャンバスになってくれるなら、また御社の依頼を受けましょう」

「手伝うのは構わないが……どうして俺なんだ」


また仕事を頼めそうだという安堵感、そして体を触れ合わせる興奮に、心臓が落ち着かないリズムを刻んでいる。

彼がどこか甘い響きのある声で囁いた。


「話、聞いていなかったんですか? つまり私は昔からあなたの香りが好きなんです」


思わず彼の白い首筋に欲情する。

俺がこの人を苦手だったのは、こうなることがわかっていたからかもしれない。

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ダミアン 谷村にじゅうえん @tanimura20yen

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