第三十九話 マジシャン
長野県T町にある、新井総合病院の研究施設。その入り口に紺色の車が近づいてきた。閉ざされた門の前で停まると、運転席のウインドウが下がっていく。
守衛室から出てきた制服姿の男が車へと近づいた。
「どういったご用件ですか」
運転席に座る御園が内ポケットから何かを取り出した。
「警視庁 組織犯罪対策第五課、銃器薬物対策第一係の御園だ」
縦に開いた手帳には顔写真とともに金色に光る記章があった。
「新井院長はここにいるか」
「あ、はい、先ほどお見えになりましたが」
いぶかしげに守衛が答える。
「殺人教唆、覚醒剤取締法違反、薬事法違反、監禁罪の疑いで本施設の捜査に入る。門を開けろ」
突然のことに目を丸くした守衛があわてて守衛室に戻る。その背中に御園が大きな声を掛けた。
「管理室には連絡するなよ! 証拠隠滅の恐れがある。お前も共犯として逮捕することになるぞ」
その声に振り向いた守衛は、助手席から出てきた南条がデジタルカメラで撮影しているのを目にした。
「俺がはっきりと告知したのも動画に撮ってある。あとで言い逃れは出来ないからな」
「わ、分かりました」
すぐに門が開いていく。
「長野県警がこちらへ向かっている。それまでここで待機して、出て行く車両があれば止めてくれ。よろしく頼む」
片手をハンドルに添えながら御園が敬礼をすると、守衛が直立不動で敬礼を返した。
「あのおじさん、警視庁から来た刑事さんのファンになったんじゃないかな」
助手席の南条がおかしそうに笑う。
「まったく。係長にばれたら始末書もんだよ」
「間違ったことは言っていないじゃないですか。手続きは正しくないのかもしれませんが」
ぼやく御園に散冴が後ろから声を掛けた。
「さぁ、最大の関門は突破したから次は管理室を制圧しなきゃ」
南条の声は弾んでいた。
管理棟前の駐車スペースには白いワンボックスカーが停まっている。その隣へ御園は車を入れた。
散冴は山高帽を手にして後部座席を降りる。三人は御園を先頭にして管理室へ向かった。カウンターの向こうでは二人の男性が事務机に座り作業をしている。
「警察だ。すぐに作業を止めて机から離れるように」
御園は警察手帳を開いて掲げながら声を張り上げた。さきほどの守衛への通告と同じように話す様子を、南条はデジタルカメラで撮影していく。
四十代くらいの男がパソコンのキーボードに手を伸ばそうとした。
「動かないで!」
散冴が鋭い声を飛ばす。男はびくっと身体を震わせ手を引っ込めた。すぐに南条が回り込んで表示されている画面を確認する。
「何のデータだろうねぇ」
南条はバッグからUSBを取り出しデータを保存した。
「防犯カメラのモニターはどこにある」
御園の声に白髪の男が視線を一瞬だけ動かした。それを見逃さず、御園がモニターに近づいていく。
「山高」
十二分割された画面を目で追っていた御園が散冴を呼んだ。
散冴もモニターに目を落とす。
「土曜日のせいか、職員の姿がほとんどありませんね」
「ここを見ろよ」
御園が指さした先には応接セットに座る三人の男が映し出されている。
新井と大城、李だった。
「いまならお前さんの仲間たちへの監視も手薄なんじゃねぇか」
ささやいた御園へ散冴がうなずく。
振り返って、立ったままの二人の男へ問いかけた。
「昨日ここへ来た運送会社の配送員はどこにいますか」
「……研究棟へ案内しました」
南条の近くにいた男が伏し目がちに答えた。
「ビンゴ」
南条は満面の笑みを散冴に向ける。
「ここは俺だけでいい。お前さんたちは研究棟へ行ってこい」
御園に促され、散冴と南条は管理室から小走りで出ていった。
研究棟につながる渡り廊下まで来ると二人は足を緩めた。すぐ横の階段を警戒しながら南条がバッグから一枚の紙を取り出す。
「津島さんから聞いていた倉庫は、あの三つ目のドアだね」
図面と見比べながらベージュ色のドアを指さした。ドアに小窓はなく、廊下の壁にも換気窓さえない。
「あそこに二人が監禁されているとしても、これじゃ中の様子が分かりませんね」
「こんなこともあろうかと準備は万端だから」
「どうするつもりですか?」
「まぁ任せてよ。僕はマジシャンだからさ」
南条は笑みを浮かべ、スマホを散冴へ手渡した。
「ここに中の様子が映るから。タイミングを計って後から突入して」
そう言うとドアのレバーに手を掛け、いきなり開けた。
「なんだお前は!」
突然入ってきた南条へ、髪を刈り上げた男が凄む。
南条は素早く室内を見回す。
奥のパイプ椅子にはラファとめぐみの姿があった。うつむいていた二人が顔を上げる。その隣に座っていた若い男も南条を見た。
南条は黙ったまま、人差し指をまっすぐと立てて口の前へ持っていく。右手には小型のトランシーバーのようなものを持っていた。
「何してる!」
なおも近づいてくる刈り上げ男へもう一度、人差し指を口の前で立てて見せた。右手の機器を壁や天井に沿わせてゆっくりと歩いていく。
南条が何をしているのか、男たちにも伝わったらしい。黙って見守るようになった。
部屋の奥へと進んだときにラファ達の背中をちらと見た。二人は後ろ手に手錠をかけられているだけで、椅子に縛りつけられてはいなかった。そのまま南条は通り過ぎ、一周回って入口へと戻ってきた。
刈り上げ男に向かって指でOKマークを作ると、お辞儀をしながら近づいた。
「盗聴、なし。分かりますか。
満面の笑みで右手を差し出す。
そのとき、素早くラファと目を合わせた。
刈り上げ男は南条につられて右手を握り返した。すぐにけげんな表情を浮かべ、右手を離して手のひらを開いて見る。
「
大声を出した奴の右手には黒と黄色のまだら模様をした大きな蜘蛛が張りついていた。反射的に手を振って払おうとしている。
何事かと若い男も立ち上がった。
そのあごを目がけてラファが飛び跳ねるように勢いよく頭突きを喰らわす。
ドアが開き、散冴が飛び込んできた。
その姿を見てめぐみが短く叫ぶ。
「散冴くんっ!」
彼女の声に構うことなく、散冴は刈り上げ男の顔へ右拳を放った。傷口が痛むのか、顔をゆがめる。
ラファは、腰をかがめた若い男の顔を膝で蹴り上げた。勢いよく首を後ろへ反らせた男は崩れ落ちるようにしゃがみこむ。
散冴が殴った刈り上げ男には南条がスタンガンを押し当てた。うめき声とともに男はぐったりと動かなくなった。
あっという間の制圧劇だった。
「散冴くん……」「サンザさん!」
後ろ手に手錠を掛けられたままの二人が駆け寄る。
「本当に死んじゃったと思ったんだから」
めぐみは涙ぐんでいた。
「私自身も覚悟しましたから。どうやら悪運だけはいいようです」
「悪運だろうが何だろうが、とにかく無事でよかった」
ラファの目にも光るものがある。
南条が刈り上げ男のポケットをまさぐって鍵を取り出した。二人の手錠を外す。
「それにしてもラファくん、ちゃんと分ってたねぇ。さすが、僕が仕込んだだけある」
「南条さんから仕込まれた覚えはありませんよ」
そう返した後でラファはにやりと笑い、言葉をつづけた。
「俺たちは意思の疎通もバッチリのはずでしたよね、清掃会社の山本さん」
南条の顔がほころんだ。
「ひとまずここを脱出しましょう」
めぐみの背中へ右手を回した散冴がドアに向かって体を
「痛むの?」
「ええ、少し。でもここへ来たときに痛み止めを飲んだのでそろそろ効いてくるでしょう」
「まさかAAAを使ってないよね」
真顔の南条が一呼吸おいて口角を上げる。
「南条さんのジョークは分かりずらいんだよなぁ」
ぼやくラファが最後に部屋を出た。
四人が渡り廊下の中ほどまで来たときだった。
管理棟側の階段を大城が新井と並んで降りてきた。右手には棒のようなものを二本、持っている。彼らの後ろには李も続いていた。
散冴たちが立ち止まる。その行く手をふさぐように大城が廊下の中央へ歩み出た。
「これは驚いた。本物か?」
大城は首を傾けながら散冴を探り見る。李もこのときばかりは軽く目を見開き、口を開けた。
「殺したはずではなかったんですか」
新井が小声で大城に詰め寄った。
大城は顔だけをゆっくりと新井へ向ける。目を細めて片頬を上げ、鼻を鳴らすと散冴に声を掛けた。
「まさか腕だけじゃなく体も造り物というわけじゃないよな」
「だとしたら今度は頭を狙いますか」
「口の減らない奴だ。まぁいい。いたぶって口を割らせるつもりだったが、どうやら仲間がみんな揃ったようだ。まとめて始末してやるよ」
大城が手にしていたトンファーを背中に回し腰へ差す。それを合図に李が拳銃を取り出した。
散冴はめぐみを庇うように半歩前へ出る。ラファは散冴の横に移動した。
「動くな」
静かな口調で大城が鋭い視線を送る。
散冴はそれを跳ね返す。
「私が戻らないと、AAAの調査をした資料が明日には警察へ渡ることになっています」
「そうか、なら余計に早いとこ片付けないとな」
「ここで銃を使うのはさすがにまずい」
新井が大城を止めた。
「職員は帰ったんだろ。あとはどうにでもなる」
大城は取り合わない。
「せっかくうまく進んでいたのになぁ。この図面ももう使わないね」
突然、南条が誰にともなく話し始めた。ポケットから取り出した紙を丸めて、散冴と大城の間に投げ捨てる。
「伏せてっ!」
南条が叫んだ。
丸めた紙が一瞬にして燃え上がり、強い光を放ちながら白煙を上げる。
そして一発の銃声が響いた。
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