第十七話 冷たい左手
「何なんだ、おまえは」
一歩下がった上林がいぶかしげな眼を向ける。
ナイフで穴が開いてしまった黒革の手袋を、散冴がゆっくりと外す。
そこには
細い部材が骨のパーツごとに組み合わさり、シャツの袖口の中へと伸びている。
それを初めて目にしためぐみが息を呑んだ。
「サンザさん、助かりました」
「こちらは任せて。あの大男、ラファとは因縁があるでしょ。頼みましたよ」
「オゥケィ」
散冴は右手で山高帽を被り直し、ナイフを身構えている上林と対峙した。
*
ロープをほどき終え、めぐみを壁際へと
アキラはうつ伏せに倒れたままだが、克己は両腕を広げて待ち構えていた。ワタルは壊れた三脚のパイプを手にしている。
「この前は油断しちまったが、今日はそうはいかねぇ。たっぷりと御礼させてもらうぜ」
「誰だっけ?」
克己の脅し文句に、ラファは眉を寄せて怪訝そうな表情を浮かべた。
「カッコつけておきながら大の字に伸びちまうような奴、知り合いにはいなかったけどなぁ」
「てめぇ、いい気になりやがって!」
挑発に乗った克己が掴みかかった。
ラファが左へ動いて体をかわすと、そこへワタルがパイプを打ちおろした。
とっさに左腕を掲げて頭をかばう。ラファの盛り上がった前腕にパイプが当たった。
二人の男から視線を外さずに、ラファは打たれた左腕を軽く振る。
それを見たワタルは口角を上げた。克己と呼応しながら間合いを詰めていく。
ラファは膝を軽く曲げ、少しずつ右足を後ろに引いていた。
三人の張りつめた時間を破ったのはラファだった。
ぐっと体を沈めながら克己へ鋭い視線を送る。
だがそれはフェイントだった。
低い体勢のまま弾かれたようにワタルへ突進する。
ほんの一瞬、ワタルの反応が遅れた。パイプを振り下ろしたときにはラファの肩が腹に食い込んでいた。
「がはっ」
顔をしかめ、手から離れたパイプが力なくラファの背中を打つ。
ラファは構わずに相手の腰へ両手を回し、束ねた長い髪を左手でつかんだ。
その背中に克己が襲い掛かると、つかんだ髪を引っ張りながらワタルの背中へ回り込む。
「いててっ」
髪を引かれて顔を天井に向けながら、ワタルが後ろに手を回しラファのポロシャツを引っ張った。
それを右手で払いながら握りしめた髪を手綱のように操り、ワタルを克己への盾にする。
克己はうかつに踏み込めない。
ラファが左の手首をくるっと回し、ワタルの髪を左手に巻き付けた。そして、目の前の背中を靴底で思いっきり蹴飛ばす。
急に前へ押し出された体に逆らって、頭は後ろへと強く引っ張られ、ワタルの首が反り返るように曲がる。声にならないうめき声をあげて尻もちをつくように倒れた。
握りしめた髪の毛を離し、ラファは克己と向かい合った。
「さぁ、これで心置きなく決着がつけられるだろ」
「やっぱりおまえの女だったのか」
肩のあたりに両手を広げて構えたまま、克己がめぐみをあごで指した。
やや上体を前傾させたラファは腰の高さで軽く手を握り、間合いを取る。
「いいや」
「なら俺たちがどうしようとカンケーねぇだろうが。引っ込んでろよ」
「俺はお前らみたいなゲス野郎が大嫌いなんだ」
「調子に乗ってんじゃねぇぞ」
「そっくり返すよ」
二人のにらみ合いが続く。
克己が右手の平をラファに向けて高く掲げた。左手も掲げながらにじり寄る。
応えるようにラファも両手を掲げ、距離を縮めていく。
どちらも視線は外さない。
互いの手が触れそうなほど近づいた。
一瞬の間をおいて、二人は両手で組み合った。手四つの体勢で力比べが始まる。
身長でやや勝っている克己が強引に組み伏せようと右手に力を入れた。
ラファは両足を前後に開き、踏ん張りながら左手を押し戻す。
歯を食いしばり、呼吸が荒くなっていく。
それは克己も同じだった。怒りの形相でにらみつけ、額には汗が浮かぶ。再び押さえつけるように両手に力を入れた。
その反動でラファの重心が前へと移る。
克己がニヤリと笑った。
ふいに力を緩めると、前のめりになったラファの顔面へ蹴りを入れる。
「うおっ」
寸前のところで両腕を交差させて直撃を防いだラファだったが、両膝をついた。続く蹴りを右に横転して
ふらっと立ち上がったところへ休む間を与えずに克己が殴りかかった。
右、左と繰り出される
「もう逃げ道はないぜ」
勝ち誇った笑みとともに、右拳が弧を描いてラファの顔へと向かっていく。
それをしゃがむようにかわすと素早く低い姿勢で身構えた。
背中の壁をスターティングブロック代わりに利用して前へと勢いよく飛び出す。
虚を突かれた克己の腹へ肩から当たっていった。
「ぐほっ」うめき声が漏れる。
そのまま背中に回した両手をロックしながら体勢を入れ替えた。両腕の筋肉が盛り上がる。
振りほどこうとする克己はラファの背中へ拳を落とした。
それにひるむことなく、両腕で腰を締め上げながら克己の体を浮かすように壁へ叩きつけた。
受け身が取れず、克己は後頭部を激しく打ちつけた。ラファの背中へ打ち下ろす拳も弱々しい。
ラファは両手を離さず、数歩下がると再び壁へと突進した。
克己の頭が打ちつけられる鈍い音が響く。だらりと両腕が下がり、壁にもたれるように崩れ落ちた。
膝に手をついたラファが大きく息を吸い込んだ。
*
あらわになった鈍色の左手へ上林の視線も注がれている。
「義手だったとはな。よく出来ているじゃねぇか」
「新井先生のような方に診てもらわなかったのが幸いでした」
上林が鼻で笑う。
「まさかそいつが
今度は散冴が苦笑した。
うつぶせに伸びているアキラの横で、二人は距離を取りながら相手の出方をうかがっていた。
首を傾け、あごを突き出した上林は大振りなナイフの腹を左手の平にあて、怒りをたたえた目でにらみつけている。
散冴は左手を顔の前に掲げ、右の拳を胸に寄せて半身になり、小刻みなステップでリズムをとる。
先に上林が仕掛けた。
小太りな体型からは想像がつかない俊敏さで、顔を狙ってナイフを握った右手を突き出す。白いシャツの胸で龍が躍る。
それを避けることなく、散冴も左手を伸ばした。黒い山高帽が舞う。
金属同士のぶつかる硬い音がめぐみにも聞こえた。
腹、胸と続けて繰り出されるナイフを左手で防いでいく。
「見切ってるつもりか? その偽物の手の陰に隠れてるだけじゃねぇか」
毒づいた上林が左へナイフを突き出すと見せかけて手首を返し、右へ水平に薙ぎ払った。
シャツの袖口が切り裂かれ、ステンレスの腕がのぞく。
口角を上げた上林だが、散冴の落ち着いた表情は変わらない。山高帽を右手で被り直し、突きと切り払いを織り交ぜた攻撃にも、左右に動きながらたたんだ左腕を盾にして防いでいく。
勢いにのる上林は散冴の左上腕を狙って切りつけた。
ここで散冴が動いた。
右へ大きく回り込みナイフをかわすと、体を
体重の乗った鈍色の拳が上林の右頬をとらえた。
「うがっ」
後ろへ数歩よろめき、下を向いて顔に手を当てる。吐き出したつばには赤い血が混じっていた。
「そんなもんで殴るなんて卑怯な野郎だ」
「
「覚えちゃいねぇな」
「あなたが忘れていても、幸いなことにあそこで撮影していますから」
散冴が目顔で示す先には赤いランプのついているビデオカメラがあった。
上林は舌打ちをする。その後ろではアキラが頭を上げてまぶしそうに目を細めていた。
再び上林が切りつける。
腫れあがってきた頬を気にするそぶりも見せずに、右手を突き出す。だが、反撃を警戒してか踏込が甘い。
散冴は右へ、右へと回り込みながら左の拳を伸ばすが、上林には届かない。
どちらも決め手を欠きつつ攻防が続く。
上林が
また右へ回り込んで攻撃をかわしたはずの散冴が前のめりに倒れ込んだ。
「うぁっ!」
山高帽が床へ転がる。
その足にはアキラが両手がしがみついていた。
「よくやった」
ほめられたアキラは白い歯を見せる。
上林は散冴に近づき冷たい左手を踏みつけた。
抜け出そうともがく散冴の右腕をつかみ、床へ押し付ける。
「両腕が義手というのも笑えるよな」
喉の奥で笑うとナイフを逆手に持ち替えた。
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