第三話 南条
オフィスが立ち並び、日中は多くの人が行き交う浜松町も明け方のこの時刻には人影は少ない。
「おはよう。キミが寝坊して遅刻するんじゃないかとヒヤヒヤしていたよ」
「仕事ですから」
二人は散冴から渡された水色の作業服を着ていた。
「この服、腕のところがパンパンなんだよな」
「文句を言わない。サンザ君が書いたストーリーなんだから、キミも納得してるんでしょ」
「もちろん。俺はサンザさんに不満を言っているんじゃなくって、服が小さいって言ってるんです」
「分かった、分かった。僕からもサンザ君に言っておくよ。とりあえず、いったんおしゃべりはお終いだ」
「オゥケィ」
細い通りに面し、いくつものビルに囲まれた
男性へ南条が歩み寄った。
「おはようございます。責任者の田沢さん……」骨ばった男性が隣のふくよかな女性を指した。
「どうも、サポートで派遣された山本と高木です。今日はよろしくお願いします」
すぐに切り替えて、にこやかな顔で田沢へ挨拶をする。つられてラファも頭を下げた。
「そっちの彼、言葉は分かるの?」田沢がラファをあごで指した。
「ええ、彼はハーフでして、話すのは苦手ですが聞く方なら問題ありません。もうごらんの通り、力仕事は得意にしていますし、何かあれば遠慮なく言ってください。私は彼の教育係として一緒に組んでいるので、意思の疎通もバッチリです」
早口でまくし立てる南条に二人は圧倒されている。下を向きながら鼻をかくふりをしたラファの顔には苦笑いが浮かぶ。
管理室のカウンターで田沢が入館の手続きをしている間に、ワンボックスから荷物を下ろした。作業服と同じ色のキャップをかぶり、台車の上にバケツやモップ、ポリッシャーと呼ばれる床清掃の機械を載せてラファが押していく。
「今日は三階の床清掃を行うから。最初に三階に行って、その後はあんたたちは上から降りてきて」
館内に入りエレベーターに乗ると田沢がめんどくさそうに指示を出した。
三階で降り、手分けしてごみの回収と拭き掃除を始める。
「南条さん」
「山本です。何だね、高木クン」
ごみ箱の中身をゴミ袋へ入れながら、事務机のあいだを移動していく。
「俺、ハーフですけど日本で生まれ育っているんで話すのも全く問題ないんです」
「知ってるよ、そんなことは。いいんだよ、ああ言っておけば。向こうはキミの外見だけで判断してるんだから、それに乗っかっておく方が警戒されない。もしキミがおかしな行動をしていても『仕方ないな』と思ってくれるだろ? 何かあったときはフォローを頼むよ」
「俺たちは意思の疎通もバッチリらしいですからね」
ラファが笑うと、南条もニヤリとする。
三階の作業を終えたことを田沢に報告し、二人は九階へ上がった。
早朝ということもあり、オフィスには誰もいない。それでも二人は手を抜かずに清掃を続ける。
段々と手慣れてきて作業のスピードが上がっていった。
「高木クンはこのまま雇ってもらってもいいんじゃないの」
南条の軽口にもラファは応えず、ゴミ袋の口を縛って左手に持った。空のバケツを台車から落とさないように注意しながら、エレベーター前へ移動する。
「いよいよ目的の五階ですね」
エレベーターの中で南条は口を開かない。
扉が開くと、膨らんだゴミ袋をすぐ脇に置いてラファは台車をゆっくりと押しながら廊下を進む。
「僕が見たところ、エレベーターと廊下には防犯カメラがある。でも、他の階のオフィスにはなかった。ここも同じでしょう」
南条は少し
「キミは今まで通り、掃除をしていてくれるかな。僕がその間に済ませるから」
「オゥケィ」
二人は『設計部』と書かれたドアを開けてオフィスの中へ入っていく。散冴から受け取っていたレイアウト図を南条がポケットから取り出して確認している。
いつのまにか手にしていたUSBメモリーを握り、目当ての席へ近づいた。
「何やってるんだ?」
突然、部屋の右奥から声が聞こえた。三十歳くらいの男性が応接ソファの前に立って、南条を見ている。徹夜明けなのか、ネクタイを外して髪は乱れていた。
男性が南条の方へ歩きかけたそのとき、今度は別のところから金属の容器がぶつかる音がした。ひっくり返ったゴミ箱の前でラファがおろおろしている。
「アー、ゴメナサイ、ゴメナサイ」
「何やってるんだ高木君は。しょうがないなぁ。ほら、早くゴミを集めて拾って」
すぐに南条がやってきて、一緒に拾い始めた。
「終わりましたか」
しゃがんだラファが小声で尋ねると、南条は親指を立てた。
「すいません、お騒がせしました」
男性に南条が頭を下げる。男性は彼らが清掃員と分かり、不審がる様子はない。
「今、何時?」
「もうすぐ七時になります」
「あーそう。それじゃもう少し寝るかな」
そういうと男性はソファで横になった。
清掃を終え、田沢たちと合流し金央建設を後にした。用具を積み込み、ワンボックスで帰る彼らと別れて二人は駅へと向かう。
途中の公園横に停まっていたシルバー色のワゴンへ近づくと後部ドアを開けた。
「お二人ともお疲れさまでした」
助手席に山高帽を置いた散冴がねぎらいの言葉をかける。
「いやぁ、彼とはいいコンビになりそうだよ」
運転席の真後ろに座った南条が上機嫌で着替え始めた。
「肝心の設計部に泊まり込んでいたヤツがいてね。ちょうど仕事をしようとしていたところを気づかれたんだ。そうしたら彼がとっさに気を利かして注意を引いてくれて。ああいうスマートな対応、僕は好きだなぁ」
「仕事は予定通りですよね」
「もちろんだよ、サンザ君。USBは津島氏の机の上に置いてきたし、盗聴器も三カ所、干渉しないように離してセットしてきたから」
紺の半袖ポロシャツに着替えたラファが座席のあいだから前へ顔を出す。
「USBは置いてくるように指示されましたけれど、それでよかったんですか。パソコンに差しておいたほうが手っ取り早い気がするけど」
「まだまだ甘いな、キミも。電源入れようとして見知らぬUSBが差さっていたら不審に思って抜いてしまうだろ? でも、もしそれが机の上にあったらどうする?」
「うーん、誰のものか聞いてみる」
「そう。それで誰も知らないと言ったら?」
「俺なら中身を確かめようとするかな」
「それが普通の反応だね。確かめようとしてパソコンに自ら差す。するとハードディスク内のデータをコピーして自動的に転送してくれる。USBにはダミーのデータが入っているから、当事者がそれを確認している間にすべて完了。そうだよね? サンザ君」
散冴はバックミラー越しに笑顔を見せた。
「なるほどね。俺はこの機能を聞いたときにそこまで考えなかったな」
「だから甘いって言ったのさ。でも大丈夫。これからは僕がみっちりと教え込んであげるから」
「ごめんなさい。人から教わるな、自分で覚えろ、っていうのがじいさんの遺言で」
「なんだよ、それー」
二人の掛け合いが落ち着いたところで、散冴が振り返った。
「私はしばらくこの辺で盗聴器の確認をします。お二人は引き上げてもらって構いませんよ」
「それじゃ、連絡を待ってるよ」
ドアを開けて南条は振り返らずに歩いていく。
遅れて出たラファは頭を下げてからドアを閉めた。
ひとり残った散冴はバッグからファイルを取り出して、なにか資料を眺めている。やがてスマホを右手に持った。
「小夜子さん、いま話しても大丈夫ですか。
すいません、忙しいところを。実はお願いがあって……
この前、小夜子さんが話していた女性……そうです、相談を受けているという……
その方のこと、詳しく分かりますか?
少なくとも名前と住所、ご主人の勤め先も分かれば……
私が解決できるかは分かりませんよ。荒療治になるかもしれないし。
はい……分かりました。よろしくお願いします」
通話を終えると、人通りが増えてきた歩道をただ眺めていた。
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