第二十三話 切取り線
不夜城と呼ばれるこの街も、その猥雑な中心から十五分も歩けば昔ながらの住宅街が残っている。
片側三車線の大通りを走る車はこの時刻になっても途切れることがない。
建ち並ぶマンションのエントランスから漏れる光が街路灯のように点々と歩道を照らしていた。
男は少し前かがみになりながら、手袋を外さずに操作盤のボタンを押した。
「あぁ、あんたか」
モニターから低い声が返り、オートロックのガラスドアがモーター音と共に開く。
エレベーターを降り、部屋へと向かう。
黒いインターホンを押すと応答もないまま玄関ドアが開いた。
「ずいぶんと早かったじゃないか」
部屋の主が客を中へと招き入れた。
*
奴らの後を追うように倉庫を出た散冴はスマホを取り出した。位置検索をして最寄りの駅へと向かう。
歩きながら、打たれた右腕をずっと気にしている。
駅前にあった閉店直前のドラッグストアで湿布薬を買った。
構内の多目的トイレに入り、シャツを脱ぐと上腕部が青紫色に腫れあがっていた。不器用な左手で時間を掛けて気休めの湿布薬を貼る。
ホームへ降りたときにはもう十時を過ぎていた。
約束の時刻まで余裕はない。
地下鉄の駅を降りたときには十時五十分になろうとしていた。
痛む右手で山高帽を被り直す。
階段から外へ出ると正面には複数のビジネスホテルが見える。交差点を渡り、それを横目にメモを見ながら目的地へと急いだ。
この時刻になっても大通りの車は途切れることがなく、時折ヘッドライトが散冴を照らす。
左の坂を上がると、レンガ色のタイルが貼られたマンションが見えてきた。古いながらも手入れの行き届いたエントランスに入ると、正面の天井に設置された防犯カメラが小さな赤い点滅を見せた。
部屋番号を確かめて操作盤のボタンを押す。
応答はない。
手に持った紙には住所とともに、林 賢治と書かれている。
集合ポストを見てもやはり名前の記載はない。
もう一度呼び出してみるが応答はなかった。
少しの間なにか考えていたが、もう一度操作盤に向かう。
「やってみますか」
ボタンをいくつか押す。何も反応はない。
さらに押してみる。反応はない。
開かないガラスドアを思案顔で見つめる。
今度は【*5627呼】と押した。
オートロックのガラスドアがモーター音と共に開いていく。
「住所を逆から並べて暗証番号にするとは、ちょっと安易かもしれませんね」
赤い点滅を見せる防犯カメラに向かい散冴はにっこりとほほ笑んだ。
エレベーターが九階に停まった。
部屋番号を確かめながら目的の部屋を探す。
もう十一時を過ぎている。
廊下に人の姿はない。
玄関前の黒いインターホンパネルにも林の名前はなかった。
呼びボタンを押すが反応はない。
待つこともせず、レバーハンドルに手を掛ける。
注意深く下へと回し、そっと引いてみた。
鍵は掛かっていなかった。
「林さん」
声をかけても物音さえ聞こえてこない。
ゆっくりと奥へ進み、リビングの扉を開けた。
中央のテーブル横に男がうつ伏せで倒れている。床に敷かれた派手な模様のラグには赤黒いしみが広がっていた。部屋の中が荒らされた様子はない。
散冴は近づいてしゃがみ込んだ。
(拳銃で後ろから撃たれている。知り合いか)
言葉もなく横たわる男の背中には一センチほどの穴があき、周辺には血がにじんでいた。近くに転がっていたクッションにも穴があいている。
手首の辺りをそっと持ち上げてみる。
(まだ暖かい。倉庫へ電話を掛けてきたのは本人で間違いないはずだし、この一時間あまりで殺されたのか)
目を見開いたままの横顔を見る。
(私に何を話したかったのだろう……)
「そこで何をしている!」
突然の大声に振り返ると、玄関に御園と赤池が並んで立っていた。
すぐに状況を把握したのか、白い手袋をはめながら赤池が散冴を押しのけて男の横顔を覗き込んだ。
「
「そうみてぇだな。山高、お前がやったのか」
「また思ってもいないことを。殺しはやらないとお話したじゃないですか」
呆れたように笑って答える。
「だよな。だが
「どんな場合だろうと人殺しはしませんよ。ましてや仕事でなんて」
「じゃぁ何でお前さんがここにいる?」
御園の目は笑っていない。
「また彼らとちょっとしたトラブルがありまして。そこでここへ来るように言われたんです」
ポケットから取り出したメモを手渡すと、赤池が透明な袋へ入れた。
「何か私に話したいことがあったらしいんですが」
「話したいことねぇ……」
「そちらはどうしてここへ?」
「タレコミだよ。匿名でこの部屋へ行ってみろ、ってな」
御園が遺体に目を落とす。
「こいつは俺たちが追っていたキーマンなんだよ。日本における龍麒団のトップだからな」
「御園さん、応援部隊の案内にエントランスへ降りますが大丈夫ですか?」
黙ったまま片手を上げて、早く行けとばかりに手を振る。
赤池がいなくなると、散冴へ向き直った。
「お前さん、このまま逃げても構わないぞ」
誰もいないのに御園は声を落とした。
「何もやっていないんなら面倒なことに巻き込まれる前にずらかっちまえよ。あとは俺がどうとでもするから」
黙って彼の表情をうかがっていた散冴が声をあげて笑った。
「その手には乗りませんよ。何もしていないのだからこそ、逃げる必要なんかないじゃありませんか」
ちっ、と御園は軽く舌打ちをする。
「まぁいい。これでお前さんも重要参考人だからな」
もう一度、遺体を見下ろしながら続ける。
「しかし、気にいらねぇ」
「このタイミングで
「あらかじめ決められていたみたいじゃねぇか」
二人の視線は横たわる男に注がれたまま。
もうすぐ日付が変わる。
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