dorge

 もし本当に死んでしまいたくなったなら、息を深く吐けばいい。

 そのことは説明書にも書いてあったことだし、試したことがなくても誰でも知っている。

 ただ体の内から外に向かう風をつくってしまえばいい。

 息を吐き続ける。

 呼気は徐々に量を減らすが、息がついに切れてしまうことはない。

 息を吐き出し続ける。

 その行為は初めは苦痛だが、あるところから幸福が身体に広がりはじめる。次第に現実、自己が曖昧になる。

 体を満たす幸福感と、自己と外界の境界を解くその体験に惹かれて、多くの若者が火遊びにの深い呼息こそくを試みた。友達の一人も前にそれを試したことがあって、その話を僕に昔してくれた。

 息を吐き続けるとまず、空が心に現れるそうだ。

 一面の隙のないのっぺりとした空色で、大地もなく、雲もない。

 それを眼前に彼は立ち尽くし、あるいは座り、あるいは寝転んでいた。

 空はそんな彼を上へ上へと運んだ−なぜ比較対象がないのに上へ向かうとわかるのだろうか。


 無意識に彼が瞬くとその暗転の隙間を縫って、彼は空の高みにそびえる海に沈められた。

 海は少し冷たくて彼は自分の体が暖かいことを見つける。

 彼はその後、ジャングルをくぐり、雪原に足跡を残し、砂漠に焼かれ、月を跳ねたそうだ。

 その幻惑の果てに死があるという。

 

 そうして死んでしまった人は死んでなお息絶えることがない。体が朽ちてなおその頭蓋の口元からは風が漏れるという。

 その幻夢の果ての死については色々な言説がある。ある者はそれは終わりなき暗黒として訪れるのだと言い、ある者は光に包まれた神の国にたどり着くのだと言い、ある者は脈絡のない幻想が永遠に続くのだ、と言う。

 検死の結果からは、息を絶やさぬ死者たちも脳活動は完全に停止し、全ての体細胞は正常に緩やかな死を迎えていくとわかっていた。


 「私は死は怖くないの」

 

 ヒッピーたちにとってその幻想のキャラバンは理想的な陶酔の傷だらけの漂流で、多くが魅了された。

 公園や路地のちょっとした空間で、何かに寄りかかって、あるいはベンチに座り込んで、目を閉じ、あるいは開いて、口を薄く広げ静止している若者たちをよく見かけるだろう。

 冬にもなるとヒッピーたちは輪状に座りこみ、息を共に吐き出す。白い息は空に立ち上り、消えていく。

 時にこうした集団はそのまま共に死んでしまう。それは意図してのこともあれば事故ということもある。


 「私は死ぬの怖くないの」彼女は言う。

 「でも僕はどうしたらいいんだい」

 「追いかけてはくれないの?」彼女の質問に僕は沈黙した。

 

 夢の中で人々は一人きりだ。だから僕は彼女を失ってしまう。

 ふぅ、と彼女は目を閉じて息を吐き出し始めた。僕はどうしようかと迷い、結局自分のくちびるで彼女の唇を塞いだ。口内に彼女の息が入り込み、僕はそれを試みに吸い込んだ。


 こうしてアルファと言う町のアパートの一室で一組の男女が接吻を交わしたまま死んでいるのが見つかった。

 この情死はこの時代、ロマンティックだとして大いにセンセーションを起こし、多くのカップルが彼らの真似をして、死んでいったという。以降、彼らの口付けは”アルファのキス”と呼ばれている。

 今ではパリの風俗史博物館でその”アルファのキス”を900年前に最初に始めたカップルの頭蓋骨を見ることができる。頭蓋には今でも風が吹いている。

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dorge @tenarperzonas

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