心の灯火
ルゥエル
ここはクブンハウンの街。再編の魔女一行は、新たにルイーサをメンバーに迎えて間もなく訪れたこの街で、買い足しついでに旅の息抜きをすることにした。
「えーっと、タマゴ、ハム、パンとミルク、その他お野菜·····買い忘れは無いわよね?」
先程購入した袋の中身をひとつひとつ確認しながら、緑の髪をふわりと揺らして、隣を歩く青年へ問いかける。
「おう。先生から頼まれたもんは一通り買い揃えたぞ」
余裕の表情でメモ紙をひらつかせる彼はティム。そして、問いかけた少女は妹のルイーサ。無事に食材の調達を済ませた二人は、燦々(さんさん)と照る日光の下、仲間達との待ち合わせ場所へと隣合って歩いている。しばらくして、件の待ち合わせ場所である街外れの宿屋が見えてきた頃。げぇっ、と苦い声を零(こぼ)してティムが立ち止まる。
「急にどうしたのよ?」
「あ〜、ここに来てなんだが、ひとつ忘れ物しててよ···」
「えぇ!?なんでさっき確認した時思い出さないのよ!バカ?バカなの!?」
「ぅぐ···すまねぇ···」
妹からの罵詈(ばり)にまだ慣れないのか、心底へこんだ様子で項垂れる。
「ご、ごめん、つい···。それで?何を忘れたの?」
「あぁ、そのな、小麦粉とパウダーをいくつか···」
「ふぅん?じゃあ、私が行って買ってくるわ。荷物番、頼んだわよ」
「は?あ、おい!ちょっと待て!それなら俺が···!」
「うっさいわね。いいから待ってなさいよ。すぐ戻ってくるから、それまで見張りをしてて。それじゃあ」
そう言って荷物をティムに預けると、彼に背を向けタッタと街へ駆けていく。ティムはその背を黙って見送ると、小さく溜息をひとつ、頭を掻いて他の仲間達を待つのだった。
「いち、にぃ、さん·····これだけあれば十分ね。パン粉と間違えてもないし、完璧っ」
店を出て、内容物を再三確認すると、速足でティムが待つ宿屋へと向かうルイーサ。まだ日は高い位置にあるが、以前より少し沈んでいるように感じる。少し時間をかけすぎたかと、更に歩調を速める。その時、建物の角から飛び出してきた人影と正面からぶつかって転んでしまった。幸い、買い物袋をひっくり返すことはなく、彼女も尻もちをついた程度だった。
「すまない。怪我はないか?」
少し高めの優しげな声、そっと差し出される大きな手···。見ると、深い緑と煤けた白の縞模様のマフラーが特徴的な背の高い男性が居た。
「ありがとう。平気よ」
その手を取って立ち上がると、服のホコリを払うのもそこそこに、まずは感謝を述べる。
「あぁ、それは良かった。しかし、本当にすまない。君の華やかな服と雪の肌を汚してしまった。何か詫びをさせては頂けないだろうか?」
「ありがとう。でも、その必要は無いわ。気持ちだけ受け取っておくわね」
「それではぼくの気が収まらない。なんでもいいんだ。君の為に何か出来ることはないだろうか?」
「今はないわ。けど、そうね。次、また会ったら何かお願いするわ」
それではと、彼の隣をすり抜ける。男はしばらくの間、呆然とした様子で見つめていた。しかし、やがて小さくなろうとするその姿に我慢がならなかった。
「待ってくれ!今ここで別れたら二度と会えない···そんな気がするんだ。だから頼む。少しだけでもいい、時間をくれないか」
二度と会えない。その言葉を聞いて、ピタリと歩みを止めてしまった。そして、徐ろに彼の方へ振り向くと、短く溜息をつく。
「···仕方ないわね。ちょっとだけよ?」
衝突現場のすぐ近くにその店はあった。木造りのそれは、壁も屋根も赤く、等間隔に浮き出る黒い木枠が外観を引き立てており、実に趣のあるものだった。中に入ると、大人しい音楽が迎えてくれた。机に向かう客を横目に通り抜けて、空いていた窓際の席に2人は座る。
「改めて、さっきはすまなかった。そして、ぼくのわがままを聞いてくれてありがとう。えーっと···」
「ルイーサよ」
「ルイーサ···。口にすれば心地良く、耳にすればまた心地好い。素敵な名だ。君に出会えて良かった。今日ほど暖かい日はそうそうない」
名前を聞いた。ただそれだけの事に、大袈裟に声を弾ませる男。それを見たルイーサは、悪い気はしないのか口元が少し緩んでいるように見える。それを誤魔化そうとしてか、咳払いをひとつつくと、今度は彼女が名前を問うた。
「そ、そっちは?名前、なんて言うの?なんて呼べばいいかわからないわ」
「ぼくはハンス・クリスチャン・アンデルセン。ハンスでもアンデルセンでも雨ざらしの不憫なマッチ棒でも好きに呼んでくれ」
「なんで急に卑屈になるのよ。ふぅん、ハンス、ね。それで、お詫びはなんなの?」
互いに自己紹介を終えたところで本題へと入る。ややぶっきらぼうな言い方になってしまったのは、彼女の性格のせいだけではないだろう。さて、詫びをしたいと申し出た当の本人はというと、おぉそうだったといった顔で丁度近くを通りがかった店員を呼びつける。
「すまなかった。つい君に見惚れてしまって、本題が頭から抜けてしまった。もう少ししたら料理が出てくるだろうから、楽しみに待っていてくれ」
注文を終えたところで、ルイーサに優しく微笑みかけるハンス。目の下のクマは気になるが、顔の良い彼のこの表情に、ルイーサはつい視線を泳がせてしまう。
「ところでルイーサ。君は、この辺りではあまり見ない服装をしているが、今日は観光で来たのかい?」
「うん。ちょっと買い物に来たくらいだし、そんなもの、かな」
「そうなんだ。普段は何をしているんだい?良かったら、ぼくに聞かせてくれないか?」
「そんなに話せるようなものではないけど、そうね。簡単に言うと、旅をしているわ」
こんな可愛らしい少女が旅をしていると聞いて、ハンスは目を丸くする。同時に好奇心からか、その瞳を眩いばかりに輝かせる。と、そこへ、注文していた料理がふたつ、ルイーサとハンスが向かい合う机の上に置かれる。それは、豆と人参などが入った、野菜のスープだった。もうもうと立つ湯気は、野菜の香りを乗せて漂い、二人の食欲を刺激する。
「美味しそう。これがお詫び?」
「そうさ。この辺りは気温が低いからね。君が風邪を引かないように、ぼくからの僅かばかりのお詫びだ」
そして、どうぞ食べてと手振りで促す。
それを受けて、ルイーサは背筋を伸ばして手を合わせる。スプーンを手に取り、スープを一口。すると、彼女の顔は自然と笑みになっていく。
「気に入ってもらえたかな?」
「えぇ、さっぱりしててとても美味しいわ。良いわねこのスープ」
一口一口大切に、よく味わいながら食べていくルイーサ。いくつか野菜を口にしたところで、不意にその手を止める。何故なら同じくスープを頼んでいたハンスが、まだ一口も食べていないことに気が付いたからだ。
「どうしたのよ。食べないの?折角温かいのに、冷めるわよ?」
「ぼくはどうもしていない。ただ、君を見ているとどうも時間を忘れてしまう。特に笑顔の君はこれまでの何よりも眩しくて愛おしい」
「愛おっ!?!??!!?」
驚きのあまり、手からスプーンを零してしまい、乾いた音が辺りに反響する。そして、急激に恥ずかしくなったのか、顔を赤熱させて俯いてしまう。
「ルイーサ?大丈夫かい?」
「大丈夫、平気···うん」
「本当か?ぼくには顔が真っ赤に見えるけど?」
「気の所為!その、ちょっと、スープが熱かったのっ!」
そう言うやいなや、傍にあったコップの水を一気に飲み干すと、目を瞑って息を整える。何度目かの深呼吸の後、瞑った目を開けると、そこには元の冷静な彼女がいた。
「それで、なんの話だったかしら?」
真っ直ぐにハンスを見て、なんでもなかったかのように振舞ってみせる。その様子にハンスはつい笑ってしまったが、こちらもすぐに誤魔化した。
「いいや、なんでもない。だが、今ぼくは君の事が愛しいと、そう思う。君を思うと、マッチに火が灯ったように胸が温かくなるのを強く感じる」
「雨ざらしなのによく点いたわね?どんなマッチなの?」
「ぼくのマッチは関係ない。君のおかげで火が点いたのだ。雨ざらしのマッチでも火を灯す。それほどの魅力が君にはあるのだから、ぼくのマッチがどんなものであっても、変わらず火は灯ったさ」
また恥ずかしげもなく調子の良いことを言うハンス。ルイーサの方も少しは慣れてきたのか、今度は動揺することなく、突っぱねてみせる。
「私、火を点けた憶えなんてないんだけど。勘違いじゃないの?」
「そんなことない。なんなら君にもぼくの火を分けてあげようじゃないか」
「そう。でも、生憎ね。私のマッチは特別に燃えにくいの。火が点くどころか、その前にあなたが燃え尽きてしまうと思うわ」
「ならばこの魂まで燃やそうか。そうして君に火が点くのを待ち続ける。燃える炎があれば、最早マッチも命も関係ない」
「まさに燃える恋、ね。ところで、スープはどうするの?もうとっくに冷めちゃってるわよ」
見ると、つい先程までは元気に湯気を立たせていたスープは、今ではやんわりとくゆらせるのみで、当初の熱をすっかり失ってしまっていた。ハンスは慌ててスプーンを掴むと、ようやくスープを口へ運んだ。
「あなたの火も、炎も、そうならないことを祈っているわ。さて、もうすっかり長くなってしまったけど、あと少しくらいは待っていてあげるわ」
ルイーサも、残り少しのスープを静かに飲み干すと、改めて背を伸ばして手を合わせる。暗くなり始めた景色をぼんやりと眺めていると、やがて食器とスプーンが重なる音が聞こえてきた。どうやらハンスも無事に完食したようだ。そして、どちらともなく席を立つと、揃って店を出ていく。
「ありがと。スープ、ごちそうさま」
「ぼくの方こそありがとう。そして、長く付き合わせてしまってすまない」
「良いのよ。楽しかったし、特別な一日になったから」
それじゃあと、立ち去ろうとするルイーサをハンスは再び引き止める。そして、懐から一本の筆を取り出すと、それを彼女に渡す。
「ぼくからの餞別だ。君の旅路がより一層素敵なものになるよう、ぼくの気持ちを込めておいた。そして、もしも君に何かあったら、その時はすぐに駆けつける。それはこの約束の証として、貰ってくれ」
「わかったわ。大事にする。私からはこれ、お返し」
彼女がポケットから取り出して渡したのは、古いひとつのホイッスル。
「それは昔、とあるお兄さんから貰った笛よ。口に咥えて吹くと大きな音が鳴るの。あなたの火が消えそうな時はそれを吹いて。そうすれば、また私が火を点けてあげるわ」
「あぁ、ありがとう。ぼくはこれを人生で一番の宝物にする」
そうして今度こそ別れの時がやってくる。互いに見つめ、やがてさよならを呟くと、名残惜しそうにその場を離れて、それぞれの道を行く。仲間の元へと駆けて行くルイーサの胸の内は、なんだか少し焦げ臭いような気がした。
心の灯火 ルゥエル @Yui_Ketsu_Ka
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