第21話〈解き明かす力と第一王子の舞踏会〉




「……知ってるんですか、ビオスさん」

私が杖を片手に震えながら問えば、彼はゆっくりと頷いた。


「それは『女神の鍵』。他人の記憶に入り込み、必要とする記憶を追体験する魔道具です。

かつては機械帝国デウスマキナ最後の皇帝が、臣下の弱みを握って意のままに操るのに使ったと聞きますが……」

ビオスは私の杖で揺れる女神の鍵をまじまじと見つめながら、目を伏せて首を振った。

光を反射しない、アンティーク風の鍵。見つめていると吸い込まれそうな、漆黒の鍵。

美しいそれが、そんな悪趣味な代物と同じだとは思いたくはなかった。

人の記憶に土足で入り込む凶器が、自分の手にあるだなんて。


「ねえ、これを無効化する手は無いの?これ、勝手に動いたのっ、いや、私、私……カルムの記憶を覗くつもりなんて……」

怖かった。これが手元にあるということは、少しでも相手の過去に対する興味を持った途端記憶を覗かされるということだ。この荒れた世界では、カルムと同じか、もっと酷いものを見てきた人だっているだろう。そんな人に会うたびに、私は記憶を覗いてしまうかもしれないのだ。……自分の記憶に、土足で入られることを想像する。それはとても、不快で、悍ましく、恐ろしいことだった。

タリスが背中をさすってくれる。けれど、私は一向に落ち着くことは出来なかった。


縋られたビオスも、困った顔をしている。

「……悪いですが、僕も当事者だったわけではありませんから。あの国は3年ほど前に内部崩壊してしまって鍵の行方は依然として知れませんし……それに」


「それに、悪いことばかりではありませんよ?」

りん、と後から涼やかな声がする。

振り向けば、白い寝間着姿の天使日向子がそこにいた。

白い月光に照らされて、まるでそこから降りてきたかのように輝いている。

彼女は美しく、慈愛に満ちた微笑を浮かべていた。

「記憶を見れば、その人のお困りごとが分かるかもしれません。それに女神さんの言っていた『世界焼却』っていうのを考えてるのが誰かも分かるかもしれませんよ!」

日向子は優しく笑っている。その頭には、私が抱いた忌避感など存在しないようで。


でも、その通りだと思った。

これは暴く力。解き明かす力だ。問答無用の、真実の力。

世間知らずの女の子ふたりが世界焼却なんて大それた計画を止めるには……これくらいの『ズル』が必要なのかもしれない。


「そんなことより」

ずい、とカルムが首を突っ込む。

「お前が言ったことは本当なの。シレネの正体が、ヴァローナ商会のジークリードって」

私は彼の目を見て気圧される。血眼、とはこういうのを言うのではなかろうか。

「……わかんないわ。私達に名乗ったジークリードって名前だって、ヴァローナ商会って所属だって、偽物かもしれないもの。行先だって……工房がある領地、としか言ってなかったから」

じゃあどうやって探せばいいんだよ、とでも言いたげに肩を落としたカルムの代わりに、タリスが私の言葉に続ける。

「仮にヴァローナ商会の者だと言うのが真実だとしても……それだけでは特定は難しいですね。ヴァローナ商会と言えば今や世界市場の殆ど……奴隷産業を除く全ての頂点に君臨し、表社会と裏社会両方に根を張る複雑な構造の巨大商会です。主のヴェロナ伯爵が所有する領地も、非常に広大でおまけに世界のあちこちに存在しています。工房がある場所なんて本当にごまんとありますよ」

そんなにでかいの、と思わず素っ頓狂な声を上げる。

ジリアの彼氏自慢は、あながち誇張表現でもなかったということだ。

……もしかしてテナシーさん、幹部ってことはめちゃくちゃ偉い人なんじゃないだろうか。

とてもそうは見えなかったけれど。うだつのあがらない平社員です、みたいな顔をしていたけれど。この世界の商業がどれだけ発達しているかは全然わからないが、アンネリヒトタダイ地区の様子やテナシーさんに聞いた話からして、貧弱なものではないだろう。日向子はすごいんですねぇの一言で片づけたが、『ヴァローナ商会』の名のもとには金も、権力も、人も、たくさん集まっているということだ。すごいなんて話では収まらない。

……カルムたちには悪いけれど、協力者になってくれたら世界の救済なんて無茶な話も、楽にこなせるんじゃないかなあなんて思う。


「会えないですかねえ、ヴァローナ商会の偉い人……その人に、ジークリードって人が商会にいないか聞けないですか?」

「えーと、『ヴェロナ伯爵』だっけ?えーでもすごい人なんでしょ?私達みたいなその辺の小汚い小娘が会えるもんなの?それよりテナシーさんに聞けばいいんじゃない。なんか知ってる人みたいだったし」

テナシーさんの優しそうな笑顔を思い浮かべた後、『ヴェロナ伯爵』という名前から連想できる姿を思い浮かべる。……すぐに髭面の、厳しそうなおじさまが浮かんだ。偉い人間と話すのは、どうにも苦手だ。


「……私達が最後に行ったのは5年も前ですし、当時の当主と御子息が疫病で亡くなって……今は妾腹の息子が継いだと聞いていますので、今もそうなのかは分かりませんが……ヴァローナ商会の方でしたら、それなりの地位の方に会える場がありますよ」

タリスが口を挟む。そういえばこの人はかつて王子様の教育係だったんだっけ。

華やかで煌びやかな王宮に、目の前の大人しそうな人がいることを想像して、似合わないなあと我ながら失礼なことを考える。

「どこですか?それは……」

すかさず聞く日向子に、タリスは微笑みながら答える。

「それはですね……」


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「次の舞踏会に出たい?いいよ」

「軽ッ」

次の日、早朝。

アウラの手を引きながら起きてきたヘーレーに「アンネリヒトの舞踏会に行きたい」という旨を伝えてみたが、返事は御覧の通りの快諾だった。

「いいの?こういうのって、貴族とか偉い人じゃなきゃ出入りできないもんだと思ってたけど……」

「本当はそうなんだけどね。次の舞踏会は兄様……エルヴェ第一王子の誕生日でさ。『いつも国を支えてくれる民への感謝』も兼ねて、平民階級の人たちも招待されてるんだ。君たちくらい潜り込ませるのは簡単さ。ボクというか、『アンネリヒト王家』から招待状を書けばいいんだからね!」

悪戯な少年のようなウィンクをするヘーレーの姿は、なんだかとても頼もしく思えた。

……職権乱用なんかして大丈夫なのかとも思うけれど、止める者は誰もいなかった。


「では、急いで帰還しないといけませんね。……というか、はじめはそれに参加していただくために私たちクソやろ……失礼、王子様にせっつかれて姫様を呼び戻しに来たのですが」

深くため息を吐くエトワールに、たははとヘーレーは申し訳なさそうに笑った。

……えっ?この人今クソ野郎って言いかけた?

平民を招待するような優しい人なのかなと安堵していたが、どうもそうではなさそうだ。


「でも、『四災厄』は?もういなくなった?」

私が不安を隠し切れない声でそう聞けば、ラーミナが軽く微笑んで答えた。

「はい、奴ら諦めて根城に引き返したようです。周囲を索敵してきましたが、もうだれも居ませんでしたよ。プシュケの配下の魔物たちさえも。」

その横からエトワールが、私も一緒に見てきたので魔法で隠れてるってこともありませんよと付け加える。……仲は悪そうだが、コンビネーションはばっちりだ。


「じゃあ、もう出発しようか。戻ってこないとも限らないし……それに、兄様を待たせると面倒くさいんだ。舞踏会には顔をださなくっちゃ」

ヘーレーは困ったように笑って、少ししかない荷物をさっと手に取った。

きっと、いつでもここを立てるように準備をしているのだろう。

彼女の旅慣れ方を感じる瞬間だった。


「……ねえ、あんたも一緒に来ない?」

振り返って、カルムに声を掛ける。

復讐を目論んでいるのなら、教会に閉じこもっている訳にはいかないはずだ。

それなら私達と一緒に来た方がジークリードと接触する機会もあるだろうし……なにより私達も、戦力が増えて安心だ。


彼はきょとんとして、それからばつが悪そうに俯く。

「……だめだよ。兄様や先生を置いていけない。それに、これは僕一人の復讐だ。お前たちを巻き込むわけにはいかない」

それでも顔には、「ついていきたい」と書いてあった。

それはそうだ。仇の雇い主に会えるかもしれない、千載一遇のチャンスなのだから。

ちらりと、タリスの顔を見る。その顔には、憂いと迷いの色が浮かんでいた。

折角生きのこった教え子を、これ以上喪いたくない。復讐の旅などに、送り出せない。

けれど、彼がそれによって希望を失わず生きているというのなら……送り出してやるべきではないのだろうか。そんな葛藤がありありと見える表情だった。


迷うカルムの手を、日向子が握る。

「良いじゃないですか、行きましょう?」

花のような微笑で、カルムを誘う。

「本当のことを確かめるためにも。

ジークリードさんだって、何か理由があったのかもしれませんよ?」


嗚呼、お馬鹿な日向子。

こいつは、カルムを復讐に走らせる気などないんだ。

カルムとジークリードを、亡国の王子と国を滅ぼしたかもしれない男を和解させる気なのだ。そんなことできるのか?……できるのかもしれない、日向子なら。


それでも惑うカルムとタリスの後ろから、ビオスが私たちに歩み寄る。

「それなら、僕もカルム様たちと同行します。絶対にカルム様たちを死なせません。

……あなたをアウラ様とふたりで残していくのが、心配ではありますけれど」

どうかご一考を、タリス司教。そう静かに微笑むビオスに、ついにタリスは根負けした。


「……分かりました。ですが、ジュウジカの神の名において約束してください。

絶対に、生きてここに帰ってくると。」

強い眼差しで、こちらを見つめる彼の瞳。

それに気圧されることもなく、カルムは銀のロザリオを掲げ頷いた。


「うん……タリス先生。

僕、絶対帰ってくる。だからそれまでどうか……アウラ兄様と、元気でいて。」

強い西風が一陣、どっと私達の間に吹いた。

その風は私達を隔て、木の葉を巻き上げ去ってゆく。



私達は結局、7人という大所帯でアンネリヒトへ引き返すことになった。

ヘーレーとカルム、日向子とビオスは馬に乗り、ラーミナは徒歩。

……そして私は、エトワールの箒にまた乗せられることになった。


「……なんで?あの時うるさいって怒ってたじゃん……私絶対またうるさいわよ……」

「だからです。少しは慣れないと生きていけませんよ」

ふんと鼻を鳴らすエトワールの冷たい美貌には、有無を言わせぬ力がある。

うえぇ……と情けない声を漏らす私に、エトワールは今度は少し速度を緩めますからと仕方が無さそうに呟いた。


箒の後ろでだれる私の髪に、ふわっと何かが触れる。

そちらを向けば、そこにあったのは深い緑色のレーゲンの外套だった。

彼は私に背中を向けたまま振り返り、金色の目で私の顔をじっと見つめた。

そして厳かに、歌うように、こう告げた。


「……気を付けろ。舞踏会で会う者たちに、復讐を望む鴉たちに、お前たちはもう何回も殺されている。……舞踏会の夜、アンネリヒトの城下町に『狭間の門』が現れる。

全てを放棄して、そこから帰れ。あの女神の甘言に、従う必要は無い」


「……え?」

言葉の真意を確かめようと、レーゲンの外套を掴もうとする。

だが、それは幻のように手をすり抜け、レーゲンの姿も影法師であったかのように消えてしまっていた。

「何やってるんですか、行きますよ」

しっかり捕まって、とぶっきらぼうに言うエトワールには、レーゲンが見えていなかったのだろうか?まるで私が虚空と会話していたかのように、訝し気な表情をしている。


納得できない気持ちのまま、箒は滑り出す。

ふわりと宙に舞う頃には、彼の不思議な忠告は───不自然なほど、頭から拭い去られてしまっていた。




〈22話に続く〉

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