第5話 〈非人の街と紹介状〉
小屋の中に入れば、爽やかなハーブの香りを纏った空気に歓迎される。
窓際に置かれた、質素な木のテーブルに、古い革の張られた椅子。
小さな本棚に、可愛らしいティーセット。
それだけ見れば、慎ましい女二人の二人暮らしの家だと簡単に思えただろう。
しかし異様なのは……奥に置かれた、複数の棺と化粧道具だった。
重苦しい威圧感を放つそれは、他の清楚な家具達の雰囲気を食い荒らしながら我が物顔で部屋の一角を占領している。
私がそれらに釘付けになっていると、デイジィは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい……いつもは奥の部屋に収めているのですが、どうにも最近その、数が多くって」
数、と聞いて顔が引きつる。
「葬儀屋」が口にする「数」が何かなんて……決まっている。
まさか、あの棺には「中身」が……。
嫌な想像を振り切るように軽く頭を振る。
いけない。そうやっていらない蓋を開けようとしてしまうのは、私の悪い癖だ。
そう。あれはただのインテリア。ただのオシャレなインテリアだ。
そう思おう。うん。
「あのひとは直しおわったんだよね?じゃあ、あたしお墓にいれてくる!」
……そう思った傍から。
墓守の少女アンナは無邪気に例の棺のひとつを指さし笑っていた。
この無神経ともいえる天真爛漫さは天使日向子といい勝負かもしれない。
その証拠にデイジィも頭を抱えている。
「……妹がごめんなさい」
「……いえ。貴女も苦労してますね……」
何も知らない白と茶色の天真爛漫は、頭上に「?」を浮かべていた。
「ええと……そう、この街の話でしたよね。」
こほん、と咳ばらいを一つして、デイジィは仕切りなおす。
私と日向子は、姿勢を正して聞く準備を始めた。
「この街の名はユダ。正確に言えば……アンネリヒトという国の、いちばん外側の、ユダという名の『区画』です」
デイジィは机から地図を持ってきて私たちに見せる。
そこには丸を何個も重ねたような形が描いてあり、確かに一番外側に「ユダ」と読める字が見えた。
「ユダは私たち『人間以外の種族』が、ひとつのことを条件に住むことを許可された街。
……同じ国の、他の区画には行けないのです。私達は人権を保障されない最下層の国民ですから」
デイジィは溜息をつく。
青白く細長い、青黒いネイルの指が物憂げにつうと紙の上を這った。
「ひとつのこと、って……?」
日向子が首を傾げる。
しかし……私はその答えに、なんとなく察しがついていた。
「人間への……完全服従、です」
デイジィの顔に落ちる影が、一層暗さを増す。
「人間の命令は聞かなければいけない。人間に逆らってはいけない。
私たちは人間に殴られても攫われても殺されても盗まれても犯されても、訴え一つ上げることはできないのです。彼らが私たちに何をしようと、罪に問われることはない」
デイジィは悔しそうに拳を握り、そして悲痛な視線をアンナに向けた。
「……逃げればいいじゃない、そんなクソみたいな国」
おもわず考えていたことが口に出た。
だって、そんなの。都合のいいサンドバッグと一緒じゃないか。
良いようにされる家畜と同じじゃないか。
脳みそに、静かな憤りがふつふつと沸きあがる。
それを知ってか知らずか、デイジィは静かに首を振った。
「一度住んだら出られないのです、この街。私たちは安価な労働力であり、人間たちの都合のいい欲のはけ口であり……野放しにしていては何をしでかすかわからない害獣ですから。常にこの街は監視され、国外への出口は私たちの行けない上の区画にしかありません。」
「……それに。どこに行ったって同じですよ。
この世界中に、人外への差別はあるのです。この街はまだマシな方……。彼らの依頼すらこなせばちゃんと給金が支払われますし、それに人間の居住区の近くですから強い魔物も出ません。……私一人くらいなら外でも暮らしていけますが、アンナはか弱いヒトですから」
そうしてデイジィは卑屈な笑みを浮かべる。
灰色の翼は、枯れたように力なく床を舐めていた。
「……バッカみたい」
その全て諦めたような顔に腹が立って腹が立って、つい荒れた言葉が口に出る。
日向子に軽くたしなめられるが、どうにも苛々したままだった。
「……ふふ、そうですね。馬鹿です、私は。」
デイジィは自嘲するような笑みを深くする。
心から自分を馬鹿にするような、そんな暗い笑顔。
ああ、腹が立つ。どこかで見たような、嫌な顔だ。
「……でも、妹とするこの仕事は悪くありませんよ?
この街には誰にも顧みられず忘れ去られる、そんな悲しい死がたくさんありますから。」
彼女曰く。
この街で人が死なぬことなど稀なのだという。
人間に命を弄ばれたもの。苦しい環境に気が狂い、殺人鬼になってしまった住人の犠牲者。
疫病に貧困に飢餓に虐待に抗争。夏は暑さで人が死に、冬は寒さで人が死ぬ。
危険な仕事に手を染めて、雇い主たちの都合が悪くなれば殺される者も多いのだと。
「名もなき民たち。悪人も善人も、死んでしまえば皆一緒。
……掃除人であるシュティレやラルフにゴミとして処理されるだけだった彼ら彼女らを、きちんと『ヒト』として葬る。
それが私とアンナの仕事であり、私たちに唯一所持を許された誇りなのです。」
私は一晩宿を借りた、あの二人の男のことを思い出す。
(『ラルフ』というのは、あのイヌ科の男のことだと推測した)
深夜に家を出て行ったふたり。あの時にも人がどこかで死んでいて、人知れずあの二人が片付けていたのだと。
私は最初に襲われた、赤い髪の男も思い出した。
あの濁った瞳は、あの残虐さは。
この街に、人間に、虐げられた結果の姿なのだろうか。
私は、何も言えなかった。
「……そんなにも不幸なのですね、この街は。そしてあなたたちは。」
日向子が同情の色を顔に浮かべる。
「私、きっとあなた達を開放してあげます。救ってあげます。だから……もっとこの世界のこと、教えてください。」
日向子が色素の抜けたような手で、デイジィの死人のような手を取る。
日向子の顔を見て一瞬──デイジィは何か言いたげな顔をしたが、すぐに話題を切り替えた。
「……貴女たちは人間でしょう?だったら、この上の層……普通の『人間の街』へ行けるでしょう。この世界のことについて知りたいのだったら、人間の戸籍を持っている知人に紹介状を書いてあげます。……『タダイ』区画にある一番大きな図書館を訪れてください。そこのテナシーという青年から、色々聞けるでしょうから」
デイジィは戸棚からクリーム色の紙を取り出し、何やらさらさらと書き始めた。
テナシーという男への紹介状だろう。
……道中アンナを助けられたのは、本当に幸運だったのかもしれない。
余程妹が大事だったのか、見ず知らずの私たちにこんなに良くしてくれるなんて。
綺麗な文字を紙の上に刻む彼女の心情は、姉に罵られ妹に馬鹿にされ続けた私には分からなかった。
「でも、人外は外に出られないのでしょう?
この地区から出ようとするわたしたちも、止められませんか?」
日向子が不安そうに首を傾げる。
それを見てデイジィは、ふっと嘲るように笑った。
「この地区に出入りする人間は、先のクソ強姦魔含め沢山いますから。
門番もここと低所得者の人間用の『シモン』の間にいるのはろくに仕事をしませんし……」
もし止められたらこれを渡せば通してくれますよ、とデイジィは銀貨を三枚ほど握らせた。
……賄賂か。やはりというか、何と言うか……。
生活が苦しいだろうからと必死に握らされた銀貨を返そうとする日向子のポケットに半ば無理やり銀貨をねじ込み、デイジィは悪戯っぽく囁く。
「それでも門番に何か言われたら、テナシー・ヴォイドハートの助手だと言ってください。
あの人のいる商会は……なにかと顔が広いですから。」
そうしてデイジィは、下級生に悪いことを教える上級生のようににやりと悪どく笑って見せた。……このひともやはり、この荒んだ街の住人だ。
デイジィとアンナに別れを告げ、インクの乾いた紹介状を手にクロウズ・グレイブヤードを後にする。目指すは人間たちの街、中級市民区画『タダイ』だ。
……別れの直前、デイジィは軽く微笑んで、こう言った。
「私達は……貴女たちに憐れまれるほど、不幸だとは思っていませんよ。」
〈6話に続く〉
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