第3話 〈罪悪の記憶と路地裏の悲鳴〉

 



「……は?」

ぽかんと阿呆のように口を開けたまま固まる。

今こいつは何を抜かしたのだろう。

世界を?救う?私と日向子で?


「そうそう。君と、日向子ちゃんで。この世界、ちょっと危ないんだ。」

女神は満面の笑みで私が否定したいことを肯定する。

受け入れられないのは分かっていた、と言いたげな顔で。


「……なんでよ。あんたがやりゃいいじゃない。神様なんでしょ?」

「僕が手を出したらヒトのためにならないじゃないか。ヒトってば僕らがちょーっと手を貸してあげるとすぐ頼り切りになるんだからさ。ジュウジカの信徒がいい例だよ。あれもあれでかわいいけどさ。」

なるほど。神様らしい余計なお世話だ。

用はその世界の危機とやらを、「人間の力で解決した」ように見せたいのだ。

フランスのジャンヌダルクよろしく。


「じゃあなんで私たちだったのよ。日向子はともかく私は聖女さまになんてなれないわよ」

日向子だったらジャンヌの物まねをするのに最適だろう。

あの女の天真爛漫さの元には、人なんていくらでも集まってくる。

けれど、私は無理だ。

あらゆる事に苛立つことしかできない、私には。


「うふふ、そんなに卑下することないよ?僕が何億と蠢いてるヒトの中から選んだふたりなんだからさ。」

女神は頬杖をついて、私に微笑みかける。

……私たちの何に、そんなに期待することがあるのだろう。

何を……この女神は認めてくれたのだろう。


「まあ一番の理由はそこに丁度良く死にかけの子供がいたからなんだけどさ」

「おい」

……この野郎。

さっき何かを認められたのかも、なんて浮ついた思考をした私と一緒に、この女神の愛らしい顔をぶん殴りたくなった。


「まあまあ、そんなに怒らないでよ。世界を救うのはいつだって少年少女と決まってるんだからさ!それにほら、武器もあげただろう?」

武器?思い当たるのはあのおもちゃみたいなステッキだけだけど……

あれもこの女神が私たちに持たせたのだろうか。


「そうそう。僕の力の一部を分けたステッキさ。外見は君たちの世界の娯楽を再現してみたよ。アニメ、っていうんだよね。あれ結構僕好きだなあ」

……なるほど、魔法少女ものか。何してんだこの女神。暇かよ。

ということは……これを使うと、やっぱり、変身……するのだろうか。

数多生まれた魔法少女たちのように。私たちも。


「もちろん。この世界は危険がいっぱいだからね。それをある程度まで開放するような危機になったら自動で可愛い少女魔導士用戦闘装備に変更されるよ。やったね!」

「最悪……いらなっ……」

いかにもそういった少女趣味が似合いそうな天使日向子はともかく、私は無理だ。絶対似合わない。無理無理無理無理。


全身で少女趣味とヒーローごっこへの忌避感を示すと、女神はわざとらしく頬を膨らませた。

「むう、やってみなきゃわかんないじゃないか。勿論タダとは言わないよ。

世界を救ってくれたら、お礼に……」


そこで女神は意味ありげに言葉を止めて、悪戯っぽく微笑む。

おもわず意識が集中する。それを見計らったように、にんまりと女神は笑みを深くした。



「君たちふたりのために、最高に幸せな『元の世界』を用意してあげる。」



「……へ?」

女神の言った言葉の意味がよく理解できない。

どういうこと?それを口に出す前に、女神のぷるりとした唇が動く。

「そのまんまの意味だよ。だって君、あの世界が嫌いなんだろう?」


「だから心中なんてした。いや、あれは君が殺したと同時に自殺したのかな?」


へんなことするよね、人間って!

そういって女神はおかしくてたまらないというように口角を吊り上げる。


「私は、殺してなんか」

殺してなんかない。そう言おうとした。だってそのはずなんだから。

私が、日向子を殺すなんて。そんな────

なのに全身から汗が吹き出し、頭ががんがんと痛みだす。

まるで、「嘘をつくな」と責められているかのような苦痛が私を襲った。


「嘘はいけないよ」

くすくすくす。女神の意地の悪い笑い声が聞こえる。

ああ、この笑い声を私は知っている。

性格の悪い奴の笑い声。人を甚振るのが大好きで仕方ない奴。


「君は天使日向子を屋上から突き落とし、そして一緒に落ちたんだ。

天使日向子には死ぬ気なんか、これっぽっちもなかったのに。」


あたまがまっしろになる。

「君はね、自分を虐げる世界を愛している、天使日向子という愚かな少女を独り占めすることが救いだと自分に言い訳したんだよ。ちっぽけな人間の分際で人なんか救えないのに」

なにもあたまにはいらない。

「でも本当は、自分だけを見ない天使日向子が、自分が嫌いなものと同等にしか自分を愛さない天使日向子が、ひどく嫌いで、ひどく哀れだったんだ。だから殺した。」

やめろ。それいじょうなにもいうな。

「うふふふふ、そんなに睨まなくたっていいじゃない。そんなおバカな君を、僕が助けてあげるって言ってるんだから!」


ごとん、と目の前に何かが落ちた。

それは、あの黒いステッキだ。


「君たちが見事世界を救えたら……君たちを害するものを全て無くして、君たちが普通に生きていけるようにしてあげよう。僕は神様だもの。それくらいちょちょいのちょい、さ!」


女神が笑う。やさしく、あかるく、私を嗤っている。

「君の罪も、それで帳消しさ。あとは好きに幸せな人生を送ると良い。」


ああ、なんだ。

私に、拒否権なんてなかったんじゃないか。

『お願い』なんて言っておいてさ。嗚呼、嫌い。本当に嫌いだ。



「わかったわよ……やるわ、やればいいんでしょ」

ステッキを握る。

女神の髪と同じ亜麻色の綺麗な宝石が、憎たらしく輝いた。


「うんうん、君ならそう言ってくれるって信じていたよ!」

がんばってね!と女神が私の頭を撫でる。

滑らかで綺麗な白い腕。美しい少女の手。

けれどそれは、私に不快感しか与えなかった。


「じゃあ、もう僕は行くよ。」

頭を撫で終えた女神がやっと別れを告げる。


「リミットは2年。二年後には、世界は焼却されてしまう。

その前に、世界を救っておくれよ?」




「────ッ!」

飛び起きる。

そこはやはりあのボロ屋で、隣の床には天使日向子が寝ていた。

その穏やかな寝顔は、見つめていると苛立ちと罪悪感がふつふつと沸いてくる。


そうだった。

思い出した。思い出してしまった。

私と日向子が落ちた理由。そしてここにいる原因。

それは私だ。私が日向子を殺したのだ。

クズの親に、低俗なクラスメイト。下品な人間たち。

それらを全て愛している、そしてそんなゴミと同じように私を愛している日向子に耐えられなくて。


だから。

背中を、突き飛ばして。

そして、落ちていく彼女の体を抱きしめて、私も……


「……やるしかないんだ。」

枕元に置いてあったステッキを、ぎゅっと握る。

どうあれ私は、日向子に望まぬ死を与えたんだ。

私は、欲しがってはいけないものを欲した。

その罪は、償わなければならない。


「……あんたが本当に幸せになれるなら、私なんか死んだっていいんだ」

日向子の白い髪にそっと触れようとして、思いとどまる。

ふわふわの白い髪。醜いやつらに、嘲笑われ続けた異質の髪。

簡単に汚れてしまう、白い、白い────


ふるり、と白い睫毛が突然動いた。

私は慌てて、中空に浮いたままの行き場のない腕を引っ込める。


「おはようございます、幽鬼。」

優雅に欠伸をしながら、天使日向子は体を起こす。

そうして、いつものように私に微笑みかけた。


「頑張りましょうね、魔法少女」

「……ほんとサイアク。あんたもあの夢見たの?」


日向子とステッキは、嫌になるほど馴染んでいた。



この家には日光が碌に指さないせいで、時間を判別しづらい。

ソファーではイヌ科の男が、ハンモックでは目つきの悪い男がひっくり返って爆睡していた。……少し変なにおいがする。

ふと傍らのテーブルへ目をやると、ふたつのパンとコーヒー、そして書置きが置いてあった。


『起きたら勝手に食え。食ったら出ていけ』と随分つっけんどんな書置きだ。

けれど、下に書かれた簡素な地図には星印が付けられており、『クロウズ・グレイブヤード』と文字が振ってあった。ここへ行け、ということなのだろう。


「親切な方ですよね」

にこにことしながらパンを頬張り、日向子が笑う。

……なるほど。ツンデレかあの男。

そう思って、なんとなく半笑いになる。


少し硬いパンを苦いコーヒーで流し込み、簡素な朝食を終えた。

私より早く食べ終わった日向子は私の空のマグカップと皿を手早く奪いとり、奥の台所らしきところへさっさと運んだ。


「水道、ないんですね」

日向子が首をかしげる。

いわれてみれば、そこには蛇口がない。

その代わり、桶に少し濁った水が汲んであった。まさかわざわざ井戸から持ってきたりしているのだろうか。

……家具や家屋のボロさから見ても、良い暮らしをしているようにはとても見えない。


「……ま、異世界っぽいしそういうこともあるでしょ」

瓦礫に近い石を積み上げて作ったような家。やけに古い家財道具。

若い男の二人暮らしだというのに、ひとつも見当たらない電化製品。

そして彼らの「人間ではない」耳尻尾や瞳。

……決定的なのは、あの女神だ。

あの女神は、自分の世界を救済させるべく私たちを連れてきたのだから。


皿を洗いながら異世界!と目を輝かせる日向子をよそに、毛布を畳んでおく。

皿が二枚にマグカップがふたつ。わざわざ二人で洗うような量でもない。

荷物を纏めておこうかとも思ったが、持ち物は例のステッキだけだ。


「じゃ、ふたりが起きる前にさっさと行きましょ」

ドアを開ければ、薄暗い外の景色が顔を出す。

雨は降っていなかった。まだ早朝なのかとも思ったが、時折指す日光の明るさが今は昼間であることを私たちに教えている。


おせわになりました!と律義に頭を下げてからドアを閉めた日向子の手を引いて、

地図を見ながらクロウズ・グレイブヤードを目指す。

目的地までは少し距離がありそうだ。

入り組んだ道も多いので、迷わないように地図を確認しつつ進んでいく。


(……視線がうるさい)

道を行き交う汚い恰好の大人たち。やせ細った腕で何かを運ぶ子供たち。

視界の端に移りこむそれらの視線が、なんとなく自分たちに向けられている気がする。

少なくとも好意的な視線ではない。

明らかに場違いなもの、日常に混ざりこんだ異物を見る、じっとりとした視線。

日向子はそれに気づいているのかいないのか、呑気に鼻歌なんて歌っている。

足取りは軽く、目が合った子供に手を振っては逃げられている。


「……け……て」

ふ、と。

何かの声を私の耳が捉える。

日向子の声ではない。別の少女の声だ。

日向子もこれには気づいたらしく、ぴたりと足を止める。


「……けて、誰か、誰か助けて……!」

今度ははっきり聞こえた。

女の子の悲鳴。路地裏から!

周りの人間にも聞こえたらしく、ぱらぱらと首があがる。


「こっちから聞こえました!」

日向子はなりふり構わず、声の方向へ走っていく。

こういうとき躊躇しないのが、天使日向子という女なのだ。

私はその背中を、必死で追いかける。


「助けて……」

暗く汚い路地裏。逃げ場のない袋小路。

そこにその少女はいた。

暗い茶の髪をおさげにしたその少女は、体格のいい男数人に囲まれて服を脱がされかけていた。

あの目つきの悪い男が言っていた、強姦魔だろうか。

そう考える前に、奴らが一斉に闖入者である私たちのほうを向く。


(……ああ、だめだ。助けられない)

私の脳が、一瞬で冷静に判断を下す。


どう見てもカタギではない男複数人に、こっちは女子高生ふたり。

ろくに武術もやったことはない。

絶対に敵わない。私たちもあの子と一緒にレイプされて終わりだ。

逃げろ。今すぐに天使日向子の手を引いて逃げろ。

私の脳みそはそう叫ぶ。

けれど。


「その子を離してください」

凛とした声が、薄汚い空気を割って響く。

天使日向子は、静かに一歩を踏み出していた。

その青く穏やかな瞳を、何の恐れもなく強姦魔に向けて。


天使日向子は、少女を救えると信じて疑わなかった。




〈4話に続く〉

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