ver.5.0.19 彼女の正体

 結局、一時間もかけて学んだ内容は、彼女を前にすると完全に忘却してしまった。

 O阪市内の高級ホテルで夜景を見ながら、ディナーを楽しんでいる。

 自分が座っているテーブルの横に、サービスワゴンが到着した。

 派手な装飾のサービスワゴンから、注文した料理が取り出される。



「こちら、自家燻製したノルウェーサーモンと帆立貝柱のムースのキャベツ包み蒸し生雲丹とパセリのヴルーテにリュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシの塩焼きを添えて、です」

「わぁ、美味しそう!」

「名前、長いけど高級レストランって感じがするな……」



 小泉さんは、目の前に置かれた料理を美味しそうに食べていた。

 二人の恰好は、ちょっとフォーマルな感じである。

 ドレスとスーツは町中で目を引く格好だが、ここでは自然と馴染んでいる。

 なんだか落ち着かず、辺りを見渡しながら呟いた。



「黒崎さんには、お世話になりっぱなしだ。よく、招待状なんてもらえたな」

「すごいですよね、課長は。ここにいる人達、よく見ると有名人ばかりですよ」



 言われてみれば、テレビかなんかで見たことのある人物があちこちにいる。

 なんというか、自分だけ場違いな気がしてきた。

 そんなことはどうでもいい、とばかりに満面の笑みを浮かべた小泉さんは頭を下げた。



「大倉さん、誘ってくれてありがとうございます! こういう場所、私には縁がないと思っていましたから」

「それを言うなら、俺もだよ。なんか、ソーシャルヒーローをやって良かったって思えてる。大学の道を選択しなかったことに後悔していたけど、ヒーローの道を選択したからこそ、得られたものがあるなって。俺にとって、一生の誇りだよ」

「だって、O阪を……いえ、世界を守ったんですよ。名誉ですよ! 私はすごく嬉しいです! こうして、食事を共にできるんですから」



 食事の手を止めてまで、俺を褒めている。

 体中が燃えるように恥ずかしい。

 けど、ここまで評価してもらえるなんて。

 村雨と戦ってよかった。

 勝てないと思い込んでいた敵でも、正面から挑むことで勝機が見えることもある。

 学ばされたな。

 俺も肉を頬張って、小泉さんに礼を伝える。



「小泉さんも、俺を支えてくれてありがとう。黒崎さんから聞いたよ。俺の個人情報漏洩を対処してくれたって」

「そんな感謝されることじゃないですよ。これも、サイバーセキュリティ対策課の仕事ですから。当然のことをしたまでです」



 彼女は微笑んだ。



「それより、大倉さん。何か、言いたいことがあるんじゃないですか?」

「え?」



 突然、意地悪に聞こえる口調で、顔を近づけてきた。

 そのせいで、俺の顔が熱くなる。

 どうして、そんなセリフを言ったんだ。

 まさか、表情から何かを読み取られたのか。

 もしかして、俺が気付いていないだけで元から顔が赤かったのだろうか。

 今もまだ、19歳だから酒は飲めない。

 つまり、赤面はアルコールによる血圧上昇ではない。

 こんな時になって、博士の授業が脳裏をよぎる。

 顔が赤くなるのは、皮膚の毛細血管が拡張しているからというのもあるが。

 心理面から考えて、興奮しているか、緊張しているか……恋をしているかだ。

 恋を、している?

 博士に訊くべきだったのは、赤面の隠し方だ。

 あとで、博士に聞いておこう。



「ばれたか。実は、小泉さんに尋ねたいことがあって」

「うんうん」

「その……」

「うん」

「答え辛いかもしれないけど」

「うん」

「……何か、隠していることはないか?」

「……え?」



 思考が悪い方向に捻じ曲がって、話を逸らしてしまった。

 ほんの数秒だったが、俺にとっては長く感じた沈黙。

 両者共に目を見て、固まっていた。

 失礼なことを言ってしまった。

 隠していることないかって、まるで悪いことでも自白させるような言い方だ。



「ご、ごめん。なんか、悩んでいそうだったから」

「……かと思って期待したのに」



 声が小さくて聞き取れない。

 俺の一言で、不機嫌になってしまった。

 まずい、こういう時こそ、博士の助言を思い出すんだ。

 ……出てこない!

 小泉さんは、呆れたように息を吐いた。



「悩み……ですかぁ。じゃあ、思い切って言います!」



 水を一気に飲み下して、コップをやや乱暴に置いた。

 素面のはずなのに、どこか酔っているようにも見える。



「私、プログラミングコンテストで優勝したからスカウトされた、って言いましたが、本当は違うんです。2033年リベンジリーク事件、知っていますか?」

「いじめの加害者の個人情報をあちこちに流出させたっていう。見えない正義の裁き、なんて言われていたな」

「それをやったの、私なんです」



 俺は驚愕して、コップに持っていった手が止まった。







 これまで日本で起こったネットいじめ、それらほとんどの加害者の情報をネット掲示板等に晒された事件。

 晒されたことで、加害者である大人から子供まで数万人が社会に殺された。

 一時期、社会現象となり、晒したとされる首謀者が自らを『WINHERO』と名乗った。

 WINは「勝つ」を意味するだけでなく「WIthoutName」の略でもあり、名無しのヒーローという意味になる。

 名前の由来は、首謀者自身が語っている。

 首謀者は「被害者の子が報われるように」と、メッセージを発信した。

 この事件によって、ネットいじめの件数は激減。

 それは当然のことだった。



 SNSいじめなど外部からは分かりにくいいじめも、全て暴かれる。

 とある学校では、一人の女子をクラスメイト全員がSNSでいじめていたという悪質な事件があった。

 被害者の女子が自殺する寸前、一通のメッセージが届いた。

 普通なら招待されなければ会話できない仕組みのSNSに、だ。

 差出人はWINHERO。

 ただ一言『WINHEROが守る』、そう書いてあったという。

 被害者が翌日、勇気を振り絞って学校に行ってみると、彼女のクラスだけ空っぽだった。

 皆、被害者と同じように家に引きこもらざるおえなくなり、中には一家全員心中した加害者もいたという。

 個人情報が晒す行為は、人を死に追いやることができる。

 そうして、リベンジリーク事件はネットいじめに歯止めをかけたのである。



 いくら世間はWINHEROを支持しても、警察は動いた。

 そして今日の今日まで、WINHEROが捕まったというニュースを聞くことはなかった。

 デスノートを彷彿とさせるような社会にしたのが、まさかこの美少女だというのか。



「小泉さんが、WINHEROってこと?」



 言葉はなく、頷くのみ。

 つまり、本人だと認めている。



「じゃあ、もしかして今、サイバーセキュリティ対策課で働いているのは……警察にスカウトされたから?」

「はい。家に訪ねてきた男性が、その技術を日本のために使ってほしいと。これで罪を清算できるなら。そう考えて、私は警察官になることを決めました。ちゃんと正義のヒーローとして戦えるから」

「訪ねてきた男性って、黒崎さん?」

「そうです。今では私の上司ですよ」



 テーブルの料理は冷めていた。

 湯気が消えかかっている。

 小泉さんは顔を俯け。



「ブラックハットハッカーから、ホワイトハットハッカーに生まれ変わった。文字通り黒から白になったんです。私も昔、いじめられたことがあって。その仕返しにハッキング技術を学んで、技を持ったクラッカーになりたいがためにAIも学びました。それがこうやって、活かすことができているんだなって思うと嬉しいです」

「ハッキング技術ってさらっと口にしたけど、どこで学べるんだそんなもの。パソコン教室が教えてくれるわけでもない」

「アンオノマに直接、教えてもらったんです」

「アン、オノマ……?」



 小泉さんが言うには、凄腕のハッカー集団だそうだ。

 突然現れ、事が終わればさっと散っていく義勇軍。

 アンオノマのメンバーは世界中に存在し、目的も正体も不明という謎の組織なのだ。

 簡単に言えば義賊なのだが、良い存在とは言えない。

 あちこちで被害を出しており、組織のボスは国々を裏から牛耳っているそうだ。

 そのため、国際刑事警察機構ICPOを中心に世界各国の情報機関が追跡している。

 詰まるところ、小泉さんもICPOに追われる身ではある。

 今は日本の捜査官となって活動しているため、捜査網から逃れることができた。

 そんな組織から、技術を教えてもらった彼女。

 正直に言おう。

 小泉さんを尊敬すらしてしまった。



「十歳の時、私に技術を継承させる代わりに、メンバーとなって活動してほしいって」

「だめだ、頭がついていけない。すごすぎる。はぁ、お腹いっぱいだよ」

「驚いてくれて、ありがとうございます。ごちそうさま」



 感謝の言葉の割には、あまり満足していなさそうな表情だった。

 こういう場面で、俺は超能力を使いたいものだ。

 相手を満足させたい。

 相手の心を読みたい。

 小泉さんは、ボソッと声を漏らす。



「鎌をかけた結果がこれかぁ。私の臆病な性格を直したいな」

「鎌をかけた?」



 何か、言いたいことあるんじゃないですか。

 このセリフは、俺から何かを引き出すための罠だった。

 いや、なにか真意があったはずだ。

 俺は気付けないまま、変なことを口走ってしまった。

 けど、彼女の過去を知ることができた。

 おまけに、心を打ち解けたのではないだろうか。

 それにしても、鎌をかけたということは目的があったはずだ。

 何だったんだろうか。







 料理も食べ終わり、体を休める。

 ふと、脳裏をよぎったのが寂しさだった。

 人間マルウェアによる感染者が現れない限り、もう小泉さんと話す機会はないのだろうか。

 今のディナーが、最後の別れになるのだろうか。

 それは……いやだな。



「あのさ、これからも結城博士の研究室に来てくれないか」

「どうしてですか?」

「どうしてですか、と言われると……」

「ごめんなさい、つい意地悪しちゃいました」

「はぁ、焦った。脅かさないでくれよ。実は俺も研究員として、脳を研究しているんだ。というよりも、人工知能の勉強かな。人工知能を知ることは、脳の構造を解析することに繋がる。これは……」

「なんだか、結城博士に似ていますね。遠回しに言わなくていいですよ。親しい仲じゃないですか。会いたいんでしょ?」



 心臓に悪い質問で、言葉が詰まった。

 小泉さんは、口元を嬉しそうに歪ませている。



「……はい」

「……本当にそう思ってるんですか? 本当の本当に?」

「う、疑いすぎでしょ。その……話していて、楽しいから」

「もっと言ってほしいです。そういうの」

「健気で優しい。気も配れるし、丁寧」

「耳が幸せです。私、あまり褒められたことがないから、もっと言ってほしいです! もっと!」



 褒めちぎった途端、小泉さんの雰囲気が変わったな。

 急かされて、照れながらも答えた。



「……カッコいいし、かわいい」

「……あれ。……前が霞んで見えなくなってきました。私……こんなに、褒められたこと、なかったから」

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