肉と野菜を細かく切り米と一緒にいためて蒸したものと、玉葱が溶けるまで煮込んだコンソメスープ、洗っただけの新鮮なサラダを食卓に並べる。ノイももちろん手伝ってくれた。「ちょっと手を抜いてしまったの。作っていてお腹がすいてしまって」と肩をすくめて言ったのは照れ隠しだった。自分の料理を食べてほめてくれたのは、ティファニーと、ノイしかいなかったので。


 だから、フラムがスプーンでジャンバラヤをすくいあげて口に運ぶのを、初めて誰かに作った料理を出したときのように、真剣に祈りながら見ることになってしまった。

「美味しいです」

 最初の一言に、緊張は半分霧散する。

「いい香りですね。タイムと……」

「白ワインを入れてあるんです。それからこの国の人は辛いのがお好きかなと思って、チリペッパーは多めにして」

「ああ、だからでしょうか。懐かしい味がするのに、異国の味がします」ほころぶように微笑むフラムに、イリスの心はふわりと浮き立った。残りの半分の緊張が、胸を弾ませる動悸と照れに変わる。素直に嬉しい。彼がその間にもスプーンを口に運んでくれる。しかしそれだけではないのは、イリスも認めるところだった。礼儀正しく心温かな友人を、イリスはずっと求めていたのだ。

「レディ、僕のは辛くありませんよ?」

 気付かれたか、とこっそり舌を出した。しかし正当な理由はある。

「子どもは刺激が強いものをあまり食べてはいけないわ」

 不満な表情をするので、笑いながら自分の器から取り分ける。ノイが辛党なのは、ここに来て一ヶ月くらいまでの朝食で実感済みだった。

「これで我慢してくれる?」

 はあい、と彼にしてはめずらしくふてくされた返事だった。だから「あんまり辛いと、豆乳プリンがおいしくないわよね」と何気なく言うと、ノイの目が輝いた。笑みを浮かべてジャンバラヤをほおばるので、「頬は膨らませちゃだめよ」と言うことになったが、今度の返事は弾んだものになっている。豆乳とたっぷりの砂糖、ゼラチンを加えたプリンは、今ゆっくりと冷蔵庫の中で固まっているところだ。

 気付けば、フラムのスプーンが止まっている。不安になる。

「やっぱり、お口に合わなかった?」

「いいえ」たっぷり時間を取って彼は言った。「あなたの眼差しに魅入っていました。とても優しくノイを見るのですね」

 イリスはくすぐったくて肩をすくめる。

「そうですか? 自分では気付かないんだけれど」

「恋人にもそんな目をするのでしょうね」

「そうだったらいいと思うわ。でも最後には言われてしまうの、『君って僕の恋人? それとも母親?』」

 おどけた口調に、フラムは目を細めて穏やかな笑い声をたてた。一矢報いるのとは違うが、会話をもてなせたことに少々安堵する。これで彼のことを聞きやすくなった。

「昨夜はありがとうございました。驚いたでしょう? 彼は親戚で、酔っていたから冗談が過ぎたみたいなんです。散歩を邪魔して本当にごめんなさい」

「いいえ。あの夜は……」と何か言いかけて、フラムはつかの間口を閉ざしてから、言った。「外国の方であるあなたには少々言いにくいのですが」と前置きする。

「何を言われても気にしないわ。どうぞ」

「占い師に、あの夜、『大事なものを見つける』と言われた日だったので」

 思いがけない内容に目を瞬かせると、ノイが言った。

「トゥイでは占いは一般的です。例えば、生まれた日が何曜日生まれかによって、お祈りする像が違ったりするんです。古い一族では、大事なことを占いで決めることもあるんですよ!」

 占いと言えばホロスコープが主だったユースア人のイリスでは、そういうものもあるのかと不思議に感じられたくらいだった。何をそんなに気兼ねすることがあるのだろう?

「なかなか非科学的でしょう?」だから彼が失笑して言ったのに、思わず本音を言ってしまった。

「どうして? そういうお国柄なんでしょう、卑下することなんてないわ」

 このリゾート地は首都から離れたところにあって、近代的な高層建築を見ることはないが、この国がとても豊かなのは分かっているつもりだ。豊かというのは、文明が発達していることだけではなく、その国に住む人々の心根や、自然といったものも含まれる。そういうことを語りながら「この国はとても綺麗だもの。私は好きよ」とイリスは笑った。

「それで、何か見つけられたんですか?」

「……え?」

 彼は目をまたたかせ、ああ、と吐息をしてから、イリスの瞳を見つめながら微笑みを交えて答えた。

「何も見つけられず、あの浜辺を歩いていたのです」

「ごめんなさい」イリスの言葉に、フラムは「なにがです?」と気の抜けたような戸惑いの声を漏らした。

「だったら悪いことをしてしまったから。この家に拘束してしまったでしょう? 大事な日だったでしょうに」

 占いの言葉を聞いてまず思い浮かべたのは、生涯のパートナーというものだった。彼はきっと大事な人間に会うはずだったろうに。想像も甚だしいかもしれないが、しかしおそらく、彼の生涯に関わる何かがあったはずだということは、占いによれば確かだった。

「外国人の女と……『ああいうこと』をするはめになるなんて……」気の毒すぎた。

 しかし、フラムは微笑を浮かべた。イリスを見つめ、深く。

「〝いいえ。――あなたを見つけた〟」

 何が「〝いいえ〟」なのだろうと、それだけ聞き取っていぶかしく思ったイリスが何か言う前に、彼は聞いた。素早く。封じるように。

「この別荘にはいつまでいらっしゃるのです?」

「ええと……決めていません。あと一ヶ月はいると思うわ」不意をつかれて少し混乱しながら答える。

「二人だけで暮らすのですか?」

「今のところは、そうです。もしかしたらお手伝いを雇うかもしれないけれど」

「ええ、男手がほしいとノイから聞きました」

「ええ……そういう話はしていました」話の筋が見えない。曖昧ながらも頷くと、満面の笑みにぶつかった。

「私を雇っていただけませんか?」


 がしゃん。落ちたのはノイのスプーンだった。ぽかんと開けたイリスの口は、慌てて少年の目の前に飛び散った米や野菜を拾うために閉じられる。もうそれほど熱くはなかったので、ノイはやけどしなかったようで安堵したが。

「あの……ちょっと、待ってくださる? あなたは……そういう方じゃない、でしょう?」言い方が曖昧になってしまったが、言いたいことはそれがすべてだった。リゾート地の夜に出歩くような人間は、使用人という仕事を欲するような家柄ではないはずだからだ。

「一昨日で長期の仕事が終わったところだったのです。昨日は休暇で、今日からどうやって次の仕事を得ようか考えていたところでした。何なら、紹介状を書いていただいてきます」

 この海岸を沿っていったさきに、岬がある。その岬の屋敷が、彼の以前の勤め先なのだという。見たことがあるから分かる。イグレン建築とトゥイ建築が混ざったようなかなり大きな家で、地元の資産家の別宅なのだとノイが言っていたのを思い出した。それでも不安な表情をしていたためか、フラムは苦笑しながら胸のポケットを探った。

「最初にこれを出すべきでした。どうぞ、確認してください」

 出されたのはカードだった。身分証明書なのだろう、顔写真があり、数字の記載があるが、その他はトゥイ語だ。ノイが興味津々に覗き込んでいる。分からない、とは言えなかったので、ノイが隅々まで見て取れる時間をおいてから、そっと返した。

「あなたがちゃんとした方だというのは分かりました。でもここに住み込んでもらうわけには……」

「当然です。近くに家を借りて通います」きっぱりとフラムは線引きをした。


 イリスは考えた。助けてもらった恩もある。偶然が引き寄せたのなら、従うのがいいのかもしれない。これから新しく、信頼の置ける誰かを見つけ出して交渉するのは、彼女にとってはとても労力のいることだ。


 思い出したのは、けれどやはり、キスのことだった。躊躇いもなく見知らぬ女に口づけられる……この人はもしかして危険なのかもしれない。見つめた黒い瞳は少年のように若々しく、きらめきに溢れて、影などないように思える。それでも彼がとても彼自身の証言が正しいと思えるほど、身分は低いとは感じられなかった。彼のイグレン語は完璧だ。イリスが恥じ入るほどに。テーブルマナーも、よく考えれば気になったところがなかったほど、彼女にとって自然だった。でも、それをもっと考えてみれば、彼の以前の勤め先だというトゥイの資産家の屋敷で学んだことだとも考えられるし……イリスの頭の中は混乱してきた。昔からいつもそうだ。考えすぎて分からなくなる。


「レディ・イリス……」ノイが小さく声を上げ、フラムが言った。

「いとこ殿に嘘をつくなら、私がいた方が都合がよくありませんか?」

 イリスは額を押さえてため息した。その問題があった。ルイはマイクに報告しただろう。確認のために再度来訪するのは間違いがなさそうだった。本国の親類に話が及んでいると収拾がつかなくなりそうだが、もう考えないようにする。乗り込まれない限り、接触する必要はない人々だからだ。


 インターホンが鳴る。予感は、どう考えても来訪者は従兄弟たちだと知らせてくる。朝方まで飲んでいて、起床してこの時刻なのだろうとは簡単に推測できた。

「私が出ましょう」と、イリスがほんのわずかな躊躇を見せた隙に、さっとフラムが立ち上がる。そして、片目をつむってみせた。「二階からでも聞き耳を立てていてください。ちゃんと追い払ってみせますから。

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