えっちゃん

Sumi

えっちゃん

特徴のある高い笑い声が私の耳に届く。えーっ嘘でしょ、と間延びした声を出して、彼女はまた顔をくしゃくしゃにして笑う。周りの女の子達は、その大げさな動作が面白いのか、くすくすと笑った。えっちゃんったら驚きすぎ、なんて言いながら。

えっちゃんの本名は恵美香と言う。けれど、みんな親しみをこめて「えっちゃん」と呼んでいた。もちろん私も。

私は、何とはなしにえっちゃんの横顔をぼんやりと見つめていた。人気者の彼女は沢山の友人に囲まれている。えっちゃんが笑うと、彼女のトレードマークのポニーテールがふわりと揺れた。長くて真っ直ぐな黒髪に、水色のシュシュがついている。お店に売っていそうなほどクオリティの高いそれは、手作りなのだと以前彼女が教えてくれた。

えっちゃんと私はただのクラスメイトでしかなかった。ただ、ほんの一瞬だけ、一緒にお昼を食べる仲になったことがある。


あれは夏休みが終わってから、二週間ぐらいがたった頃のことだった。秋というにはまだ蒸し暑くて、学校に着くまでには汗だくになってしまう、そんな季節だった。

「ねえ。」

四時間目の授業が終わってプリントを整理していると、隣から控えめに声が聞こえた。

「一緒にご飯食べても、いい?」

顔を上げると、お弁当を入れたバックを持ったえっちゃんが立っていた。私はきょとんとした顔をしていたと思う。だって、えっちゃんとは数えるほどしか話したことがなかったし、いつもえっちゃんはA美やB子と一緒にいたから。

だから私は、そのときのえっちゃんの様子を覚えていない。泣きそうになりながら言ったのか。それとも、強がるようにそう言ったのか。

頭の中を?でいっぱいにしながらも、私はにっこり笑って応えた。

「もちろん。」

当たり障りのない話をしながら、えっちゃんとお弁当を食べる。「いつもご飯を食べているA美やB子は?」「なんで私と?」疑問はいっぱいあるけれど、触れちゃいけない話題だっていうのは、なんとなく分かる。休み時間中、A美やB子がこちらを見ながらくすくす笑っていた。嫌な感じだ。

「……ごめん、何だっけ。」

えっちゃんもえっちゃんで、A美やB子の方をちらちら気にしている。A美が笑うと、えっちゃんは肩を強張らせて、全然気にしていないかのようにおにぎりを頬張る。味のないものを無理やり口の中に入れているみたいに、もそもそと食べる。


ペアを作って似顔絵を描こうという授業のとき、当たり前のようにえっちゃんが私のところに来た。

「一緒にしてもいい?」

そう言われれば、頷くしかない。断る理由はなかったし、それに断ってしまえばえっちゃんはひとりぼっちになってしまう。ちらりと教室の端を伺えば、A美は当たり前のようにB子とペアを組んでいた。

デッサン用の鉛筆をえっちゃんがカッターナイフで削っていく。がりがり。がりがり。

「私ね、鉛筆削るの好きなんだよね。」

がりがり。がりがり。教室の隅ではA美が笑っている。えっちゃんの声はどんどん高く、大きくなっていく。

「だってなんか気持ち良くない?」

大きく削りすぎたえっちゃんの鉛筆は、なんだか不恰好だった。


「それなあに?」

えっちゃんが、私のペンケースに付いているキーホルダーを指差した。面倒くさいなあ、と思いながらも、私は渋々口を開いた。

「※※※※っていうバンドのマークなんだよ。」

※※※※は、あまり有名ではない。そもそも大衆受けする音楽を出していないので、えっちゃんのような――キラキラした女の子は知っているはずがなかった。えっちゃんは、ふうん、と曖昧に頷いて話題を変えた。


えっちゃんと一緒にいるようになって、二週間ほどが過ぎた。相変わらずお弁当は一緒に食べるし、似顔絵はペアになって描く。だけど、それだけだった。私はえっちゃんにどう接すればいいのか全然分からなかった。

「駅前にできたクレープ屋さんにさ、放課後一緒に食べに行かない?」

えっちゃんがこちらの顔色を伺うようにそっと提案してきた。駅前にできたクレープ屋さんは、確かに私もちょっと気になっていた。そう告げれば、えっちゃんは「やったあ」と顔をくしゃくしゃにして笑う。その顔を見て、私も嬉しくなった。

私はずっと、えっちゃんが私に話しかけてくるのは、一人になりたくないからだと思っていた。A美やB子に、孤立している様子を見せたくなかったに違いないと。

クレープ屋さんの帰りには、プリクラを撮った。「わたしたち、親友です」ピンクの文字で、でかでかと真ん中に描かれている。えっちゃんはプリクラに落書きをしている途中、恥ずかしそうに、親友だと思ってもいいよね?と確認してきた。もちろんと大きく頷いてから、私も少し恥ずかしくなる。家に帰ってから、私はその文字を何度か指でなぞった。

利用されていると思っていた。だけど、違うのかもしれない。A美やB子の視線がないところで、ふたりで出かけるということは、だって。

(私のこと、親友だと思ってくれていたんだ。)

そう思えば心臓がふわっと持ち上がったような気がした。えっちゃんと食べたクレープのクリームのようにふわふわで,とろけてしまいそうな幸せな気分。


駆け寄ってきたえっちゃんが、私の手に何かを押し付けた。綺麗に包装された袋からは、水色の布が覗いている。少し勿体無いような気がしながら、丁寧に袋を開けていくと。

「可愛い!」

私は思わずそう言って、えっちゃんの顔をまじまじ見る。えっちゃんからのプレゼントは、可愛らしいシュシュだった。えっちゃんの頭の上にも、水色のシュシュがちょこんとついている。私が今手に持っているシュシュとおそろいだということに気付いて、私はさらに嬉しくなった。

「ほんとに貰っていいの?」

「うん。これ、手作りなんだ。昨日作ったんだよ。」

手作りとは思えない程のクオリティだ。そう伝えると、えっちゃんは恥ずかしそうに笑った。

ポニーテールのてっぺんに、水色のシュシュ。鏡の前に並んでみると、まるで双子のようだった。

うきうきして教室に戻れば、A美がこちらをちらりと見た。

「あの子にもあげたんだ、あのシュシュ。」

大きな声ではなかったけれど、耳に飛び込んできた言葉に眉をひそめる。

(あの子に“も”……?)

それでは、えっちゃんはA美にもあのシュシュを作ってあげたのか。えっちゃんは、私に言ったときと同じような口調で「A美は私の親友だもんね。」なんて笑ったのだろうか。なんだか気分が悪くなってきた。えっちゃんがポニーテールを揺らして、心配そうに私の顔を見る。なんでもないよと笑って、私はえっちゃんの傍を離れた。それからすぐに教室に先生が入ってきて授業が始まったけれど、私の頭の中には面倒くさい数学の証明のことなんて少しも入ってこなかった。

私は猛烈に怒っていた。A美やB子にではない。えっちゃんに、だ。私は頭の上のシュシュを、勢いよく髪の毛から引き抜いた。そうすることで、怒りを落ち着けようと思ったのだ。怒りが収まると、今度は胸が押しつぶされるような悲しさが襲ってきた。私はえっちゃんに裏切られたと思っていた。シュシュをあげるとか、「親友だ。」とか、そういうことをえっちゃんはA美にも言っていたなんて、と。理由もなく、私にだけ言ったのかと信じていたのだ。


次の日から私がシュシュを付けてこな かったことについて、えっちゃんは何も言わなかった。けれど、どうして?と問いかけるような目で私を見ていた。それから私たちは少しずつぎこちなくなっていって、A美が標的を他の子に変えてえっちゃんと仲直りしたのをきっかけに、えっちゃんと私は話さなくなった。えっちゃんは前と同じようにクラスの人気者に戻った。

何もかもが元通りになっていた。けれど確実に、えっちゃんと話した数週間は私の胸の中に影を残していた。えっちゃんに裏切られたと思ったのは、えっちゃんのことを親友だと思っていたから。私は、えっちゃんと仲が良かったA美に嫉妬していたのだ。

えっちゃんの方はどうなのか分からない。A美とまた友達に戻れたのだから、私に「親友だよ」と笑いかけてくれたことも忘れているかもしれない。そう、思っていた。

えっちゃんは相変わらず何かを喋り続けている。ぼんやりとしていると、聞き覚えのある単語が耳に飛び込んできた。

「※※※※っていうバンド、知らない?私、そのバンド大好きなんだ。」

周りの女の子達が「えー、知らないよ。」と口々に言う中で、彼女はにっこりと笑った。

「友達に薦められて聞いてみたら、凄く良かったんだ。」

へー、そうなんだ、と周りの子が適当に話を流していく。何も知らない子にとっては、どうでもいい話なのかもしれない。けれど、私にとっては重大な、意味のある話だった。  

私がえっちゃんとの話を忘れられないように、えっちゃんも私の話を忘れないでいてくれた。

 (ねえ、えっちゃん。)

声に出さずに心の中でそっと思う。自分の通学かばんを開けて、一番奥にあるものを引っ張り出す。

 (私のこと、親友だと思ってくれてた?)

私達にはきっと、言葉が足りなかった。A美に嫉妬してえっちゃんにも苛々したなら、それを伝えればよかった。えっちゃんも私がシュシュを付けなくなった理由を聞けばよかった。そしたら、えっちゃんを嫌いになったわけじゃないよってちゃんと伝えたのに。通学かばんの奥には、えっちゃんから貰ったシュシュが入っている。ポニーテールの根元に水色のシュシュを付ければ、なんだか勇気が出てきた。

「ねえ。」

自分の席から立ち上がって、えっちゃんの方に向かう。声を振り絞れば、見事に震えていた。この構図、最初にえっちゃんに話しかけられたときみたいだ。今度は逆だけど。

えっちゃんも私に話しかけるとき、こんな気持ちだったのだろうか。少しの緊張と不安と、楽しみな気分。えっちゃんは何度か瞬きをした。それからすぐに嬉しそうに目を細めた。昔と全然変わらない笑顔だった。

 

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えっちゃん Sumi @tumiki06

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