免許証

@saruno

免許証

 夏の暑い日、男は上司と共に地方都市へ出張に来ていた。

「それじゃあレンタカーを頼むよ」

 レンタカーを調達するのは部下である私の役割だ。


「いらっしゃいませ。はじめにお客様の免許証を確認させていただきます」

「ええっと…どの免許証だったかな…」

「はい、お客様は同行者でございますので、助手席免許証のご提示が必要となります」

「はい、助手席免許証ね」

「お車は18時返却でございます。それではいってらっしゃいませ」


 助手席免許証とは、自動車を運転せずに助手席に座るための免許証のことで、運転者の居眠りや意識喪失など、あらゆるトラブルに対処出来るスペシャリストにのみ交付される。なんでこんな免許があるのかというと、まぁここ十数年で色々あったわけだ…。


 増え続ける凶悪犯罪、無くならない不幸な事故、つまらない諍い、事態を重く見た政府は遂に国民から全ての自由を禁止し、個々に特別な権限を与えることで事態の収集を図ることにしたのだ。つまり免許制度の拡充である。免許を受けるに相応しく無い人間を振り落とし、秩序をコントロールしようと…。


 最初の頃は「憲法に対する反逆的行為である!」と多くの国民が叫び、活発な反対デモも起きた。


「これじゃあ独裁政治だとは思いましたけど、あ、今のところ左です」

「なあに、私も疑問だったが、慣れてみれば意外と良いものだぞ」


 批判の声は意外にも長く続かなかった。所詮は政治など興味のない民衆ばかり、免許の通りにさえやっていれば生活が普遍的にこなせると気づくのにそう時間はかからなかったからだ。


 今となっては私も普遍の波に飲まれたその1人。いまの生活は免許証が無ければ何も出来ない。買い物免許証、洗濯免許証、料理免許証、通勤免許証、インターネット免許証、もう何枚持っているのかも覚えていない。免許の不携帯が発覚すると高い罰金を払わなくてはいけないから、常に持ち歩いているカードケースには大量の免許証が入っている。


 朝起きるときには目覚まし時計を止める。これも免許が必要だ。原則禁止にしなければ周囲に騒音を撒き散らすから、というのが理由らしい。


 会社へ出勤するには通勤免許証。無免許でも電車に乗ることは出来るが、無免許者は混雑した貨物車に乗らなくてはいけないので、保有率は日本一らしい。ゴールド免許になると優先して座席を確保できるので、かつてのような車内の風紀を乱す者も皆無になった。


 仕事中は私語や飲食、トイレに行くことも禁止されている。原則禁止にしなければサボる人が続出するからだ。何をするにも免許証代わりの社員カードをかざさなければ出来ないため、うっかり家に社員カードを置いてくるとまともに仕事も出来ない。


 かつては昼休みになると、都会のオフィスから多くの人々がランチを求めて街を彷徨う光景が見られたものだが、今ではあまりに非効率すぎるとして、外食免許証を持たない者は会社指定の宅配サービスを使用することが義務付けられている。外食免許証は料理の基本的な知識から、店舗設営に関わる立地、一定基準を満たした品質の料理、店舗の行き届いた清掃を見極められる者だけに交付される国家資格で、外食に出かけた時はその店舗を評価することになっている。そのためボッタグリ店舗は一掃され、評価の高い店舗はより繁栄した。


 かつて調理師免許と呼ばれていた資格は料理免許証としてさらに細分類された。包丁技術2級、フライパン1級、野菜炒め3級などがあり、それぞれ3級以上の資格はプロの資格とされ、婚姻免許の推奨資格として人気を集めた。


 もし免許所持者が問題を起こすと、即座に免許が失効し、再度取得するまでその行為は禁止される。外食免許証程度ならまだ何とかなるが、もし生活必須となる重要な免許が失効した場合、生活そのものが出来なくなるため、行き場を失った人の為に緊急保護をする施設もあった。もっともその中の生活は劣悪を極め、経験者をして「地獄の方がマシだ」とまで言わしめたほどであるから、誰もが緊張感の中で規律を正していた。


「何だか生きにくい世の中のような気がしてなりません」

「まあそう言うな、お陰で俺たちもこうやって仕事を頂いているわけだからな」

 男の職業は免許管理士、顧客の要望を聞き入れ、必要な習得免許講座の斡旋や、紛失してしまった免許の再交付手続き代行するのが仕事だ。今日も免許証の盗難に遭ったという顧客の元へ向かっている。


「そろそろ到着だな」

 上司がつぶやいたその時、男は突然胸に締め付けられるような痛みを感じた。

「おい!しっかりしろ!」

 持病の心臓病が再発したのだ。苦しみながら男はその場に倒れた。

 薄れゆく意識の中で救急車の音が聞こえてくる。


「ああ…はやく病院へ…」


 上司が通報してくれたのか、救急車はすぐに到着した。緊急通報免許証を持っている人でよかった。

 男は上司に連れられすぐさま病院に運ばれた。担架は緊急治療室へ…向かうはずなのだが、一向に病院のドアが開かない。

「おい、治療室は向こうじゃないのか?」

「申し訳ございません、そちらの方は生存免許証が昨日で失効しております」

 それが男の聞いた最期の言葉であった。

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