第9話 秋刀魚の苦さ

 お昼に、にゅう麺を食べた後で幸子はゆきに

「ゆきちゃん一緒に買物に行く?」

 そう問いかけた。ゆきも今の世ではGUに服を買いに出ただけだから、今の世界の街並みも見てみたかったので

「はい! 喜んで!」

 そう答える。陽子にも

「お母さんも行く?」

 そう尋ねると陽子は

「今夜は何にするの」

「そうねえ、やっと秋刀魚が安くなったので秋刀魚にしようかしら」

 幸子の答えに陽子は

「ならワイドショー見ながら楽しみに待ってる」

 そんな事を言ってテレビの前のソファーに横になった。それを見て幸子は

「じゃあお留守番していてね」

 そう言ってゆきに着替えさせて連れ出した。格好は先日GUで買った服である。

「何だか膝から下がスースーして落ち着きません」

 ゆきはそんな事を言って膝に手を宛てている。幸子は

「今日は下着着けてるから平気」

 ゆきはその意味が良く判っていなかった。

「平気ってなんですか?」

「下着を身に着けているからスカートが捲れても見えないということよ」

「ま!」

 それを耳にしてゆきは耳まで真っ赤になるのだった。今日は歩いて近所のスーパーまで行く。ゆきは道の両側に並ぶ家々を興味深く見ていた。

「一軒の家々に塀があって独立しているのですね。それに小さいけど庭もあります」

「庶民の家ね。この辺りも今じゃ都会になってしまったからね。ビルなんかも結構立ってるしね」

「ビルというのは石で出来た高い建物ですか?」

「そうよ良く判ったわね」

「なんとなくです」

 そんな事を言いながら歩いて十分ほどのスーパーに到着した。

「ここはスーパーと言って、野菜から肉から食材なら大抵のものが買える場所よ。食材の他には少しだけど日用品が置いてあるわ」

 ゆきは幸子の言った内容の半分以上を理解した。

「さ、入るわよ」

 店内に入る時に自動ドアが開いたのに驚くゆき

「ひとりでに開くのですね」

「ここに『自動ドア』って書いてあるでしょう。お店によっては『押してください』って書いてある所もあるから、その場合は押してあげると開く仕組みになってるのよ」

 ゆきは覚える事が沢山あると感じた。何れ何なく感じては行くのだろうとは思った。

 スーパーは入った所が大抵野菜売り場となっている。

「ゆきちゃん籠を持ってね。重ければカートに乗せて」

 幸子はそう言って他の客を指した。

「ああ、なるほど」

 ゆきも真似をしてカートに籠を乗せる

「秋刀魚には大根ですね。私、おろすの得意なんです」

「そう。じゃ後でおろして貰おうかな」

 幸子はそう言いながら大きく、ひときわ太い大根を手に取った。するとゆきが

「それは多分、鬆(す)が入っています。未だ冬の前ですから余り太いのは止めた方が無難です」

 幸子はゆきの助言に

「そうかぁ。なるほどねぇ~」

 そう言って感心をしている。やはりゆきは台所番だったのだ。

「あとは何にしましょうか」

 ゆきが興味深く野菜を見ていると幸子が

「胡瓜を買って竹輪の中に入れましょう。それと蓮根のキンピラね。人参はあるから蓮根を買いましょう。味噌汁は茄子がいいかな」

「茄子の味噌汁好きです。深山家は茄子の皮は剥かないで作っていました」

「あら今でもそうよ。それと、明日の朝のサラダの材料でトマトとレタスも買いましょう」

 そう言ってゆきの押しているカートの籠に入れて行く。

 次に来たのは魚売り場だ。ゆきは普通の魚屋のように魚が並んでいるのかと思っていたが、並んではいるが、全て発泡スチロールの皿に載せられてラップで包まれていた。

「はあ、何だかお魚さん苦しそうです」

「え、だって死んでるわよ」

「でも何か苦しそうです」

 ゆきがそんな事を言ってると幸子が

「秋刀魚はあそこよ」

 指を指した先には、大きな発泡スチロールの箱に氷を沢山入れられてその中に秋刀魚があった。値札が付いていて「一匹百八十円」と書かれていた。今年は例年より高目だ。

 ゆきが横のビニール袋に人数分だけ入れて行く

「六匹で良かったですか?」

「一匹多く買っておこうか。何があるか判らないしね。余れば明日甘露煮にするから」

 次には肉売り場に向かう。ゆきは正直この時が一番期待をした。ゆきの時代では未だ肉屋は無かったからだ。

「ここが肉売り場よ。どう感想は」

「はい色んな肉が置いてあるのですね。こっちが羊、こっちが牛で向こうが豚ですか。その先が鶏肉なんですね」

 色々な肉を見て回っているゆきに幸子は

「何か欲しいものはある?」

 そう尋ねるとゆきは

「蓮根のキンピラにひき肉を入れたら美味しくなるかと思いまして」

 この時ゆきの頭の中にあったのは、鶏のひき肉だったが幸子は

「じゃ合挽き買っていこうかしら」

「合挽きって何ですか?」

 ゆきは合挽きが判らない。

「ああ、牛と豚の挽肉を混ぜたものよ。両方の旨味が出るから美味しいのよ。ハンバーグなんかにも使うしね。ハンバーグというのはひき肉のステーキね。正式にはハンブルグ式ステーキと言ってドイツのハンブルグで発明された料理法なのよ」

 幸子の解説を聴きながらゆきは、今の世で肉料理を覚えて明治に帰れば宗十郎にも喜んで貰えると考えた。

「そのうち、そのハンバーグの作り方を教えて下さい」

 そう幸子に頼み込む

「お安いものよ。じゃ明日はハンバーグにしましょう。決まりね」

 幸子はそう言うと大きめの合挽きのパックを手に取った。

「もう一つかな」

 二つを籠に入れた

「ま明日買っても良いけどね。ついでだからね」

 幸子は他の材料は明日買うらしい。それは明日もゆきを連れて来たかったからだ。体験は多い方が良い。会計をしての帰り道。買った材料をバッグに入れて、それをゆきが持って歩く

「ごめんね。重たいでしょ」

「平気です。寧ろ軽いぐらいです。向こうではもっと重たいものを持って歩いていました」

 確かにゆきは軽々と持っている。それを見て幸子は、今の子とは体幹が違うのだと思った。ゆきは多分、明治期の娘としては大柄な方だろう。普通の子は恐らく百五十センチ前後だったのではと思った。それは自分が昭和の初期に遊びに行った時でも当時の子は背は余り大きく無かったからだ。

「ゆきちゃんは女の奉公人では大きい方だったの?」

 幸子が尋ねると

「そうですね。私より大柄は、まきという方でした。

「まきという人?」

「はい。私よりこのぐらい大きかったです」

 そう言って片手を十五センチほど自分の頭の上に伸ばした。

「全体に大きかったです。それで子供の頃から大女と言われていたそうです。だから早くから深山家に奉公したそうです。歳は私より十上でした」

 幸子は昔だからそのように色眼鏡で見られる事もあったのだろうと考えた。

「ねえ、宗十郎という人はどんな人なの?」

 幸子が尋ねるとゆきは嬉しそうに顔を崩して

「宗十郎様は優秀でして、今は慶応義塾に通っておられます。村では初めてのことです。それに文武に長けており、千葉周作道場にも通っておられます」

 幸子は当時の深山の家が相当なものだと思った。当時のこの地は江戸の在であり郊外だった。田畑が広がるだけの場所だったのだ。無論栽培されていたものは江戸市中に送られていた。

「ねえ、間違ったら御免なさい。もしかして、ゆきちゃんはその宗十郎という人に好意を持っていたの?」

 幸子はこの前から何となく感じていた事だった。確か高志も気が付いて自分に言っていた。幸子の言葉にゆきは更に顔を真赤にさせて

「あの、私は奉公人ですし、身分が違いますし、貧乏御家人の娘ですし……」

 最後は消え入りそうな声だった。

「そうなんだ。でも向こうが好きだったら、どうするの断る訳?」

「そんな事あり得ません。宗十郎様にはきっと何処かの大地主の娘さんが嫁いでいらっしゃいます。同じぐらいの家の格の所からです」

 当時の結婚事情は当人の感情よりも家の付き合いが重要視された事は幸子も聞かされていた。

「まあ、もしもの事で求婚されたら?」

 更にゆきに問い詰めると

「正直言いますと、私、宗十郎様から求められたら、陰の身でも嬉しいと思います」

 そう言って女心を覗かせた。

「そんなに好きなんだ」

 幸子が感心すると

「はい。ですから私が作った食事の数々を宗十郎様が食べて下さるのが、心の底から嬉しいのです」

 そう言って下を向く

「じゃあ本当は一刻も早く帰りたいのね」

「帰りたいのは山々ですが、自分で勝手に決められる事でもありませんし」

「ま、帰るまでには色々と覚えて帰ってね」

「はい!」

 ゆきは嬉しそうに返事をする。その夜の秋刀魚の苦さは、ゆきの居た明治の頃と変わらなかった。

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