第4話 ゆき現代のテクノロジーに驚く
台所ではゆきと母親が一緒に料理を作っている。その後ろ姿に向かって高志は
「ねえ、宗十郎って確かご先祖さんだよね」
そう母親に尋ねると
「そうね、わたしのお爺さんの父親かな。確か明治の人よ」
そう返事が帰って来た。するとゆきが
「宗十郎様は学業の出来が良いので将来を嘱望されています」
そう言って宗十郎の人となりを語る。二人にとっては、実感の湧かない人物だが、ゆきに言われると自分たちと繋がっている事が実感できた。
「何をお手伝いすれば宜しいでしょうか?」
ゆきが母親に尋ねると
「そうねえ。お味噌汁を作りましょうか」
「お味噌汁……御御御付のことですね」
「あら、古い言葉知ってるのねえ……そうか明治だものね。今日は和布と豆腐にしましょう」
母親がそう言うとゆきは
「では出汁を取りますので鰹節は何処でしょうか? 私、鰹節を削るのが得意なのです。それにだし昆布も要りますね」
ゆきの言葉を聴いて母親は
「あのね。今はお店などではするのでしょうけど、家庭ではもっと便利なものがあるのよ」
そう言って顆粒の出汁の素を出して見せた。
「これは?」
戸惑うゆきに母親は
「舐めてご覧なさい」
そう言われたので小指でそっと顆粒を掬って口に入れてみた
「あ、鰹の味がします! それに昆布の旨味も感じます」
驚くゆきに母親は
「今はね皆忙しいからこれで代用するのよ」
そう言って笑って見せた
「そうなんですか」
ゆきの目の前で母親は鍋に水道の蛇口を捻って水を入れた
「はぁ〜水も捻ると出るのですか! これは便利です」
そう言って驚いている目の前で今度は鍋をガス台に乗せてレバーを捻った。「ボッ」と音がして青い炎が鍋を包む
「これが今の竃(へっつい)ですか!」
「竃?……ああ、かまどのことね。今はガスという燃える空気が各家庭に送られているのでこうやって簡単に火が使えるのよ」
それを聴いてゆきは
「本当に便利なのですね。明治では藁に火を点けて薪をくべていました。種火を無くさないようにするのも大変でした」
「まあこんなに便利になったのもそれほど昔じゃなけいけどね」
母親は明治からの歴史をゆきに教えるには未だ早いと感じていた。
「そうそう、わたしの名前は深山幸子よ。これからは名前で呼んでね」
「幸子さんですね。ご新造様では駄目なのですね」
「そうねえ。今はそういう呼び方はしないわ。知らない間なら、奥さんとか呼ぶけどね」
「武士の家でなくてもですか?」
「そうねえ。今は普通にそう呼ぶわ。でなければ「お母さん」でも良いわ。その方が呼ばれ慣れてるし」
「判りました。今後はそうさせて戴きます」
幸子はゆきの言葉や態度を見て、やはり階級は低くても武士の娘だと思った」
「そんなこと言ってる間にお湯が沸いたわ。和布と豆腐をいれましょう」
「では私が塩抜きを致します」
ゆきはそう言って棚にあったボールを手に取った。ゆきにもボールがそのような目的に使うものだと判ったようだ。
「ゆきちゃん。今は昔ながらの塩漬けの和布もあるけど、大体はこれを使うのよ」
そう言って台所の引き出しからカットワカメの袋を取り出した。
「これは? 袋に和布の絵が書いてありますが」
本当は絵ではなく写真だったのだが……。
「これはね。和布を湯通しして小さく切って乾燥させたものなの。だからこのまま使えるのよ」
幸子はそう言って鍋の中にカットワカメを振り入れた。たちまち大きく戻って行く。それを見てゆきは
「凄いです! まるで妖術ですね」
後ろで聴いていた高志は『そこは魔術だろう』と思ったが、「魔術」という言葉が明治初年では無いのだと気がついた。近代の概念の熟語は明治の頃に作られたものが多い。明治初年では未だなのだ。
「次はお豆腐よ。ゆきちゃんの目の前にあるでしょう」
幸子に言われて、ゆきは目の前を見たが彼女にとっての豆腐は何処にもなかった。
「あの、何処に……」
「ああ、悪い! 目の前の白い四角いものがあるでしょ」
「あ、これですか? これが豆腐ですか?」
「パッケージされているのよ」
「パッケージ?」
訳が判らないゆきの目の前で幸子が豆腐の表面のフイルムを剥がして見せた
「ああ透明な膜が剥がれて中から絹ごしが!」
幸子はそれをひっくり返してまな板の上に乗せた
「さ、ここまでやれば賽の目に切れる?」
幸子がそう言うと、ゆきは目を輝かせて
「はい! 大丈夫です」
そう言って幸子から包丁を受け取ると鮮やかに賽の目に切って見せた
「凄いわゆきちゃん。切ったお豆腐が皆同じ大きさに揃ってる!」
幸子は今の包丁の使い方だけで、ゆきがどれだけ料理慣れしていて、しかも腕が相当良い事が判った。
幸子はゆきが切った賽の目状の豆腐を鍋に入れると
「さあ最後にお味噌を入れましょう」
そう言って冷蔵庫から味噌のパックを取り出した。
「この大きな箱は何だと思っていたのですが、食べ物をしまっておく場所だったのですね。中が冷たくなっていて氷室になってるのですね。これなら食材も保存出来ますね」
冷蔵庫に感心をしていると幸子が味噌を溶かす網を取り出した。お玉で掬って網で濾して行く
「味噌も瓶に入ってるのでは無いのですね」
ゆきが感心していると幸子が
「まあ、瓶で保存してる所もあるけどね。うちはそこまでやらないわ。さ、出来たわ。味見してみる?」
「はい是非!」
ゆきは興味があった。自分の居た時代とはかなり違っていたが、手順としては同じだった。小皿に幸子が味噌汁を少し掬ってゆきに手渡す。
「ああ、確かに味噌汁です」
「味は?」
「はい、少し鰹の香りが薄いですが美味しいです。こんなに簡単に作れるのですね」
「今の主婦は忙しいからね。さ、ご飯はもう炊けているからね」
幸子はそう言って電気釜を指した。
「これがお釜ですか?」
「そうよ、電気で炊けるのよ。お米を研いで水を張り、スイッチを入れれば約一時間で炊けるわ。あ一時間というのは春や秋の小半時ね」
「そうですか。そう言って頂けると私にも理解出来ます。その電気というのは便利なのですね。先程のガスでは駄目なのですか?」
「無論大丈夫よガスで炊くお釜もあるわ。でも電気だとタイマーが使えるから便利なのよ」
「タイマーって何ですか?」
「タイマーってのは自分が決めた時間にご飯が炊けるとか出来上がりの時間を指定出来る機能かな」
「へぇ〜本当に便利なのですね」
ゆきは心の底から感心してみたいだ。そこに高志の妹の翠が帰って来た。
「ただいま〜 お客さん?」
妹の質問に幸子が
「お帰り! 紹介するわね。急にだけど今日からウチにホームステイすることになった篠山ゆきちゃん。十七歳なのよ」
「初めまして篠山ゆきと申します。この度はご迷惑をお掛けしますが、宜しくお願い致します」
ゆきが両手を膝について挨拶をした。高志はホームステイとは上手いと思った。
「あ、わたしはこの家の長女で深山翠と言います。中学三年の十五歳です。部活で陸上をやっています」
そんな自己紹介を聞いてもゆきには半分も判らないだろうと高志は思った。
「ホームステイってどれぐらい居るのですか?」
翠の質問に高志が横から
「ちゃんとは決まっていないんだよね。少し経つと更新する制度だから長いかも知れないし短いかも知れない」
高志は我ながら上手い考えだと思った横を見ると母親の幸子がニヤニヤしている
「そうなんだ。でも今時着物なんて珍しいわね。歳は二歳私よりお姉さんだけど背はわたしの方が少し高いかな」
翠はそう言ってゆきの隣に並んで背格好を比べている。高志は自分の妹ながらおかしなことをすると思った。翠は陸上をやつてるだけあって、スラリとして背が高い。よく高校生に間違われるのだ。
「ゆきさん。宜しくお願い致します!」
翠はそう言ってゆきの両手を掴んだ。
「こちらこそ宜しくお願い致します」
少し戸惑ったゆきを見て翠が
「ゆきさんって何だか昔の人みたい。古風な感じがする。そこが凄く魅力的! 私ね、お姉さんが欲しかったんだ。それも私より美人のお姉さんが。ゆきさんはそんな私の願望を備えた人みたい」
高志は翠の言葉を聞いて、その鋭さに舌を巻いた。だがゆきのことを気に入ってくれたので一安心するのだった。
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