第54話 フェリスの願い⑦

 背中の2枚のバインダーが左右に広がり次元羽じげんはが展開される。

 バインダーは折り紙のように複雑に畳まれており、広げれば片側だけで7メートル。両翼で14メートルだ。

 継ぎ目の部分からは十字輝のカメラアイと同じ赤い色の光が漏れる。

 勿論、『ナイン・トゥエルヴ』の脚はこの重さを支えられるように造られていた。


 機械の天使がいるとしたらきっと似た姿をしていることだろう。

 あるいは共和国にとって悪魔や死神かもしれない。


 当時の起源室ジェネシス・チャンバーに残った数少ない『彼ら』が開発したというは、帝国を薙ぎ払った最強の砲撃兵器すら弾き反らす。

 ほぼ目視できない斥力場を発生させ、飛来する物体から『ナイン・トゥエルヴ』本体を防護してくれる。


 詳しい仕組みはブラックボックスの中だとラインヒルデは言っていた。

 あたしにも技術的な話はさっぱり分からない。けど、そんなものを持ち出してまで戦争をしようとしていた連中の愚かさが染みる。


 たった1機の機械巨人ギアハルクで当時の共和国の首都を強襲しようとしたのだから鼻で笑ってやろう。


(見えない力に押されて水面が歪む!)


 目論見通りだ。

 

 そこから眼前の『オンスロート』の姿が見えなくなるまで1秒もかからなかった。

 一旦は降り注ぐ雫がさらに次元羽じげんはに触れ、連鎖的に何度も何度も細かく飛散していく。

 十分に軽く小さくなった水滴は地面へ落ちずに辺りを漂い始めた。


『雨!? いや、霧かぁ!?』


 敵の間抜けな声が通信回線に響いた。

 爆発したかのように広がった濃霧に辺り一面が覆われ、視界が遮られる。

 ヨルズはすかさず『オンスロート』と距離をとった。


 あたしたちの機械巨人ギアハルクは……電素を反射しない装甲に覆われているから探知されない。

 屈折水晶のカメラアイで目視しなければ発見できないのだ。

 


 しっかりとランスを落とした位置を把握していたヨルズに迷いはない。

 駆け寄ってすぐに得物を手にする。


「フェリス、敵は?」

「3時の方向に進んでいる。距離400。霧の外に出ようとしているみたい!」

「了解。位置と距離をカウントしてくれ」

「分かった! 距離300」


 こちらへ向ける敵意は消えていない。

 だからあたしの『獅子の瞳』で敵の動きが


 例えば闘技場アリーナでは視野を潰されれば、負けとされるのだ。

 何も見えていない状態で戦える奴なんて存在しない!


 片腕を失った状態ですらバランスを失わず『ナイン・トゥエルヴ』は駆ける。

 弧を描くような軌道で『オンスロート』へ接近し、その胴体を狙って鋭い突きを放った。


 驚くことに敵は反応する。

 霧に穴が開き、渦巻くのを見てワザと体勢を崩して回避した。


『目潰しとは卑怯だねぇ!』


 敵の声からは余裕が消えている。けれど調子を崩したようには思わせない。

 忌々しい『オンスロート』のパイロットだが、腕が立つのは間違いなかった。

 舌打ちしたヨルズは後退するも相手は上体を傾けながら追ってくる。


 この濃霧の中で距離と取られれば、こちらを見失うからだ。

 それもまた織り込み済み。

 下がると見せかけて、ヨルズは機体の重心を前に持ってきた。

 カウンター気味に突き出した膝が赤い巨躯を2つに折り、跪かせる。


 それ以上に踏み込まれるのは危険と踏んだのか『オンスロート』のライフルが火を吹き、デタラメな斉射を仕掛けてきた。

 今度は押さずに引いて『ナイン・トゥエルヴ』が霧の中へと姿を隠す。

 この緩急の付け方がヨルズの強みなのだと、今更ながら関心してしまう。


『クソがぁッ! 出てこい!!』

「今度は4時の方向! 距離200!」


 右足を軸に機体が角度を変える。

 敵は狼狽しているものの戦意を失っていない。

 立場上、『ナイン・トゥエルヴ』を取り逃がす真似ができないからだ。


『出てこいって言ってんだよぉ!』


 濃霧の向こうで光が明滅し、銃声が響く。

 そのせいで位置は丸わかりだった。

 背後で、ヨルズが呼吸を整えている。


「次で仕留める」

「方向は同じ! 距離100!」


 力強く宣言し、時計回りに接近を試みた。

 敵は動いておらず、同じ位置にいる。

 引き金を引きっぱなしなのか銃口の放つ鈍い輝きと、耳障りな音は続いていた。


「距離50!」


 ゾクリと、違和感が首筋を這っていった。

 あたしのカウントは間違っていない。

 敵意は視えている。距離も正確な筈だ。


 どうして動かないのだろう?

 怒りで頭に血が登っているからだろうか?


 違う。

 こいつはそんなタマじゃない!


「止まって、ヨルズ!!」


 咄嗟に振り返り、叫んでしまった。

 弟は一瞬だけあたしの顔を見る。困惑がありありと浮かんでいた。

 だが慣性のついた機体は停止できない。


 繰り出されたランスは『オンスロート』が握っていたライフルに当たり、瞬時に粉々にしていた。

 これで火力は半分。そう確信したのに赤い機械巨人ギアハルクは弾き出されて独楽こまのように回転する。


 その螺旋から、番犬が舌を出したみたいに赤い何かが伸びてきた。

 あたしの目はスローモーションでそれを捉える。

 破壊した筈の第3の腕だ。

 油圧を失ったので今まではだらしなく垂れ下がっていただけ。

 しかし、『オンスロート』は身体ごと回転させて鞭のように叩き付けてきた。

 狙っていたのか、ただの思いつきなのか、偶然か……でも最悪なことに『ナイン・トゥエルヴ』のカメラアイに直撃してしまう!


 ガラスが割れる音と共に眼前のディスプレイの7割が真っ黒になった。

 残った3割は左の隅っこだけ。正面は何も映していない。


『これでソッチは視界ゼロだねぇ。いや、霧が晴れてきたから同じ条件で戦えなくて申し訳ないけどさぁ』


 嘲る様は実に冷静だった。

 躍起になっていたのは演技だったと、ようやく気付かされる。


 最悪だ。

 あたしの『獅子の瞳』は敵の位置も距離も捉えるが、姿そのものを詳細に映してくれるわけじゃない。


 目隠しされた状態で「真横に敵がいる」と分かるだけだ。

 そいつがどんな体勢で、どんな攻撃を仕掛けようとしているのかまでは

 焦りで心が乱れている間に『オンスロート』の距離が離れていく。

 ついさっきまで視界を奪った相手を刺していたのに、今度は同じことをやり返されるのだ。


「フェリス、敵の位置を」

「でも……」


 再び、濃霧を発生させれば逃げることも可能かもしれない。

 そんな甘い考えが浮かぶほど弱気になってしまった。

 稚拙な提案をヨルズは察したのだろう。

 

 穏やかに。

 そう、とても穏やかに語りかけてきた。


「ラインヒルデが用意してくれた『プロジェクト・ナイン・トゥエルヴ』はまだ終わっていないさ」

「ヨルズ……」

「腕を切り落とされようが、目を潰されようが、あいつとあの機械巨人を殺す。そして手助けしてくれたフェリスに、俺は同じくらいデカイものをあげなきゃいけない」

「分かった。いえ、分かってる」


 約束。

 狂っていると、我ながら思う。

 

 ヨルズが帰って来てくれるのをただ待っていればよかったのかもしれない。

 院長先生の手紙を渡さず密かに捨てていればよかったのかもしれない。

 泣いて弟を止めればよかったのかもしれない。


 いくらでもあった、いびつだけど真っ当な未来を迎える方法。

 それらを踏み越えて今、あたしはこのシートに座っている。


「6時の方向。距離800」


 

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