第29話 フェリスとラインヒルデ②
頭痛がする。昨晩、飲み過ぎた。
1度は目が覚めたものの、すぐ目の前にヨルズの身体があることに満足してまた寝てしまったのである。
次に覚醒したのは外で轟音が鳴り響き、窓ガラスがビリビリと震えたときだ。
慌てて起き上がると煙が立ち昇っている。
敵意は向けられていない。これは……あたしとヨルズ以外のものを狙った攻撃だ。
「ヨルズ! ラインヒルデ!」
室内に2人の姿は無い。
靴だけはしっかりと履いて、安宿の扉を蹴って廊下へ飛び出す。
両隣の部屋も確認しておくが荷物は残ったまま、ヨルズもラインヒルデもいなかった。
どんな規模の武器が使われているのか不明だが、こんなボロい建物では簡単に吹っ飛ばされてしまうだろう。
この宿場で1番安全なのは……
(
少なくとも爆風は防げそうだった。輸送用トレーラーが停めてある駐車場は宿から数百メートルといった距離である。
この状況ならヨルズも同じことを考えているだろう。
階段を降り、誰もいない食堂を抜け、正面玄関から僅かに顔を出して注意深く通りの様子をうかがった。
辺り一帯は火薬のような臭いが充満していて、舞い上がった埃と共に鼻の中に絡みついてくる。
肘で口元を塞いだちょうどそのとき『ナイン・タイタン』が街の外へ向かって走っていくのが向かいの建物越しに見えた。
大地を踏み締める音があたしの身体の芯にまで響いてくる。
動かしているのはヨルズに違いない。だが、今は手元に通信機が無かった。
トレーラーのキャビンにある筈なのでそれを使って通信しなければならない。
少なくとも自分の無事を伝える必要がある。
(あっ……)
不意に背筋が凍りつくような威圧感が、あたしの身体を駆けていく。
これまで感じなかった敵意が初めて伝わってきた。これはあたし自身に向けられたものでなく、ヨルズに対してである。
無数にあるが大きいのは2つだけ。おそらく、
危険な2つは周囲の空間そのものを歪めて押し退けていく。
それほど強い気配だった。
(ダメ!
こちらからヨルズに警戒するよう伝えられない。
やはり、急いで通信機の元まで走らなければ!
爆風が止まない中、意を決したあたしは駐車場へ向かって駆け出した。
敵は何を狙っているのかまるで分からない。だから少しでも生存率が高そうな選択肢を選ぶ。
しかし、裏目を引いたと気付いたのは決心から10秒も経っていないうちだ。
宿の前の道路に出るとほぼ同時に、吹っ飛ばされたペラペラの鉄看板が狙い澄ましたかのように真横から飛んできたのである。
大きさは幅1メートル、高さ3メートルといったところだ。皮肉にも動体視力が良いせいで錐揉み回転する看板の文字が読めてしまう。宿場への案内標識だ。
(避けないと……!)
慣性で身体は前へと進んでいる。
向きを変えるためにはブレーキを踏まなければならない。
止まっても進んでもどちらでも直撃しそうなタイミングだ。
時間がゆっくりと流れる。当たれば流石に無傷とはいかない。
かといって撃ち落とすような真似は無理だ。
(迷っているうちに詰まれた)
あとはもう防御するしかない。
といってもあたし自身、か弱い乙女に過ぎなかった。
歯を食いしばって両腕で頭部をガードし、衝撃に備え息を止める。
こういうとき1番守らなければならないのはアタマだ。
次に来るであろう衝撃を覚悟し、鉄板が目の前に迫った刹那――琥珀色のカーテンが揺らめく。
幻覚などではない。向こう側が見えるくらい透き通った布があたしと鉄看板の間に現れた。
声を出せないでいると、鉄板は薄膜に阻まれて急激に運動エネルギーを失う。
余程、柔らかい素材なのか大きく伸びて変形し、あたしに飛来してきたデカブツを完全に止めてしまった。
呆気にとられていると布だったものは液状へ変化し、生物のように地面を這っていく。
目で追うとその先には銀色の髪をなびかせた美女が、右腕を水平に構えて立っているではないか。
やたらと露出の高いボディスーツに、いつものプロテクター。
けれど中身は良い人!
「ラインヒルデ!」
「フェリス! ご無事ですか?」
駆け寄ったあたしはラインヒルデの大きな胸に飛び込んで抱き付いてしまった。
ほんの数秒前まで死ぬかもしれないと本気で思っていたので急激に緊張が緩んでいく。
そんなあたしの頭を両腕で優しく抱き締めてくれる。
すごく柔らかいし、あたしのと比べ物にならないほど豊満だ。
ちょっと油っぽい臭いがするけど。
「ここは危険です。一緒に『ナイン・トゥエルヴ』へ乗って下さい」
「
「あの機体は、そう造られています。掴まって」
ホールドから瞬時にお姫様抱っこされたあたしは聞き返す暇も無かった。舌だけは噛まないように注意する。
軽いとはいえ人間1人を持ち上げたままバランスを崩さず、駐車場までを最短距離で走り抜けるのは流石だ。
さらにラインヒルデは黒い
「ちょっ……嘘でしょ?」
あたしでも焦る。
ジャンプ力には自信のある方だが、ラインヒルデのそれは比べ物にならない。
それこそ見えない階段でも踏んでいるかのように、数メートルの高さに到達して距離を稼ぐ。
(違う。足元に何かある!)
彼女の無骨なブーツからは琥珀色の結晶が生えて、地面へと伸びていた。
ハイヒールの踵を極端に大きく伸ばしたように奇妙だったが、それは確実に足場として機能している。
あたしは直感的にその物体が先ほどの布と同じ物だと悟る。
どう考えても不可思議な事が起こっているに違いなかった。
「ねぇ、さっきの布や足元のそれは何?」
「喋ると舌を噛みます! 後で説明しますから!」
重力から解放されたみたいだ。弧を描いてジャンプし、頂点に達すると髪の毛がフワリと浮く。
そんな中では些細な疑問かもしれないが、後でちゃんと確認させてもらおう。だから今は黙っておく。
「開け」
黒い
ラインヒルデの呟きに応えるように『ナイン・トゥエルヴ』のコックピットが開き、覆いかぶさっていた強化繊維シートを押し退ける。
ハッチの上に着地したラインヒルデは1度、爆発のあったほうへ目を遣った。
あたしの身体は殆ど衝撃を感じていない。それくらいのソフトランディングである。
「中へ。前方の座席に座って両肩と腰のベルトを締めて下さい」
促されてコックピット内に入ると、確かに2つ座席が取り付けられている。前後で1メートルくらい高さに差があり、後部座席の方が上にあった。
人間の背中に沿ってカーブする椅子の座面からは機能美すら感じる。
指示されるがまま着座したあたしはベルトを引き出してバックルへ押し込み、弛みが無いことを確認してから周囲を見回した。
よくよく見ると前の席には操縦桿もペダルも付いていなかった。
もしかして、ゲスト専用なのだろうか?
「上から失礼」
あたしの頭上を飛び越えて、ラインヒルデは後ろの席に飛び乗る。
肉感ボディをまじまじと下から眺めてしまう。
いけない。ラインヒルデと合流したことで安心してしまい、余計なことばかり考えている。
引き締め直すためにも自分で頬を叩いた。
それと合わせるように頭上からは大きな半球体がスライドして降りてくる。
空気が抜ける音と共にハッチも閉まった。生き物の口の中で上顎と下顎が閉じられて呑み込まれた……そんな感覚である。
コックピットが密閉されると半球体の内側に外部の景色が映って明るくなった。大まかな機械巨人のシステムはヨルズに聞いたことがある。
これが屈折水晶によるスクリーンなのだろう。
宿場町を見下ろす高さの視点は割と新鮮ではあった。
吹っ飛ばされた一角はホテルからそう遠くない。
もともと人は少ないのだろうが、まばらに逃げていく姿があちこちで見られた。
その一方で、ヨルズの『ナイン・タイタン』が走り去っていった方角からは土煙が上がっている。
「ヨルズにあたしたちの無事を伝えないと」
「了解しました」
まだ『ナイン・トゥエルヴ』は動き出さない。
内蔵されている通信機器を操作してラインヒルデは何度もヨルズへと呼びかけた。
だが、応答は無い。
「……回線を閉じているみたいです」
「ヨルズに対して強い敵意が向けられているの。最初はそんな気配無かった。けど
「彼は勝てそうですか?」
「分からない。けど……」
何回も戦っているのに『ナイン・タイタン』は満足な修理すらできていない。装甲だって穴だらけで、オイルが漏れているのも見てしまった。
ヨルズは機士として強いのだろうけど、そういった修理の技術があるとは言っていない。
素人のあたしでも、それがマズいことくらい理解できる。
不安で顔が歪んでしまう。
後部座席を振り返った先でラインヒルデは……私に優しく微笑んでくれた。
あ、だめ。そんな綺麗な顔でそんな表情されたら惚れてしまう。
あたしにはヨルズがいるのに。
こんな状況でも自分が紅潮したのが分かった。
「ヨルズ・レイ・ノーランドの援護に向かいます。あなたがこの機体に乗っている限り、あなたにも危険が及びますが……」
遠慮しがちに目を伏せたのはラインヒルデなりの配慮だろう。
あたしは頷いて意志を示す。
「大丈夫。だってラインヒルデは伝説のパイロットで、これは伝説の機械巨人なんでしょ」
「どんな悪名が伝わっているかは知りませんが、そういうことらしいですね」
低い音が鳴り、コックピットが揺れる。
『ナイン・トゥエルヴ』が一歩を踏み出した。
周辺の空気が一気に冷えていく。実際に温度が下がったのではなくそう感じるのだ。
「フェリス、これはヨルズには内緒ですよ」
「?」
唇に人差し指を当てた彼女は少し悲しそうな顔をしていた。
次の瞬間、コックピットの全面の壁から琥珀色の線が何本も放出されていく。
飴のような、糸のような……不思議な質感だった。
それらは間髪置かずにラインヒルデの大腿や二の腕・頬へと突き刺さっていく。
「なっ……」
異様な光景に絶句してしまう。
しかし、ラインヒルデに苦悶の表情は無かった。
血も出ていない。
まるで水晶の糸を通して機械と繋がっているみたいだ。
細い線は赤い光が明滅して、まるで血流が流れているかのようである。
『必要があってこの衣裳を着ております』
いつだったか、彼女はそんなことを言っていた。
その意味がようやく分かったような気がする。
糸は全て肌が露出した部分だけに貫通していた。
「さぁ、行きましょう」
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