第26話 フェリスとラインヒルデ①
買い込んでおいたワインを「1本だけ」と断って開けてはみたものの、ヨルズは最初の1杯を飲み干すと同時に寝込んでしまった。
仕方ないので抱き上げてベッドで横にしてやる。
体格の割に体重は軽く(それともあたしの腕力が強い?)、ちゃんと食べているのか心配になった。
顔を真っ赤にして唸っている様は可愛かったものの、ここまでアルコールに弱いとは知らなかったので少し反省しておく。
一方のラインヒルデはいくら飲んでも酔わないようだ。4本の瓶が空になっても顔色ひとつ変わっていない。見張りを買って出ただけのことはある。
(あたし、本当にバカだ……)
気分は最悪である。
先程、酒に酔った勢いで弟の貞操が無事なのか本人に確かめてしまった。姉として失格である。
後悔しても遅く、酩酊から素面に戻るのが怖くて更に飲む。
ヨルズが下戸な上に童貞だったのが信じられない。
孤児院を飛び出して何をしていたのかと思えば、このヘタレは本当に
「フェリス、身の危険を鑑みて一室に集まった筈ですが……」
「この宿場にもう悪意は感じないから、襲われることはないわよ」
さっき、チンピラにヨルズが絡まれたときはラインヒルデに加勢をお願いした。
簡潔にではあるが、あたしの持つ察知能力について話してしまっている。でないと説得力が無かった。
万が一……奇襲に失敗した2対1の状況になった場合、ヨルズを人質にとられたら無事に乗り切る自信が無かったのである。
「……何度も助けてくれてありがと」
「何度も?」
「ほら、あの白い
「そうでしたね」
絶世の美女が微笑み返してくれたので、あたしはドキッとしてしまった。自分が男だったら即座に抱いていただろう。
(ダメだ、結構まわってきてる。発想がオッサンだわ……)
安宿の一室に3人が入ると狭苦しかった。
壁も薄く、断熱も十分ではない。
動きやすさ重視のズボンから、普段のエプロンドレス姿に戻ったあたしは暖を取るために毛布にくるまってグラスをあおる。
おつまみに開けた肉の缶詰は未だ半分ほど残っていた。
寝間着に着替えるタイミングは完全に逸していて、おそらくはこのまま寝てしまうだろう。
ベッドの縁に腰掛け、寝息を立てる弟を見遣るとなんだか昔に戻ったみたいだ。
「少し飲み過ぎでは?」
「大丈夫、このくらい」
床にぺたんと座ったラインヒルデは相変わらずの薄着だ。
腹立たしいくらい抜群のプロポーションを見せつけてくれる。
「どうすればそんなに背が高くて、脚が長くて、肌が滑らかで、腰がキュっと括れて、おっぱいバインバインになるのかしらねぇ」
「遺伝子的なもの……だと思います」
「羨ましい。その遺伝子、あたしにも少し分けてよ」
「やはり飲み過ぎですよ」
絡み酒は自覚しつつも、これは良くない方向である。
特にヨルズには強く突っかかってしまったと思う。
彼女はいるのか、セックスしたことあるのか、この後もずっと機士として生きていくつもりなのか……リミッターが外れたせいで随分とデリカシーのないことを根掘り葉掘り聞いてしまった。
今まで、こういう機会が無かったから仕方ない。
同じ部屋で寝るのは子供のとき以来だし、お酒が入った状態で話すなんて初めてだ。
だから加減が分からなかった。
そして、ヨルズの行き着く先を知っているから不安が拭えない。
弟は復讐を完遂するだろうか……
「だいたいさぁ、こんなかわいい女の子が『そろそろ自分の子供が欲しいな』って半ば告白みたいなこと言ったのに押し倒して来ないんだもの。おかしいと思わない?」
「意味が伝わっていないのかもしれませんよ」
「どうだか。コイツが意気地なしのせいで、あたしまで行き遅れているんだから」
「フェリスは、ヨルズのことが好きなのですね」
「好き。大好き。もう子供の頃からずっと。あたし、ヨルズのお嫁さんになって子供を産むと思ってた。それで幸せになって2人でノーランド孤児院を切り盛りしていくの。バカみたいな妄想でしょ?」
一体、何を喋っているんだ。
いくらラインヒルデが無害そうだからとはいえ、こんなこと話すべきではない。
しかし、自分とヨルズのことをよく知る人には告げられないでいたのも事実だ。
そのフラストレーションが旅先とアルコールのコンボによって解放されてしまう。
「でもさ、好きって気持ちだけじゃダメだったんだよね。好きなら好きって言葉に出して、行動しないと。あたしはそれが出来なかったから、ヨルズが遠くに行ってしまった」
「過去形なのですね」
「今更、恥ずかしくて言えないわ。『お嫁さんにしてください』だなんて」
「遅くはないと思いますよ?」
紅い瞳が、あたしのことをジッと見つめている。
不思議な気持ちだった。
目が合って硬直していると、ラインヒルデの鼻からポタポタと黒い液体が垂れていく。
「鼻血が出てる」
「お見苦しいところを失礼しました」
珍しく慌てふためき、ラインヒルデは自分の手で拭う。
あたしがハンカチを渡してやると手で制してきたものの、さらに押し付けてやると観念したのか受け取ってくれた。
「折角の美人が台無しだよ?」
「すいません……」
こういうところは意外と可愛らしい。
けれど突然、鼻血を出すなんて……お酒の飲み過ぎ?
「そういえばラインヒルデの話し方って院長先生と似てるわね。挨拶に拘るところなんか特に。聞いている方は妙に落ち着いちゃうのよね」
このまま話題を引きずるのもかわいそうなので、切り替えておく。
鼻梁にハンカチを押し当てているせいで鼻声になったラインヒルデは首を捻った。
「……どんな人なのですか、その院長先生というのは?」
「ん? 院長先生は、あたしの師匠。自衛のためとか何とか言って、コッソリと体術や武術を叩き込んでくれたの」
「道理で……先程のフェリスの立ち回り、明らかに訓練されたものでした」
「実際に役に立っているからいいけど、子供の頃はそれが嫌で何度も孤児院から逃げ出そうとしたのよ。その度にヨルズを引っ張っていったけど、結局は捕まってちゃった。あたしの察知能力を使っても、院長先生からは逃げ切れなかったわ」
「大変だったのですね」
「そうよ、大変だった。院長先生はすごく変わり者で、よく分からない人。あたしのことを『力はあるのに意志が無い』ってボヤいてたわ。逆にヨルズには『意志はあるのに力が無い』ってね」
思い出すとそれだけで体重が減りそうだ。この話は止めにしておこう。
その後はラインヒルデにまで童貞だとバレてしまったヨルズの失地を回復すべく彼の良いところをひたすら挙げていく。
単なる弟自慢を楽しそうに頷きながら聞いてもらえた。
なんて良い人なんだろう。もっとこう……鬱陶しそうな顔をするかと思っていた。
いっそのことラインヒルデと結婚してやろうか?
そうすればヨルズは悔しがるに違いない。
「ヨルズはさ、あたしのことなんか好きじゃないんだ」
「そんなことはないでしょう」
「絶対そうだよ。そうに決まっている!」
「かなりお酒が回っているようですし、そろそろ寝たほうがよいですよ」
「うぅ〜、ラインヒルデってば実は水とアルコールの違いが分からないでしょ!」
「そうかもしれません」
相手があまりにも酒に強く、ちょっと酔わせて色々と聞き出す作戦は失敗に終わった。素直に敗北を認めよう。
そろそろ呂律が回らなくなりそうだ。意識もボンヤリしてきたし、寝たほうがいいだろう。
あたしはチラリとラインヒルデを一瞥し、不敵に笑ってみせる。
完全に酔っぱらいの行動だった。
「ヨルズの隣は、あたしンだからね」
「分かっていますよ」
背中を向けて寝ている弟の横へ滑り込み、毛布をかぶった。ちょっと埃っぽかったが構わない。
そのまま後ろから抱きついてやる。
温かい。ずっとこうしていたい。
あたしは夢の中でも、愛しい弟をギュッと抱きしめ続けた。
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