第3話 おじさんとおばけちゃん

 俺は久しぶりに地元に帰っている。戻るのは何年ぶりだろう。最寄りの駅は田舎にありがちな無人駅。この駅に降りるのも久しぶりだ。電車は何の問題もなく駅に辿り着き、俺だけのために律儀に止まる。

 駅に降りた俺は、久しぶりの地元の空気を思いっきり吸い込んだ。


「ふあ~あ、変わらないなぁ……」


 実際、変わっていない訳がなかった。山は昔と同じ表情でも田んぼは減っているし、馴染みの店は潰れているし、空き地には太陽光発電のパネルが並んでいるし、知らない家も増えているし――。

 それでもただ、地元の空気感だけは何も変わっていない、そんな気がしていた。


 俺が地元に帰ってきたのは色々上手く行かなかくなったから。原点回帰って言うか、ちょっと田舎が恋しくなったってアレだ。何だかんだ言って自分のルーツはこの場所にあるし、だからそれの再確認と言う意味もあった。


 そう言う目的だからこそ、俺は実家に帰るのを急がなかった。歩いたら30分以上かかるのにバスにも乗らず、歩いて帰ろうと決めていた。自分を育ててくれた景色をゆっくりと味わいながら、この空気を体に馴染ませていく。


 景色が変わったと言っても、変わらないものは変わらないまま。思い出の答え合わせをしながら俺はのんびりと道を歩いていた。

 車道を走るまばらな車、暇そうなガソリンスタンド、穏やかに流れる川、その川を泳ぐ鯉……。変わらない景色だけを見ていると、心が子供時代に戻っていく。


 田舎らしい景色と言えば、道路に無造作に並ぶ車の姿だろう。少し幅の広い道を近所の人が駐車場代わりにしている。車もあんまり走らないから誰もそれを気にしていない風で、その車の下では猫達が昼寝をしていたりする。

 猫好きな俺はそんな猫を探そうと、車を見つける度にそれとなく覗き込んでいた。


「うわあっ!」

「ふぎゃっ!」


 進行方向以外に気を取られていたのがまずかったのか、俺は何かにつまずきかけた。そのタイミングで変な悲鳴も聞こえ、焦って顔を左右に振る。

 けれど、足元にもつまずくようなものは何もなく、悲鳴をあげたものの正体も確認出来ない。その事実に少し背筋に冷たいものが走った。


「な、何もない……よな? あれ?」


 俺は狐につままれたような、重要な何かに気がついていないようなモヤモヤを覚えながら、さっきの出来事を忘れようと頭を振る。不思議な現象とか、のんびりした田舎には不似合いだ。頭の中の引っ掛かりを投げ捨てるように俺はまた歩き出した。

 ただ、3歩も進んだ所で確認のためにもう一度振り返る。直感がそうしろと叫び、それに俺は抗えなかった。


「嘘……だろ?」


 振り返った先にあったのはカートゥーンアニメみたいにベロ~ンと伸びたおばけの姿。見た目は某妖怪アニメに出てくる執事妖怪に似ている。こんな事って……。俺は自分の目が映したものを素直に受け入れられないでいた。

 しばらく呆然としていると、そのおばけは俺の見ている前でぽわんと浮かび上がる。


「いやはや、びっくりしたなあもう」

「うわあああ!」


 急におばけが喋ったものだから、俺は思わず大声を上げて尻餅をついてしまった。自分に霊感があるだなんて信じられない。

 次の瞬間、自分のやらかした行為が恥ずかしくなった俺は思わず周りを確認する。流石に田舎なだけあって、この痴態を目にした人はいなかった。ひとまず安心した俺はほっと胸をなでおろす。


 俺を驚かしたそのおばけは、ふわふわと浮かびながら近付いてきた。どうやら俺に興味を持ってしまったらしい。この突然の状況も俺はどう対処していいか分からず、へたり込んだまま声も出せないままでいた。


 十分至近距離まで近付いたそのおばけは、クンクンと確かめるように匂いを嗅ぐような仕草をする。俺、もしかして臭いのかな。久しぶりの里帰りでこんな怪奇現象に遭遇するだなんて、ハッキリ言ってついてない。

 オカルトは嫌いじゃないけど、こんな時どうすればいいか、対処法の知識も仕入れておけば良かったと少し後悔する。


 しっかり匂いを嗅いで何かに納得したおばけは、俺の顔をじいっと見つめながら目を輝かせた。


「ヒロシ、お帰り! 久しぶりだね!」


 このおばけの言葉に俺は言葉を失う。それも当然だろう。見ず知らずで初対面のはずの目の前のおばけが、俺の名前を知っていたのだから。

 俺は自分の記憶を真剣に辿ってみるものの、実在していない友達の記憶はどうしても探し出せなかった。


「お、お前……」

「僕はおばけちゃん、君が名前を付けてくれたんだよ」

「え……?」


 おばけちゃん……? その言葉を反芻している内に、俺の記憶の中の開かずの扉の鍵がガチャりと回った気がした。そうだ……俺は確かにこのおばけを……おばけちゃんを知っている。

 確か――子供の頃、決して名前を言わないこのおばけにそんな名前を付けたんだ。


「お、お前なのか……」

「そうだよ。やっと思い出せた? 良かった、忘れられてなくて」


 俺が思い出せた事で、おばけちゃんはその場で飛び上がったりくるくる回転したりして、喜びを表現しまくっている。俺はそんな彼の姿を見て懐かしくて微笑ましい気持ちになっていた。

 興奮したおばけちゃんは、俺が子供の頃の思い出話を一方的に語り始める。


「ヒロシと初めて出会ったのはもう20年以上前になるのかなあ。あの頃はハナタレ坊主でよく1人で泣いていたっけ。僕はそんな君が心配で、いつも見守っていたんだよ」

「へ、へぇ……」


 俺は幼い頃の事をほとんど覚えていない。なので、まるで両親か近所の人達か親戚の人達の話のように話すその思い出話を右から左へと聞き流した。

 そもそも俺は自分の幼い頃の事に全く興味がない。当時の話をされても具体的に何もイメージ出来ないんだ。

 俺が無関心なのにも関わらず、おばけちゃんのマシンガントークは尽きる事なく続ていく。


「……特に公園でよく遊んだよね。そうだ、今からあの公園に行こうよ!」

「え? いいよ今更」

「行こうよ! 今なら誰もいないよ」


 俺は拒否したものの、おばけちゃんはどうしてもと俺を公園に引っ張った。おばけなので何も触れないはずなのに、俺はおばけちゃんに手を掴まれてそのまま連れられていく。そうして強引にその思い出の公園へと辿り着いた。


 そこは20年前ですらかなり年季の入っていたずっと昔からある公園だ。遊具も古びたものが多く、管理の人がもう遊んではいけないと禁止扱いにしているものも多かった。

 その古びた遊具を目にした俺は、懐かしさと淋しさを同時に感じてしまう。


「ここ、まだあったんだ……」

「ここで遊ぶ子供達はほとんどいなくなっちゃったけどね」


 おばけちゃんはそう言って、俺の顔を見ながら少し淋しげに笑う。その表情が遊ばれなくなった遊具と重なり、俺は切なさで胸が一杯になった。

 この公園は俺とおばけちゃんとの思い出がたくさん詰まった場所――。


 そうだったと自覚した瞬間、今まで思い出せなかった記憶がぶわあっと心の中を満たしていった。まるで古い動画を再生するかのように、次々と鮮明に当時の事が思い出されていく。

 そうだ、俺はおばけちゃんとこの公園でよく遊んでいた。これは間違いようのない事実だ。


「俺、思い出したよ。おばけちゃんの事。よくここで遊んでたよね」

「楽しかったよね。僕もあの頃が一番楽しかった」


 俺は20年以上前の事を、子供の頃の思い出話を、目の前のふわふわ浮かぶ霊体と意気投合して盛り上がる。当時は公園の遊具もみんな現役で、その全てを俺はおばけちゃんと一緒に楽しんでいた。

 毎日毎日飽きもせずに楽しんで、一日があっと言う間だった。ただ公園内を走り回るだけでも楽しかったっけ。


 ある時、俺はおばけちゃんを思いっきり突き飛ばした。ふわふわ浮かぶおばけちゃんは子供の弱い力でもものすごく遠くまで飛んでいって、それも面白かったっけ。

 その遊びに夢中になったある日、俺は道路に向かっておばけちゃんを突き飛ばしてそのまま追いかけていった。


「あの時はすごかったよね、おばけちゃんすごい遠くまで飛んで行っちゃってさあ……」

「……」

「あれ? あれからどうなったんだっけ?」

「……」


 さっきまで上機嫌だったおばけちゃんがこの話をした途端、急に黙ってしまう。それがすごく心に引っかかって、俺はその先の出来事を思い出そうとした。えっと、あの時は確か――。


「そうだ、入院したんだ。あの時……」


 道路に飛び出した俺はおばけちゃんしか見ていなかった。大きいクラクションの音も気付かなかった。気がついたら病院のベッドに寝かされていたんだ。それで半年くらい入院したんだったかな。

 退院してからは、何故かおばけちゃんはもう見えなくなってしまっていて――。それであの頃の事を段々忘れていったんだ。


「またヒロシが見えるようになって僕の事を思い出したら、ずうっと言おうと思っていた事があったんだ」

「えっ?」

「あの時は君を止められなくてごめん。大怪我させたのは僕のせいだ」


 事故は自分のせいだとおばけちゃんは自分を責めていた。謝るその姿は今にも消えてしまいそうで、俺はそれを急いで止めようと声を上げる。


「いや、あれはおばけちゃんのせいじゃない。俺のせいだ。俺が……」

「ううん、謝らせてよ。それだけが心残りだったんだ。良かった、こうして君にちゃんと謝る事が出来て……」


 おばけちゃんは満足したような笑みを見せると、すうーっと消えていった。まるで何もかもが幻だったみたいに。


「おばけちゃん……そんな……」


 おばけちゃんが消えた後、俺は力なくその場に崩れ落ちていた。自分の犯した過ちを自覚した瞬間、俺は目を覚ます。どうやら長い夢を見ていたようだ。

 長くてリアルで重い夢。悪夢――ではないけど、ずっしりと重量感のある意味ありげな夢。見た意味を考えさせる夢なんて久しぶりだった。


 意識がはっきりしてきた所でタイミングよく電車は駅に着く。そこは懐かしい地元の無人駅。

 俺は改めて深呼吸をすると、夢の内容を確かめるように電車を降りたのだった。

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