第十三話 中庭の秘密

 イノーラのことを理解したい。彼女の本音を知りたい。その方法を考えた末にリオンがたどり着いたのは、義父が寝物語のように繰り返していた思い出だった。


 義父母が出会ったプロムのダンス。何度も義父が語っていた、バディ同士の感情の重なり合い。


 ダンスのことを分かりあいたいのなら、きっとダンスの最中にヒントがあるはずだ。


 だけどその誘いを言葉にしてしまってから一気に恥ずかしさがこみあげてきて、リオンは震える手はそのままにがばっと顔を上げた。


「あ、あのあの、やっぱり今のは無しで――」

「喜んで」


 イノーラはリオンの手をそっと取る。リオンは信じられないと言いたそうな目でイノーラを見て、そんなまなざしを向けられた彼女は、ちょっと不服そうに唇を尖らせた。


「私じゃ不満?」

「い、いやいやいや! 不満なんて!」


 ぶんぶんと首を横に振ってリオンは否定する。イノーラは彼の手を取ったまま、ふっと微笑んだ。


「冗談」

「君の冗談は冗談に聞こえないんだよ……」


 がっくりと肩を落とすリオン。イノーラはくすくすと笑っていた。

 携帯端末を起動し、音楽を再生する。緩やかなリズムのワルツが、チープな音源で流れ始める。


「じゃあ、踊ろうか」

「うん」


 二人は向かい合って片手を伸ばして組み、もう片手を互いの肩あたりに構えた。がちがちに緊張したリオンの目と、余裕のイノーラの目がばちりと合う。


「せーの」


 中庭の柔らかい土を踏みしめる。同時に三歩移動して、石畳をカツカツと鳴らす。方向転換。ぎこちなく、また三歩。


 真上から降り注いでくる月の光が、くるくると回る二人の影を誰もいない中庭に映し出す。ここで動いているのはリオンとイノーラだけで、二人のステップは静かな空間に響いていく。


 大きく二歩踏み込んで、足をそろえる。流れるリズムからずれている。それを取り戻そうとリオンは慌ててステップを踏み、そのままたたらを踏んでしまった。


「いたぁ!」


 勢いあまって転倒し、リオンは顔から土に突っ込む。起き上がりながら前髪についた土を払っていると、ひざを折って少しかがんだイノーラがふふんと笑ってきた。


「へたくそ」

「し、仕方ないだろ! 中退したからプロムなんて行ったことないし……」


 リオンは文句を言いながら立ち上がる。イノーラは再び彼と腕を組んで、不敵に唇の端を持ち上げてみせた。


「私に合わせて」

「うっ、お手柔らかに……」


 ちょっと引きながらリオンは首を縦に振る。それを了承の合図と取ったイノーラは、リオンを引きずるようにして動き始めた。


 まっすぐに三歩進み、次にじぐざぐに三歩ステップしてターン、もう一度まっすぐに三歩。そしてもう一度方向を変えようとしたとき――イノーラはバランスを崩して、後ろに倒れこみそうになった。


「わっ」

「危ない!」


 助けようとリオンは手を引いたが、彼の非力な腕では引き戻せるわけもない。イノーラの上に覆いかぶさる形で、リオンも倒れこんでしまった。


「ご、ごめん」

「ううん、私もごめん」


 リオンは先に立ち上がり、土で入院服を汚してしまったイノーラに手を差し伸べた。


「あはは、イノーラもへたっぴじゃん」


 彼女はむむっと表情を変えると、リオンの手を取って立ち上がった直後に、ダンスを再開した。


「うるさい」

「うわぁ!」


 リオンはイノーラに振り回され、二人はぐるぐると回りだす。そうして無茶苦茶に地面を蹴った後、なんとか腕を互いに組んで、ワルツらしきステップを再び踏み始める。


 一、二、三。

 一、二、三。


 足がもつれ、お互いに引っ張り合いながら体を進める。リズムにも合っていないし、もうステップなんてめちゃくちゃだ。


 だけど不思議と楽しくて、いつの間にかリオンとイノーラは、笑いあいながらダンスを続けていた。


 淡い月明かりごしに、二人は互いの顔を見る。相手のステップを感じながら、体を滑らせるように動かしていく。二人の目にはお互いしか映っていない。イノーラはふと真剣な顔になると、おずおずと唇を開いた。


「……ヘッドドレスをつけないと、合うパートナーがいなかった」


 足を動かしながらイノーラは切り出す。リオンは左に引っ張られながら彼女を見ていた。


 パートナーに合わせるために。つまり――イノーラは尖った自分の個性を殺すためにヘッドドレスをつけていたのか。


 意外な言葉に目を丸くしていると、彼女はぽつぽつと語り始めた。


「あれをつけてでも、私は戦姫になりたかった。そのために、家を飛び出してこの街に来た」


 イノーラは言葉を切り、沈黙する。やけに長く感じた音楽が終わり、二人は立ち止まる。


「忘れてた」


 イノーラは小さく言う。リオンを見つめたままの彼女の目から、ぽろっと涙が一滴こぼれた。


「私、戦姫の輝きに憧れてたんだ」


 彼女はくしゃっと顔をゆがめ、うつむいてしゃくりあげ始める。リオンは彼女の片手を取ったまま、どんな言葉をかけたらいいのか分からずにおろおろしていた。


 どれだけの間、そうしていたのか。十数秒にも数分にも感じる時間の後、イノーラは顔を上げてしっかりとリオンの顔を見た。


「リオン」


 名前を呼ばれ、リオンも背筋を伸ばす。イノーラはつないだままだった手を両手で包み込み、彼に一歩歩み寄った。


「私、ドレスが着たい」


 決断的なまなざしで、イノーラはリオンを見る。彼の目を見据え、正面から言葉を告げる。


「あなたが作った、私のドレスが着たい」


 リオンはその勢いにちょっとだけ驚いた後、彼女の真剣な瞳を見つめ返して、力強くうなずいた。

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