第一話 神秘の布の街
「こんなもの作れるわけがないだろう!」
大声とともに衣装のスケッチを机に叩き返される。床に落ちた数枚を少年が拾い集めていると、頭上からさらに社員の男は言い放ってきた。
「ほら、帰った帰った。ここは子供の遊び場じゃないんだ!」
無慈悲な言葉が、パーテーションで区切られた狭い室内にわんわんと響く。
少年は長い前髪の奥に隠された青い目を、悔しさでぎゅっとゆがめた後、「失礼します」と言って部屋から退出した。
ドアが背後で閉まったのを確認すると、泣き出しそうになるのを我慢して大きく息を吐く。前に抱えたカバンを抱きしめ、ぐっと指に力を込めた。
だが、そのまま立ち止まっているわけにもいかない。うつむいたまま早足で廊下を進み、『リオン・アランデル』と自分の名前が書かれた入館証を返却する。
受付の女性に軽くお礼を言って、ほとんど走り去るようにしてビルを出ると、白く整備された道路からの照り返しが目を焼いた。
ビルの前にはこのステラシアの政府機関を兼ねる服飾会社、『ステラシア・クロス』の名前が掲げられている。
洗練されたビルの外見と、ぶかぶかの上着を羽織った眼鏡の少年は、見るからに不釣り合いだ。
会社から出ても胡乱な目を向けられていることを自覚して、リオンは足早にその場を立ち去った。
ステラシア・クロスのあるビジネス街を出ると、すぐそこにはショッピング街が広がっている。ショーウィンドウには女物のマネキンが立ち並び、最近流行りの服が次々にホログラフで投影されている。
空を映したトップスに、雪原のようなロングスカート。パッと映像が変わり、首元にフリルが使われたブラウスと、裾の短い灰色のワンピース、足元にはデニールが高い黒タイツ。どれも冬の訪れを感じさせるバリエーションだ。
「うぅ、さむっ……」
吹き付ける秋の風に身を震わせて、少年は早足で帰途についた。
この国『ステラシア』は他の城塞都市と同様に、服飾が主要産業だ。それはただ単純に、服飾への関心が高いというだけではない。
――バトルドレス。
対都市用決戦兵器であるその服は、『エトワール』と呼ばれる布によって構成されていた。
エトワールは星の光――遠恒星光をプリズムで分散させ、それを糸の形に紡ぎ、布として織りなおしたものだ。
その布で作られたドレスには特殊な能力が宿る。それこそ、決戦兵器の名に負けないほど、すさまじい能力が。
きらびやかで、時に苛烈なバトルドレスへのあこがれは、通常の服飾文化へと大きな影響を及ぼした。
その結果、都市を上げて服飾業を奨励し――多くの場合、その服飾会社に、都市運営のほとんどを任せるようになったのがここ『ステラシア』を含めた周辺諸国の現状だった。
信号で立ち止まり、ふと視線を上げる。そこには、この街の十八歳以下限定大会での優勝者である
『五十年前、『エトワール』を使ったドレスは、対都市国家決戦兵器『バトルドレス』として運用されるようになりました。そして、平和な世の中になった現在ではそもそもの適性が高い性別である女性が
「ホープ・リリエンソール……」
ぽつりと彼女の名前を呟く。浅い褐色の肌に、ぱっちりと大きな目。足は長く、力強く地面を踏みしめている。いかにも情熱的なドレスに映えそうな見た目だ。
『
「い、急がなきゃ。始まっちゃう」
前方に視線を戻すと、すでに信号が変わっていたらしい。周囲の人々はリオンを追い抜いて横断歩道を渡り始めていた。
前に持っていたリュックを慌てて抱えなおし、リオンは歩みを進めようとした。しかしそんな彼を後ろから引き留めようとする人間がいた。
「よーお、変人くん」
「また無駄な持ち込みしてるのぉ?」
嫌味な声が左右から響く。リオンは青い目をぐっとゆがめ、そちらを振り向こうともしないまま、つかつかと横断歩道を渡っていこうとした。
だが先に横断歩道を渡り終えた兄妹――アレックス・エアハートとステファニー・エアハートは、リオンの前に立って通せん坊をしてきた。
後ろは車道、前は意地悪兄妹。逃げ場はない。
「飽きないよなぁ、男物の服なんて今どきこだわる人いないって。需要がそもそもないんだよ」
「そうそう。既製品しか売れないのに、どうしてそう無駄な努力しちゃうかなあ」
にやにやと迫ってくる二人を前に、リオンは蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。だけど、それでもなんとか言葉をひねり出し、震える声で言った。
「君たちには関係ないでしょ」
しかし彼の反応は、二人のお気に召さなかったらしい。エアハート兄妹は一気に顔をゆがめると、地を這うような声色で彼に詰め寄ってきた。
「関係あるよ」
「大いにあるね」
何を言われているのかわからず、リオンは縮こまる。兄妹はそんな彼が前に抱えていたパンパンのリュックサックをひったくった。
「あーっ、手が滑っちゃったぁ」
「きゃはは!」
兄のアレックスは荷物が詰まったリュックを、背が低い彼の手の届かない場所に持ち上げて揺らした。
「やめてよ、返して!」
リオンは飛び上がって奪い返そうとするが、どうしてもうまくいかない。
二人は十数秒そうしていたが、アレックスはふっと嫌そうな顔をして、リュックを歩道へと投げ捨てた。その拍子に開いてしまったリュックから、スケッチの紙が何枚も地面に散らばっていく。
慌ててリオンはしゃがみこんで、それを拾い集めようとした。そんな彼のつむじを見下ろして、兄妹は吐き捨てる。
「お前、何のために
「これを機に、もっと真っ当な技師になったらどう?」
あざ笑う声とともに兄妹は去っていく。リオンはスケッチの上に置いた手をぐっと握りこんだ。
「分かってるよ、そんなこと」
また泣いてしまいそうになるのを、唇を引き絞って必死で押しとどめる。
分かっている。まともに技師になるほうがずっといいって。だけどどうしてもこれはやめられない。こうして未練がましく、男物の服のスケッチをすることだけは。
その時、一陣の風が吹き、拾い損ねたスケッチが一枚、寒空の中に舞い上がった。
「あっ」
リオンは腕の中に拾い集めたスケッチを抱えたまま、その一枚を追いかける。スケッチは数メートル飛ばされると、誰かの足元へと舞い落ちていった。
その人物――銀色の短髪にヘッドドレスをつけた姿が印象的な少女は、スケッチを拾い上げてまじまじと眺め始めた。
「あの、拾ってくれてありがとう」
銀色の少女は、リオンの言葉など聞こえていないかのようにスケッチに視線を落とし続け、数秒たった後にようやく口を開いた。
「かっこいい」
ぽつりと呟かれた言葉が、まるで鈴が落ちる音のようにころりと耳に届く。何を言われたのかすぐには理解できず、リオンは沈黙する。少女はそんな彼にようやく振り向いた。
ぱちりと目が合う。すっと通った鼻筋。眠そうに半分閉じられたまつげに少し隠されているのは、空を映したような青色の目。時代錯誤な
少女に見つめられてリオンは言葉を失い、彼女もまた何も言わずにこちらをじっと見つめていた。そんな彼らの沈黙を破ったのは、陽気な男の声だった。
「おお、こんなところにいたか!」
大きく手を振って駆け寄ってきたのはリオンの義父、マドック・アランデルだった。へらへらと溶けた目元と、情けない赤ら顔を見て、リオンは思わず眉根を寄せる。
「義父さん、またお酒ばっかり」
「いいじゃないか、今日はめでたい日だ! とっておきの高い酒を開けてもいいぐらいだ! な、お前もそう思うだろ?」
マドックは銀色の少女の肩をポンと叩いた。
知り合いなのだろうか。リオンが彼に視線で訴えかけていると、少女は不意に口を開いた。
「イノーラ」
小さいはずなのにやけに通る声が、リオンの耳朶を叩き、彼は少女に目を戻す。少女は相変わらず感情の読めない目でリオンをじっと見つめていた。
「イノーラ・オーウェル」
名乗られたのだと気づくまで数秒。慌てて彼は居住まいを正し、彼女に向かい合った。
「僕はリオン・アランデル。ええと、よろしく?」
おそるおそる手を差し伸べる。イノーラはじっと彼の手を見つめた後、その手を取って握手した。
「よろしく?」
「……え、なんで君も疑問形?」
「さあ?」
一切感情を感じさせない表情でイノーラは首をかしげる。
不思議な子だ。それが第一印象だった。
「ねえ、義父さん彼女って……」
「リオンは天才だって聞いた」
唐突に話を遮られた。
「
同じぐらいの背丈から、じっと目を見つめられる。まるで心の底まで見通そうとしているみたいだ。
「そ、そう言う人もいるけど、別に本当のことじゃないから」
「そうなの?」
「そうだよ!」
第二印象。ちょっと失礼な子だ。
彼女は無表情のまま首をこてんと傾げた。
「でも天才だって聞いた」
「誰から」
「マドックさんから」
イノーラはびしっとマドックを指さした。リオンは余計なことを吹き込んだ彼に噛みつく勢いで抗議した。
「ちょっと、義父さん!」
「おっとそろそろ行かなきゃな」
マドックはわざとらしく時計を確認し、リオンたちを先導して歩き出してしまった。
「義父さんったら!」
「ほら行くぞ!
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