この雨が上がったら
柚城佳歩
episode.1
それは、どしゃ降りの雨の日だった。
傘はその役目を果たさず、爪先からリュック、着ているシャツに至るまで、何もかもを濡らす雨。
それでもないよりは幾分かマシ、と差した傘に雨粒の当たる音は、周りの音を全て掻き消して、轟音なのに無音の世界にいるような不思議な気分になった。
一面灰色の世界。
灰色の世界に、まるでそこだけ光が差したかのように、ふいに浮かび上がった白。
透き通るような肌に、白いシャツ。
そこから伸びるすらりとしたしなやかな手足と、雨に濡れて艶やかさを増した黒髪。
何よりも印象強く残る瞳。
突然目の前に現れた女の子に俺は、一瞬で目を奪われた。
* * *
その日は朝から最悪だった。
目覚ましよりも早く起きたと思ったら、まさかの電池切れ。セットした時刻の四時間も前に止まっていた。
時間を確認しようと見たスマホの画面は、アラームの設定途中になっていて、これでは俺を起こしてくれるはずもない。
最後の砦の両親は、ともに朝早くから仕事と用事で出掛けている。
「…はぁ~。遅刻確定か」
もうとっくに一限が始まっている時刻を過ぎている。
無遅刻無欠席を絶対の目標にしていた訳ではなかったが、入学してから初めての遅刻の原因が寝坊というのはどことなく悔しい。
急いだところでどうせもう一限には間に合わない。別段慌てるでもなく身支度を整え、適当に朝食を済ませ家を出た。
空は曇天。
雲が重く立ち込めて、今にも降りだしそうだ。
外に出てから傘を持って行くべきか迷ったが、また鍵を閉め直すのも面倒で、結局持たずに歩き出した。
少し時間が違うだけで、街は驚くほど静かだ。
見馴れた景色でも、新鮮に感じる。
歩いているうちに段々と人も増え、いつもの駅に着く頃にはすっかり喧騒が戻っていた。
鞄から定期を取り出し改札を抜けようとした所で異変に気付く。改札の中にも外にも、人でごった返していたのだ。
実は寝坊していないんじゃないかと一瞬錯覚しそうになったが、その理由はすぐにわかった。
安全確認だか信号の不備だかは知らないが、しばらくの間運転を見合せるというアナウンスが繰り返し流れていたからだ。
再開時刻は未定。
生憎俺は、いつ復旧するかもわからないものを大人しく待っていられる性分ではない。
かと言ってタクシーやバスを使うにも、スーツ姿の大人が既に長い列をなしていて、こちらもとてもじゃないが待つ気にはなれなかった。
そもそもタクシーに乗れる程のお金も持っていなかったが。
取りあえず、遅延証明書を駅員から受け取り、人混みを掻き分けて駅舎の外へ出た。
これは一旦家に戻って自転車で向かった方が早いかもしれない。
そう思って一歩踏み出したところで。
「…雨」
タイミングを計ったかのように雨が降り始めた。
やっぱりあの時面倒くさがらずに傘を持ってくれば良かったと後悔してももう遅い。
いっそこのままさぼってしまおうかとも思ったが、家と駅の間もそれなりに距離がある。
学校まで歩いたとしても、さすがに二時間は掛からないだろう。たまにはこんな日があってもいいかもしれない。
駅前のコンビニで五百円の傘を渋々買って、学校まで歩く事に決めた。
順調にいけば一時間程で着くだろうという俺の考えが甘かったと気付くまでに、そう時間は掛からなかった。
住所や場所がわかっていても、その道程までを正確に把握しているわけではなく。
大体の方角に向かっていって、わからなくなったら線路に沿って歩けばいいだろう、なんて気楽に考えていたのだが、現実はそう上手くはいかないもので。
頼りの線路は、道路や建物に遮られて出発してすぐに見えなくなり、ならばと電車の窓から見える景色の記憶を辿ってみたが、いつもぼんやりと流れ行く様を見ていただけなのでこちらも頼りにはならず。
結局、当初のプランにあった“線路に沿って”は早々に諦めた。
スマホがあるので現在地がわからないなんて事はなかったが、先程から徐々に雨足が強くなってきて、靴や服が濡れて重くなっている。
一度、どこかで休憩したい。
そう思っていたところで、ちょうど地図に公園の文字を見付けたので、学校を目指すのは一時中断。行き先をそちらに変更する事にした。
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