水底に眠る 後編

「調べたよ」


 数日後。

 我々三人は再びわが実家の客間に参集していた。

 私の調査結果を共有するた為だ。


 あの後、私は由井家が在住している世田谷区の郷土資料館に赴いていた。

 由井家にまつわる伝承を郷土史家なら何か知っているのではないかと思ったからだ。

 オカルトサイトといういかがわしいものの編集記者とはいえ、これでも一応ジャーナリスト言えなくもない存在だ。

 こういう時に話が持っていきやすい。

 私の狙いは当たりで、由井家には興味深い伝承があった。


 時に税金の無駄遣いと非難される郷土資料館だが役に立つこともある。

 税金を払っておいてよかった。


 前回と同じように私と兄は熱い茶を啜り、千鶴さんは冷たい麦茶を含みながら調査結果を報告した。


 それが何代目であるか判らないが、源平時代に由井の家は最も繁昌していたらしい。その屋敷へ或る年の春の夕ぐれに、若い美しい女がたずねて来た。

 当時の関東地方は完全な田舎である。他に手近な屋敷も無いため、主人の由井七郎左衛門ゆいしちろうざえもんは女を泊めることにした。


 そこまで話したところで千鶴さんが口をはさんだ。 


「その女の名前は『おそよ』?」

「その通りです」


 降霊術で降ろした霊と名前は一致したようだ。

 私は間違いなく正解を引いたらしい。


 おそよが七郎左衛門に屋敷を訪れたその後、どういう話をしたか知らないが、おそよはその夜から足をとどめて、屋敷内の人になってしまった。

 主人は一家の者に堅く口止めをして、女を秘密に養っておいたのである。女も人目を避けて、めったに外へ出なかった。

 その人柄や風俗から察すると、かれらは都の人々で、おそらく平家の官女が壇の浦から落ちて来て、ここに隠れ家を求めたのであろうと、屋敷内の者はひそかに鑑定していた。

 主人の七郎左衛門はその当時二十二三歳で、まだ独身であった。そのふところへ都生れの若い女が迷い込んで来たのであるから、その成行きも想像するに難くない。

 やがておそよは主人と寝食をともにするようになって、三年あまりを仲睦まじく暮らしていた。

 

 そうしているうちに、一つの事件が起った。

 近郷の滝沢という武士から七郎左衛門に縁談を申込んで来たのである。

 滝沢もここらでは有力の武士で、それと縁を組むことは由井の家に取っても都合がよかった。

 ことに滝沢の娘というのはことし十七の美人であるので、七郎左衛門のこころは動いた。

 だが、おそよとの関係は表にできるものではない。

 縁談はとんとん拍子に進み、いよいよ輿入れとなった。

 めでたい輿入れの朝、不幸が起きた。


 朝、屋敷の者が起きるとおそよの姿が無い。

 敷地内を隈なく散策すると、おそよの亡骸が井戸の底から見つかった。


 彼女と共に彼女が日ごろから愛顧していた鏡も消えていた。

 入水したときに井戸の底に沈んだものであろう、と推測された。

 その井戸はのちに埋め立てられた。

 現在、その場所は池になっている。  


 翔太少年が夢で見た「美しい女性」がおそよであると考えるのは大胆な想像でもあるまい。


 客間にはエアコンの静かな駆動音と遠くから聞こえる蝉の声だけが聞こえる。

 少々の長話になり、千鶴さんのグラスの中で氷が解けカランという音がした。


「その伝承には語られてない部分がある」


 千鶴さんが静かに沈黙を破った。


「おそよは女性じゃない。男性だったんだ」


 私は驚愕した。

 兄もそうだった。


「おそよは女性のように見えたけど間違いなく男だった。おそよの霊そのそのものがそう確かに言ったんだ。私も言われなければ気づかなかったけど、彼女――彼は男性だよ。日本は男色には寛容なほうだけど、それでもおおっぴらにするようなものではなかったからね。おそよは主人の男色趣味が発覚するのを恐れた家中の人間に殺されて、存在を隠蔽されたんだ」


 私は郷土資料館で取ったメモを手繰った。


「……記録によると七郎左衛門はそのまま滝沢の娘と結婚して子孫を残してます。

今の概念でいうバイセクシャルだったんですね」


 呆けていた兄が口を開いた。


「じゃあ、由井家の息子さんは霊感体質なのか?俺はあの一家とは何度も会ってるけど、そんなことは感じなかったぞ?」


 千鶴さんは静かに否定した。


「いいえ、祓い屋の家系なら全部知ってますが祓い屋の伝承に由井家の名前は欠片たりとも出てきません。この件で一番係わりのある翔太くんも、霊を直接見たんじゃなくてあやふやな夢でつながっただけだから、多分、そういう素質は無いと思います。


 そして付け加えた。


「おそよの霊と翔太君が繋がったのは何かが『共感』したからだと思います」


  〇


 翌週、私は兄経由で由井家とコンタクトを取り、一家の元を訪れた。

 翔太少年の父母は先祖からのつながりを大事にする昔かたぎで、馴染みの寺の息子である私を歓迎してくれた。

 「君が小さいころに何度か会ってるんだけどね」と言われたが恐れながら記憶になかった。

 私はただ申し訳なく謝罪するだけだった。


 千鶴さんはいつものように「セラピスト」と名乗った。

 他ならぬ私という先祖からの繋がりが傍らにいるおかげか、由井家の父母は全く彼女を怪しまなかった。


 翔太少年はずいぶんと元気に見えた。

 根本原因である鏡を祓ったことで、少年に憑いていた思念は粗方消えたようだ。

 少年に気づかれないように千鶴さんが耳打ちした。


「まだ少し念が残ってる。一応、祓っておこう」


 私は「セラピーには守秘義務がありますので」と尤もらしいことを告げると、両親には別室に引き上げてもらい、客間は翔太少年と私と千鶴さんの三人だけになった。


 千鶴さんは最近の調子や、「学校はどう?」というあたりさわりのない話をすると締めくくりに告げた。


「もう大丈夫みたいだけど、おまじないをしておくね。精神安定の儀式みたいなものだから」


 そしてそっと翔太の頭に手を置くと小さく祝詞を囁いた。

 少年に憑いた何かが霧散していくのを感じた。

 

 少年が千鶴さんの不思議な行動にポカンとしていたが、不快感は感じなかったようだ。

 「ありがとうございます」と伏し目がちに呟いた。


 千鶴さんは笑顔で頷いた。

 そして、大事なことを口にした。


「それで、翔太君」


 彼女は努めて穏やかに言った。


「LGBTについてどのくらい知ってる?」


 LGBTとは同性愛者や両性愛者のことを指す言葉だ。

 ある程度普及し始めている呼称とは言え、中学に上がったばかりの少年が知っているかは微妙なところだ。


 だが、その言葉を耳にした瞬間、少年が怯えたような表情をした。

 千鶴さんの推測は正鵠を射ていたようだ。


 少年は何か言おうとしたが躊躇い、黙って伏し目がちになった。


「言いたくないなら言わなくてもいい。でも、おせっかいだけはさせて」


 千鶴さんがポケットから名刺を出して渡した。 


「伝手でLGBTに詳しい人権擁護委員を紹介してもらった。強制はしないけど、誰にも言えずに黙ってたなら連絡してみて」


 少年は名刺をじっと見つめた。

 静かに顔をあげて、我々の顔を見渡し、小さく頷いた。


  〇


 我々は暇を告げ、由井家を後にした。

 世田谷の住宅街は軒もほとんどなく夏の日差しが照り付ける。

 おまけに前日降った雨のせいで、湿り気を帯びている。

 熱を帯びた湿気が肌に絡みつく。日本の夏だと感じる。


 少年に憑いたものは祓ったが、少年にはもっとやっかいな問題が残った。

 しかし、それは私や千鶴さんのような人種が解決する問題ではない。

 結局のところ我々は翔太少年の人生において傍観者に過ぎない。


 他人の人生に介入するのは簡単なことではない。

 お節介を焼く程度が我々の限界だった。


「社会は常に良い方向に進化してると思います。もう中世じゃない。大丈夫ですよね?」


 私は懇願するように言った。


「そうだね。そうだと信じたいかな」


 千鶴さんは諦めと希望をないまぜにして言った。


 蝉の声が耳朶を打つ。

 今日も暑いな、と私は思った。


注・真光寺という名前のお寺は全国に複数ありますが、ここに出てくる真光寺はまったく架空の存在です。

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