奇談 -東京祓い屋探偵事件簿ー
ニコ・トスカーニ
憑き物落ちる 前編
谷中霊園の桜は見頃を過ぎていた。
連日の春の嵐のせいだろう。
地面には振り落とされた桜の花びらが舞い、桜の木は無理なダイエットをしたリバウンドに怯える男のように枯れた姿を見せていた。
桜並木の道を通ると盛りを過ぎた木の元にビニールシートを敷いた団体がちらほらと見えた。
ほろ酔い加減の集団の控えめな談笑が聞こえてくる。
「墓場で酒盛りなんてバチあたりだな」と私は思った。
だが、それと同時に思った。
「ご先祖様たちも子孫が楽しそうな方が賑やかでいいのかもしれない」と。
なにより花見客たちは楽しそうだった。
ご先祖様たちも笑って許してくれることだろう。
五人組の花見客の方を見ると――「それ」は見えた。
朧げに宙に浮かぶぼんやりとした光――「魂」とも「人魂」とも呼べる何か――が浮かんでいた。
その光には何か温かみを感じた。きっと彼の先祖か近しい何かなのだろう。
〇
私は古い――と言ってもたかだが二百年程度だが――の寺に生まれた。
「
おかげで初対面の相手との最初の話題に困らない。
同姓同名の人に出会ってしまい困ったこともない。
家系は浄土真宗の一派で、私は次男坊だ。
浄土真宗は大凡戒律らしきものが存在しない限りなく俗世に近い一派だが、現住職である父は生臭坊主を絵に描いたような男だ。
趣味はワインのコレクションで週に一度はレアで厚切りのステーキを食べ、オタクの領域に確実に踏み込んでいるパンクロックファンだ。
ダムドとセックス・ピストルズをこよなく愛し、父の運転する車ではいつもダムドの『地獄に堕ちた野郎ども』かセックス・ピストルズの『勝手にしやがれ!!』が流れていた。
ある時、カーステレオから流れるパンクの騒音にしかめ面をしながら一回り年上の兄が言った「親父、生臭にも程度があるんじゃないか?」
父は答えた「世俗を知ることも大事な修行だ」
大学時代から父と交際してた母は父の言葉にただ「うんうん」と頷いた。
兄は自分が論破された事、この車内に味方が居ないことを悟り何も反論できなかった。
父と反するように真面目そのものの兄は若いながら檀家の受けもよく、時期の住職になることがほぼ決まっている。
しかし、やはり血は争えないらしい。
兄はパンクオタクにこそならなかったがUKロックの愛好家になり、ワインのコレクションはしていないがシングルモルトウィスキーをコレクションしている。
それを除けば真面目そのものなのだが、画竜点睛を欠くとはこのことを言うのであろう。
このように得度とは何も縁の無さそうな一族だが、一点、明らかに俗世と違う点がある。
父の家系は「視える」家系だ。
私が初めて「視た」のは私が五歳の時のことだ。
実家の寺には御多分にもれず小さな霊園が併設されている。
檀家の人々が眠る場所だ。
ある日の夕暮れ、用を足そうと霊園に面した廊下を歩いているとき、霊園の方にぼうっと光る火の玉のようなものを見た。
私は驚き、まずそのことを兄に告げた。
兄は私の話を聞くと即座に血相を変え、父を呼んだ。
何時も温顔な父が珍しく真剣そのものの顔をして私をじっと見た。
子供心にたただ事でないことを私は悟った。
「いいか」
父は言った。
「お前は特別なわけじゃない。目が見えて耳が聞こえて口が利けて歩いたり箸をもったりするほかに余分な機能が一つあるだけだ」
よくわからなかったが私は頷いた。
「それは良いものじゃないが、悪いものというわけでもない。お前には人には見えないものが見える。ただそれだけのことだ」
そして幼年期から少年期の間にかけて私は「視える」ことに慣れるようになった。
〇
谷中霊園を突っ切り、上野方面に向かう。
東京芸大の敷地に入る手前で曲がり、その先を一ブロック進んでさらに曲がる。
父の地図が確かならこのあたりの筈だ。
「庭に柿の木がある」と父は言っていた。
時期的に柿の実は生っていないはずだ。
よく考えてみれば、実の生っていない柿の木とそれ以外の樹木を見分ける術が私にはなかった。
だが、幸いなことに庭に木が生えている家は一軒しかなかった。
石垣の表札に名前がある。
これも幸いなことに私の尋ね先は極めて珍しい苗字の持ち主だ。
おかげでその古民家が目的地であることが一見して分かった。
ほぼ約束の時間丁度。
私はドアの前で呼び鈴を鳴らし、名を告げた。
すぐにインターフォンから返答の声がした。
「鍵は開いてるよ。どうぞ」
私は言われるままドアを開け、入った。
外観からして築五十年は経っているものと思ったが、中は新築ホテルのように清潔だった。
古民家の趣を残しつつも、床や壁は明らかに最近手の入った形跡があり、控えめな照明が柔らかく空間を包んでいる。
玄関で下足を脱ぎ、短い廊下を進むと障子の引き戸を開け、その先に進む。
開けた先はどうやら応接室らしい。
目的の人物はソファに腰かけていた。
私の姿を認めると立ち上がってお辞儀をした。
年は30歳前後と聞いているが年より幾分か幼い顔立ちに見えた。
色白でほっそりとした体躯をしており、背丈は160cm前後の平均的な日本人女性のものだった。
鼻は小ぶりだが目はくっきりと整っており、柔らかくウェーブした亜麻色の髪が肩まで伸びている。
彼女は一言でいうと「平均的な美人」に見えた。
ベージュのチノパンに白いブラウスとネイビーのロングカーディガンというオフィスカジュアルの定番のような格好もあって、パッと見には無個性さを感じたが、こちらを見据えた目にははっきりとした知性と意思を感じた。
それが彼女との出会いだった。
〇
私が彼女の元を訪ねるまでちょっとした事があった。
私は売文家だ。人によっては私の事を「ジャーナリスト」と認識するかも知れない。オカルトサイトに記事を書くことが「ジャーナリズム」と呼べるのであればだが。
きっかけは学生時代に暇に飽かせて寄稿した記事だった。
寺生まれで視える体質である私にとって怪奇譚は日常に転がっている代物だった。どうやら私には文才があったらしく、外部ライターを公募していた「オカルト年代記」は私のテスト記事を見て未経験の私を採用してくれた。
大学を卒業するとアルバイトの外部ライターから正式な社員への勧誘を受け、私は社員になった。
「オカルト年代記」の社員はわずかに七名であり、週に二回程度の出社の必要があったがリモートワークがメインだ。
元来が次男坊らしいマイペースな私にはありがたいワークスタイルだった。
幽霊や宇宙人、UMAに関して調査をし記事をせっせと書き、時にはデッチあげる日々。
思いもかけない方面から連絡があった。
学生時代の友人からだった。
私は「視える」ことを積極的に周囲に知らせていない。
変な目で見られることが確実だからだ。
だが、寺生まれでオカルト方面に詳しいことは特に隠しておらず私は周囲から「そういう人」として認識されていた。しかも、オカルトサイトの編集記者でそのど真ん中に居る。
彼の相談は従妹の少女だった。
もともと大人しい性格だったが、最近調子がおかしいという。
言葉遣いは乱暴になり、学校で度々喧嘩騒ぎを起こしている。
少女の両親は当初、思春期特有の不安定さと思っていたが話し合いの場を設けてもいくら言い聞かせても少女の態度は変わらなかった。
心配になって病院で検査したところ内科的には彼女は健康そのものだった。
精神科にも行ったが精神科医の見解は「思春期のヒステリー症状」だった。
少女の病状は悪化の一途だった。
私の学生時代の友人は警察官だ。
警察官は人に頼られるものだ。
困った少女の両親は頼れるお巡りさんである私の同期に相談をもちかけ、彼は私に相談を持ち掛けた。
「どうして医者の次の相談先が僕なんだ?」
少女は普段からオカルトが好きで、オカルト好きが行き過ぎてオカルトへの傾倒と思春期特有の不安定さからその状態に陥ったのかもしれない、というのが彼の仮説だった。
なるほど、筋は通っている。
私は要請を受けることにした。
私は両親同伴の元、少女と対面した。
少女を一瞥し――私には「視え」た。
少女の体からは黒い靄のようなものが浮かんでいた。
私は瞬時に理解した。
これは思春期のヒステリー症状などではない。
「こちら側」の事件だと。
しかし、ただ「視える」だけの存在である私は対処法を持たない。
とっさの思い付きで「良い人物を知っています」と言ってしまった私は困り、さしあたりの処置として父に相談を持ち掛けた。
これでも父は歴史ある寺の和尚でしかも視える体質だ。
檀家からそういう相談を受けることもあるのではないかと思ったからだ。
「天明。俺みたいな生臭にそんな力あるわけないだろ?」
父の回答は膝の抜けるような回答だった。
「檀家さんとか、そういう人から相談を受けることはないの?」
私は一応食い下がった。
「まあ、慌てるなって。実のところな、檀家さんからそういう相談を受けることはあるし、もちろん無下にはしない。そういう時はな……そういう力がある人を紹介するんだよ」
父はそう言うと、スマートフォンを取り出し、一点のメールアドレスを提示した。
「ウチの遠縁に
スマートフォンを操作し、私にアドレスを転送しながら父は説明した。
「そこは神道の家系で、俺の何代か前のご先祖様が喧嘩別れして仏門に入ったせいでずっと険悪だったがいちおう細い付き合いだけは続いてる。そいで、そこの家系の若いのが少し前から東京で祓い屋を始めた」
私のスマートフォンがメールの受信をしらせる通知を表示した。
メールを開くと、「
「ありがたい話だ。あの子が来てくれるまでは、伊勢からわざわざ関係者を呼んでたんだからな。家計にも優しくて大助かりだ」
父はやはり生臭だった。
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