第1章

自分が失敗したら、カピタルの竜使いの血は途絶えてしまう

02.騎乗試験

 目のまえに、木もれ陽に照らされた細い空間が伸びている。その両脇には鮮やかな新緑の木々が生い茂り、あたりに初夏の太陽に暖められた若々しい草葉のにおいがたっぷりと充満している。

 入口に、赤ん坊ぐらいの大きさの石が据えられていた。赤い塗料で塗られた石は、森の深い緑色を背にして異様に目立った。

 けして見落としてはいけないのだぞ、というふうに。この赤い石を越えていけるのは、特別に許可された者だけだ。

 あたりは静かで、少年二人と年老いた竜一頭のほかは誰もいなかった。

 赤い門石のすぐ横で、節くれだった脚をした竜は、白い小花を咲かせた下草にさかんに鼻づらを押しつけている。

「エヴィー、口に入れちゃだめだよ」

 かたわらに立っている少年が声をかけ、エヴィーと呼ばれた竜の口枷(くちかせ)を引っ張った。竜は頭を上げて、落ちついた人なつこい瞳で少年を見返した。

「大丈夫だ、口枷をきつく締めておいたから」

 エヴィーの背中に鞍(くら)を固定しながら、もう一人の少年が答えた。鞍はエヴィーと同じぐらい年季が入った物で、色あせてあちこち擦り切れている。けれども竜の皮で何重にも裏打ちされ、いかにも頑丈そうだ。少年は、鞍と同じ竜皮加工の手袋と長ズボン、そしてスパイク・シューズを身につけている。

「ハル、ゆるめてやってくれ。強く締めすぎたかもしれない」

「オーケイ。エヴィー、こっち向いて」

 ハルはエヴィーの頭をグイと引き寄せると、口枷の調整ネジを手馴れたようすでクルクルとゆるめた。老竜は孫に世話をされるような顔つきで、目を細めてされるがままになっている。もう一人の少年は、ちょっと手をとめてその様子を眺めた。

 もう一人の少年の名は、ウィルという。ウィリアム・リロードとハルミ・ブラッサムは誕生日が一日違いの幼ななじみだった。二人とも赤ん坊のとき母親をなくし、ハルは父親もいなかった。ウィルの父親であるサムソン・リロードがハルを引き取り、二人は本当の兄弟のように育った。エヴィーはサムが飼っていたパルヴィス種竜で、二人が四歳の時に生まれた。今年でちょうど十歳になる。物心ついたときから二人のいい遊び相手だった。

 二人はエヴィーの手綱(たづな)をとって、門石の中央へと進んだ。

 森へと続く細長い空間の向こうは、途中で左の方へ折れていて先がわからない。しかし明るい陽気に照らされ、二人を快く手招いているように思えた。

 ハルがほがらかに言った。

「いい朝だね、試験にはうってつけだ」

「まあな」

「ウィル、緊張してる?」

 ウィルはなんとなく笑った。ハルはそんな彼の表情を見て、確かめるように言った。

「昨日はよく眠れた?」

「ぐっすり。起きたら朝って感じだ」

「じゃ、大丈夫だよ」

 ウィルはごくりと唾を飲みこんだ。

 ふいに自分の心臓の音がからだの内側から聞こえてきた。こめかみがぴくついている。指と爪先から血が引いていくのを感じる。この瞬間を想像するたびに、緊張するだろうと思ってはいたけれど、こんなに息が詰まりそうになるなんて。

 父の言葉が甦(よみがえ)ってきた。

『自分を信じることは大切だ。しかし、自分だけが特別だと思ってはいけない』

 エヴィーはおとなしい竜だったが、サムソン・リロードはいつもそう言って、隙をみてはエヴィーにまたがろうとするウィルを叱った。

『パルヴィス種はとても勘がいい竜だ。相手が誰か、これからどう扱われるかを正確に見抜いてしまう。そして恐ろしく公平な生き物だ。どんなに素質があっても、仲がよくても、未熟な者を主人とすることはない。私の目を盗めたとしても、エヴィーをだますことはできないのだよ。だから時期がくるまで待ちなさい。竜は失望した相手を二度と乗せてくれない』

 一年前にサムが死んだ後も、二人はこの教えを守った。十四の誕生日まで、サムが残した鞍と手綱は、厳重に包まれ荷物の奥にしまわれたままだった。そして今日、ハルの誕生日を待って、自分達を試験するために二人は森の入口へとやって来たのだった。

 唇を噛み突っ立っているウィルを見て、ハルは穏やかに言った。

「大丈夫だよ、ウィル。おじさんは腕のいい竜使いだった」

 その言葉はウィルを勇気づけた。だが次の瞬間に、強大なプレッシャーが襲ってきた。

「ハル、やめてくれ」

「君が乗れないはずないよ」

「どうかな。マカフィもネイシャンも乗れなかった」


 子どもたちはみな、騎乗試験に失格することを恐れていた。一度失敗した者は何歳になっても、また竜を替えたとしても、二度と成功しない。だから十四歳の試験はたった一度だけのチャンスで、みな誕生日が近くなると、逃げ出したくなるほどの重圧に立ち向かわなければならなかった。まして親が竜使いだった子どもは、なおさらのプレッシャーだ。だからこそ、マカフィもネイシャンも――そしていまウィルも――誰にも見つからない場所で自分を試験した。

 四年前の夜、こっそりテントを訪ねてきたマカフィの声を、ウィルは今でも覚えている。 彼はサムに小声でエヴィーを貸してほしいと頼んでいた。ハルと寝袋にもぐりこんでいたが、ウィルは頭まで毛布をかぶったまま耳をそばだてた。

『エヴィーを? ロックに乗らないのか?』

 サムはマカフィに問い返していた。ぼそぼそとマカフィがなにか言う声が聞こえた。サムは少し考えていた。

『マカフィ、たしかにロックは気性が荒い。だが、この試験に関しては……パルヴィスの血を引く竜は乗り手に対して厳しいんだ。エヴィーだからパスしやすいということはないと思うが』

 沈黙が流れた。

 もう一度サムの声が聞こえた。ずっと優しい口調で。

『悪かった、わかったよ、マカフィ。俺もいっしょに行こう』

 二人は出ていった。

 そのまま眠ったウィルは、サムがいつ戻ってきたのかわからなかった。次の朝エサをやりに行くと、エヴィーはいつもどおりテントの横にいた。サムもふだんと変わらない様子だった。

 だがその日から、マカフィは口数が極端に少なくなった。


(俺は、やれるだろうか?)

 ハルはウィルを見上げ、もう一度うながした。

「乗ってみて、ウィル。自信をもって」

「わかった」

 カラ威張りするような間柄ではない。でも、これ以上弱気なところをハルに見せたくもなかった。

 手綱をたぐりよせる指先が、ふわふわして自分のからだではないようだ。ウィルは手をぎゅっと握りしめてからゆっくりと開いた。じんとした熱さが伝わって、少し感覚がもどってきた。

 「エヴィー、いくよ」

 低く声をかけ、首のつけ根あたりを軽くたたいた。片足をエヴィーの膝のこぶにかけ、鞍の前支柱に腕をのばしてつかんだ。


 そして――地を蹴って、エヴィーの背にひらりとまたがった。


 両目をぐっとつむって自分の内側に目を凝らす。

 体中がどくどくと脈打っている。下半身の全神経が、鞍の下の動きに集中している。

 頭の中を、サムの言葉の断片がかけめぐった。あの日を境に冗談を言わなくなったマカフィの顔が、チカチカと浮かんだ。勝負はほんの一瞬、だが、たまらなく長い一瞬……わずかな振動でも、心臓を破裂させてしまいそうだ。

 エヴィーは動かなかった。声もたてず、尻尾をだらんと垂らしたまま。

 そして、ウィルがそろそろと眼を開けた時、首をゆっくりともたげて地面を足でひと掻きした。

「やった、やったぞ!」

 ふいにハルが歓声を上げた。

「エヴィーに乗った! パスしたんだ! ウィル、きみは竜使いだよ!」

 ウィルは、はじける笑顔で飛び跳ねているハルを見つめた。ハルは嬉しさのあまり、「えらい!えらいぞ!」と叫びながら、エヴィーの頭にとびついてめちゃくちゃに撫で回していた。

 (やった……のか?)

 手足にあたたかい血が流れこんできた。

「ああ、俺は、乗れた。よかった……よかった、本当に」

 新緑の空気をいっぱいに吸い込んだ。久しぶりにちゃんと息をした、そんな気がした。

(もう、大丈夫だ。)

 胸につかえていたものがすぽりと無くなって、蒼い穴が空いたようだった。

 ハルはウィルを見上げて言った。

「そうさ。カピタルでひっさびさの、竜使い誕生の瞬間だよ。やったなあ!」

「なんだか、まだ、信じられない」

「大丈夫だって、僕が言ったろ?」

「ほっとしたよ」

「嬉しいよりも?」

 ハルは立ち止まって聞いた。ウィルがあまりに落ちついているのを見て、はしゃぎすぎたかと気まずそうに笑った。その様子を見て、ウィルもやっと少し笑った。

「ごめん、嬉しくないわけじゃないんだ。嬉しいよ。でも……」

「ああ、プレッシャーだった、から?」

 ウィルはカピタルで最後の、『竜使いの子ども』だった。

 マカフィが四年前の試験で失敗したとき以来ずっと、大人達から言葉にならないプレッシャーを感じていた。

 自分が失敗したら、カピタルの竜使いの血は途絶えてしまう。試験にパスすれば過酷な任務が待っているだろう。しかし試験に失敗してカピタルじゅうの人間から失望されるよりは、命を危険にさらすことになったとしても、任務のほうがましだった。

「ともかく、成功だ!」

 ウィルの物思いを遮らせ、ハルが足をぽんぽんと叩いた。まるで自分がパスしたかのように、嬉しそうだった。――そこで、ウィルは思い出した。

「さあ、次はそっちの番だ」

 ハルは、急に顔を曇らせた。

「僕?」

「そうだろ。ハルにあわせて、俺の試験を一日延ばしたんだぞ」

「僕は……やめておく」

 ハルは言って、後ずさった。

 今までの快活さは消え、深刻な顔をしていた。

「僕は、ほら、こんなだろ……。乗れないと思うよ。ケガをするといけないし」

 ハルは生まれた時から背骨が曲がっていて、身体が右側に傾いていた。右手も少し不自由で、それによく熱を出して寝込むことが多かった。サムが生きていたときから、あまり激しい運動はしないように言われていた。

 確かに、エヴィーがハルを振り落とすようなことがあったら、彼はうまく手をつけずに地面に叩き付けられそうだった。もし怪我でもしたら、傷口から得体のしれないものが入り込んで、どんな病気になるかわからなかい。

 けれど、ウィルはあきらめられなかった。ハルがどれほど竜が好きか、どれほど竜使いに憧れているか、よく知っていたから。

「馬鹿なこと言うな。俺が支えてやるよ。大丈夫、ケガなんかしない」

「いや、いいんだ」

「俺よりエヴィーと仲がいいくせに、何を怖がってるんだ」

「仲がいいのと、乗せるかどうかとは別だよ」

 ハルは言い張った。強情だ。

「俺だって、すごいプレッシャーだったんだ。男らしくないぞ」

「男らしくなくていいさ」

 ハルは横を向いていた。ウィルはそれ以上言えなくなった。

 自分がエヴィーに向かったときには、プレッシャーと同時に「乗れるはずだ」という思いもあった。サムの息子だったからだ。しかし竜使いの血を持たないハルはおそらくパスできないだろう。

 竜好きのハルにとって、生まれつき体を思いきり動かせないハルにとって、「乗れない」とはっきりするよりも「乗れるかもしれない」と思いながら生きていくほうが、良いのかもしれないと思った。

 黙ったウィルを見て、ハルは少し笑った。

「ごめん、おかしなことを言って」

「いや、いいんだ」

「じゃあ、こうしよう。僕の試験はやめておく。そのかわり、いっしょに後ろに乗せてよ」

「いっしょに?」

 ハルの顔に、快活さが戻ってきた。

「そうさ、昔おじさんが、いっしょに乗せてくれたじゃないか。一人では絶対にだめだったけど、自分といっしょならいいって。説明してくれただろう」

 その通りだった。サムは時々エヴィーに鞍をおいて、二人を自分の後ろに乗せてくれた。竜はマスターが選んだ相手なら、マスターが命じれば、背中に乗せてくれるのだ。

「そういえば、そんなこともあったな」

 ウィルは感心して言った。

 最後に乗せてもらったのは、森が見つかるずっと前、確か八歳ごろの話だ。ハルの竜に関する記憶力は異常なほどで、カピタル中の竜の名前と個性を見分けたし、三年前の夏、どの竜が食欲があったか、機嫌が悪かったかまで覚えていた。

「よし、じゃあ足をかけて」

 ハルは言われた通り、エヴィーの膝のこぶに足をかけ、ウィルが差し出した手を握った。 そのとき、エヴィーがふいに膝を折ってかがみこんだ。

「はっはあ! ほらハル、はやく乗れってよ」

 エヴィーは従順な召し使いのように、ハルがウィルの後ろに収まるまでじっとしていた。それからゆっくりと身体を戻し、小さく鳴いた。

 ハルが大きくため息をついた。ウィルから顔は見えなかったが、感激で言葉が出ないようだった。

 ウィルも同じだった。もう何十日も前から、今日のことを頭の中で繰りかえし考えた。もし失敗したらどんな気持ちだろう、成功したらどんな気持ちだろう? こんな、空に舞い上がって世界を手に包んだような感覚が待っているなんて、とても想像できなかった。

 ウィルは、エヴィーの手綱をしっかり掴んだ。


 俺は、竜使いだ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る