姫宮奈落は暴かない

字書きHEAVEN

Op

 その日、姫宮奈落はとても不機嫌だった。

「きみは何か勘違いしているようだからはっきり言わせてもらうけれど、風紀委員会は便利屋でもよろず悩み相談所でもないんだよ」

「じゃあ何なんだ」

「だから風紀委員会だよ!」

 旧校舎の奥の奥、窓から差し込む放課後の木洩れ日を背に立ち上がると、奈落は久々に現れた来客にちらりと目をやり、壁際のサイフォンでコーヒーのお代わりを淹れ始める。

 彼女の所作に合わせて膝丈のプリーツスカートが優雅になびき、ほこりとかびの臭いにまみれた生徒会室にかぐわしい香りが不意に広がった。

 先ほどから大して広くもない部屋の隅で彫像よろしく佇んでいた僕であったが、この如何ともしがたい雰囲気に気圧され、おそるおそる口を挟んだ。

「まあまあ、奈落さん。いいじゃないですか」

「何がだい」

「こうして委員会を頼った生徒が訪れてくれるだけでも、風紀委員冥利に尽きるってもんじゃないですか。生徒会ってそういうもんでしょう」

「あのね花崎くん。前にも言ったかもしれないけれど、風紀委員会なんてのは、全校生徒が常に校則にしたがって正しく生活していてくれれば本来必要のないものなんだ。生徒自治の名を借りた、ただの相互監視機関だよ」

「先輩、でも結局うちの学園は生徒がみんなおとなしくて問題なんてそうそう起きないから風紀委員会も暇ですねって話、さっきまでしてたじゃないですか」

「……ふん」

 仏頂面の見本として国語辞典に載りそうなこの女生徒、奈落という素っ頓狂な名前もまったくの本名だというから笑うに笑えないが、それ以外は線の細い普通の高校生だ。

 生徒会役員であり風紀委員長、僕の直属の先輩にあたる。

 ませた子どものようなすまし顔には大きな切れ長の瞳。

 腰まで届く黒髪とヴァニラアイスのように白い肌のコントラストはどこかのお嬢さまのような楚々とした印象を与えてくれるが、ちなみに人使いは冬のベーリング海よりも荒い。

「じゃあ話を整理するけれど」

 僕の方を意味ありげにちらりと見やると、深々と嘆息して奈落は訪客へ向き直った。

 生徒会室の真ん中に据えられたセコハンの来客用ソファに、居心地悪そうに収まっているのはひょろっとした黒縁メガネの男子生徒で、学園祭実行委員と刺繍されているくたびれた腕章を巻いていた。

 福居さんといい、実行委員会の中では主に出展団体の折衝や予算繰りを任されているらしく、気難しそうな見た目通り仕事も堅くこなすタイプなのだろう。

 僕よりも一つ上、奈落と同学年の高等部普通科二年生だそうだ。

「ええと、IT部とゲーム研究会? はそれぞれ学園祭の出展物としてオリジナルのPC用パズルゲームを制作したけれど、完成してから互いに互いの作品の類似性に気がつき、実行委員会に盗作の被害を申し出た、と」

「簡単に言うと、そんなところだ」

 彼女の問いかけに福居さんは僕の淹れたブラックコーヒーを一口含んで、鼻を鳴らしどこか他人事のように答えた。

 今回の問題を持ち込んできたのは彼だが、その福居さんにしてもどうやら面倒ごとを押し付けられた立場のようである。

 他方、奈落はいかにも興味なさそうに、何杯目かもわからないマグカップを呷りつつメモを取るふりをしながらルーズリーフに落書きをしており、僕はこの部屋に流れるおそろしく非建設的な澱んだ空気に目眩をおぼえて、奈落の隣に控えめに腰を下ろした。

「それは大変じゃないか。こんなところで油を売っていないで業務に戻ったらどうかな。学園祭まであと半月そこそこだろう、実行委員は一番忙しい時期じゃないのかい?」

「サボるならもっと陽当たりの良くて空気のおいしいところに行くさ。依頼だ、仕事を頼みに来た。両部の諍いをどうにか丸く収めて欲しい」

 福居さんは中指でメガネの鼻の部分をくいっと持ち上げ、じっとこちらを見つめた。奈落の微妙な形相も、おそらくは僕と同じ疑問によるものだろう。

「福居さん、お話はわかりましたが、でも学園祭関係のトラブルは風紀委員会ではなく実行委員会の範疇ではないですか? 門外漢の僕らがあまり口を出しても良いようにはならないと思いますけど……」

「ごもっともだが、――まあとりあえず、現物を見てもらう方が話が早いだろう。姫宮、パソコン借りるぞ」

「ああこら、ひと様のパソコンにあんまり余計なものを入れないでもらえるかな」

 奈落の制止を聞き流して立ち上がり、福居さんはブレザーのポケットから二枚のCD-ROMを取り出した。

 窓側の机の上に半ば放置状態で置かれている旧式のノートパソコンを起動させそれらを挿入、慣れた手つきでインストールしていく。

「このパソコン、普段使ってないのか?」

「たまに花崎くんがマインスイーパとソリティアをやっているよ」

「それは使っているとは言わん」

 大柄な福居さんの背中越しに、奈落は口をカモノハシみたいにしながら訝しげに画面を見つめている。

 生徒会室の備品として腐らせてきて久しいこのパソコンが初めて有為に使われる瞬間だ。

「ちなみに福居くん、IT部とゲーム研究会っていうのは具体的に何をしている部活動なんだい?」

「俺に訊かないでくれよ。そういうのは生徒会の管轄だろ?」

「それはそうなんだけれどね。ただでさえ文化系のクラブは林立状態なんだ、部やら同好会やら、数が多すぎていちいち覚えていられないよ。まあ学園祭の出し物に盗作を疑われるくらい似たようなゲームを作って売ろうとしているのだから、きっと同じような部なのだろうけど」

「そういえば、聞いた話じゃ四年前まで本当に同じ部だったらしいぞ。なんでも活動方針で揉めて綺麗に二つに分裂したとかなんとか」

 初耳だ。なんだそりゃ。

「パソコンいじりに活動方針も何もあるのかい、基本がソロプレイじゃないか」

 奈落も奈落でさりげなく失礼なことを言う。

「俺も詳しくは知らないけどな。当時の顧問も必死に取りなそうとしたらしいんだが、分裂時のいざこざを引きずっていまでも不仲なんだと」

「……結局ただの内ゲバじゃないですか」

「そうかもな」

 うっかり思ったことをそのまま口にしてしまった僕に、分厚いレンズの向こう側の目を細めて福居さんはにやりと笑った。

 この人の無表情以外の顔を初めて見た気がする。

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