第18話 美男役者と通り雨
旅も三日目。
人助けならぬ猫助けに協力した村を出てまた山小屋泊し、夜が明けて歩いてもう昼下がり。
俺達は夕立にあっていた。
強い雨足にしぶく地面を、雨宿りできそうな場所を探してひた走る。
これが歩き旅の醍醐味か。
水も滴る色男とはよく言うけど、もう足元がぐしゃぐしゃだ。勘弁してほしいよな。
俺の先を走っていた時地が崖の端に開けた洞窟のような穴を見つけて飛び込む。
俺もそれに続いた。
穴の中は浅く、人間二人が間をあけて入るのにちょうどのサイズだった。
まあ雨をしのげれば何でもいい。
俺と時地はしばらく二人、激しい雨を眺めて立ち尽くす。
深い緑の森が、滝のように降る雨粒になぎ倒されていった。
俺は管笠からはみ出ていたためビッショビショになっている着物の袖を思いっきりしぼる。
これまで二晩山小屋に泊まっているが、そろそろ宿屋の風呂が恋しいな。
そしてそんなことを考えながら服を絞るのに忙しい俺の横で、時地はただ雨を眺めて突っ立っていた。
これだけ考えてることが顔に出ない人も珍しい。落ちていく雨粒を見つめる顔が真顔過ぎる。
え? 何考えてんだろう?
俺と二人っきりで雨宿りなのに、となりに水も滴る色男がいるというのに、一体何が不満なんだ。
もしかして俺とこんな狭いとこで雨宿りするの嫌だった? 確かに、別について来いとも言われてないのに俺も同じ穴に飛び込んじゃったけど。
あれ? 気まずい?
もしかして俺追い詰められてる?
「何? 人の顔をじろじろ見て」
「うわあ、びっくりした!」
雨を眺めたままの時地に突然話し掛けられて、俺は思わず洞窟の端まで後ずさりしてしまった。
……何だ、横目で俺の挙動も観察してたのか。恥ずかしいな。
「べ、別に……何考えてんだろうなって思って」
「ほほう。花海くんはボクが考えてることを知りたいと」
「深い意味はないさ。ただ俺は君と仲良くやっていきたいだけだ。……俺のこと嫌いか?」
「…………う」
「やめて、うんって言わないで」
「何で? 嫌いかどうか聞いたじゃん?」
「否定されると思ってるから聞くんだよ! うんって言われるとは思ってないから! てか何を言わせてくれてんだ」
「いいけど。否定したらいくらもらえるんだよ」
「がめつい! 心が汚れきっている!」
くそ、雨宿りして傷付いたわ。
でもまあ、こういう歯に衣着せない物言いが時地のいいとこでもあるよな。
慣れてくるとかわいいもんだ。
あれ? もしかして俺何かに目覚めかけてる?
自分の額に手を当てていた俺はその手を下ろしかけて、ふっと時地の着物の袖に目がいった。
「あ、ちょっと待った、時地」
「?」
「袖が破けてる」
山賊との戦いで引っ掛けたのか、少女剣士の白い着物の袖にはかぎ裂きができて、そこから糸が垂れ下がっていた。
時地は何でもないことのように、自分の袖を持ち上げてみせる。
「ああ、ホントだ」
「ちょっと待ってな」
俺は自分の荷物の中から縫い針と糸を取り出すと、少女剣士の袖をとった。
そのまま穴の開いた箇所を繕い始める。
手にとった時地の着物は決して上等な物ではなく、何代も着古されたような褪せた木綿だった。
下衆な勘定だが用心棒って以外と稼げないのか? 時地くらいの腕ならがっぽりもらってそうなもんだけどな。
そんな心の声は胸の内にしまって黙々と手を動かす俺を、当の時地は不思議そうに眺めている。
「器用だね、ママ海くん」
「どさくさに紛れて俺に母性を感じるんじゃねえよ」
「感心してるだけだよ。
「まあ、俺にも下っ端の頃というのはあってだな」
今でこそ俺は有名イケメン役者だが、芝居小屋に拾われた頃は役者の身の回りの世話は何でもやったもんだ。
使い走りはもちろん、掃除に洗濯、飯炊きに風呂番。それから……まあ、色々だ。
要は、今日の蝶は結構苦労して生まれたってことだ。
忘れたいこと、思い出したくないこと。それを積み重ねて。
……そうだな、普通の女と一緒ならきっとこの沈黙の間に詮索された。
役者としてのキャリア、過去に付き合った恋人、生まれや育ちや、色んなことをきっと根掘り葉掘り。
何も聞かず黙っていてくれるのは時地さんくらいだ。
まあ護衛対象にいちいち興味を抱いていたら仕事にならないか。
俺と彼女はあくまで雇い主と用心棒なのだから。あれ? 俺今寂しい?
それでもこの人には、あんまり聞いてほしくないかも知れない。俺の過去なんて。
そんなことを考えながら着物を繕う俺の手を、時地はじっと見つめていた。な、なんだか照れるな。
「上手いもんだね」
しかし自分の着物が縫い合わされていく様を熱心に見つめる彼女は、やっぱり子どもだ。
無邪気だからこそ、時地は俺を一人にしてくれる。
ちくちくと、しばらく雨音しか聞こえない時間が過ぎた。
そして縫い終えて糸を切る頃には雨も弱まり、雲の間に光が射し始めていた。
顔を上げればしぶいていた木々も地面も太陽の下、浴びた水滴をキラキラ光らせている。
糸を抜いた針を置いて、俺は誰にともなくつぶやいた。
「雨、上がったな。やっぱり通り雨だったか」
「ありがとう」
「え……?」
耳慣れない彼女の言葉に、俺がしばらく目をしばたいたのは事実だ。
時地はそんな俺を置いてさっさと雨上がりの森へ踏み出していく。
「ああ、ちょっと、待ってくれよ!」
慌てて荷物をまとめる俺の鼓動は、まだ少し高く鳴っていた。
お、おかしいな。ただ礼を言われただけでこんな……。
白い着物の袖はひらひらと、いつものように雇い主を置いて先に行くのに。
そういえば時地の着物、もう乾いてたな。
俺と違って笠もかぶってないし、もっと濡れててもおかしくないはずなんだが。
まあいいや、速乾性の着物か何かなのかな。
「ちょっと、本気で待ってくれない!?」
しかし雨上がりのぬかるみに足をとられる俺は、用心棒の背を追いかけるのに必死で考え事など吹っ飛ぶのだった。
だって本気で俺を置いていくんだもん、あの人。振り返らないんだもん。
やっぱり俺達はこうなんだな……。
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