「もどってくるん?」

「ここにはお墓があるからね。」

「そっかぁ、いつ?いつまたくるん?」


女の子がまっすぐな目で僕を見上げていた。


そこから先は、岬に吹き上げていた潮風のことしか憶えていない。


       ★


緩やかな坂を下って行くと小さな墓地のある岬の突端にでる。いつだったかここで小さな女の子に尋ねられた「いつ、またくるん?」。僕は嘘が怖くて、花立にあるコスモスの前で目を閉じて手を合わせ、海風に心を紛らわせた。あの子はまだこの町にいるだろうか。僕のことはもう忘れているでしょうね。


       ★


僕はこの場所を忘れていたのです。もっと島の先の方だと思っていたのですが、行きがかりの風景が記憶を呼び起こしました。「帰りは寄りたい所があるのでバスにします。」僕が案内の男性に言うと、彼は無言で頷きました。その頷き方があなたの癖に良くているように思え、聞こえない位の小さな声で、僕は「ごめんなさい」と言いました。あなたはには確か歳の離れた小さな弟さんがいましたね。あまりに小さかったので顔を思い出せません。丁度、案内をしてくれた男性と同じくらいの年齢でしょうか。そして僕は長く緩い坂を一人下って行ったのです。一度だけ振り返ると、僕の背中を見送る彼がいました。


       ★


もう三十年も経ったのですね。不思議なものです。この島の景色をほとんど覚えていない僕が言うのも変ですが、あなたが迎えてくれた時のままの様です。さっき、岬へと吹き上げる風の中で、あなたの声を聞いた気がしました。

「食事にしましょう、帰りますよ。長く潮風に吹かれているのは体に良くないから。」

あっと言う間の年月でした。


       ★


それが事故であったのか、自殺であったのかは、僕には判りません。あなたが最後まで握りしめていた本が何を意味していたのかも。もしかしたらあなたは落としてしまった本を取ろうとして足を踏み外したのかも知れません。あれからここには柵が作られました。あなたは「景観を壊しますね」と、笑うでしょうか。


         ★


明日には此処を立ちます。次の仕事が待っているから。あなたが姿を変え崖壁に打ち寄せています。何度も何度も。あなたはずっとあの頃の儘で、僕はこんなにも年老いてしまいました。笑わないで下さいね。それが僕とあなたを隔てた歳月なのです。僕もそちらに行きますから、もう少しだけ待っていて下さい。

 

         ★


今から機上の人になります。墜落すれば抵抗も何もあったものではないけれど、無事なら夕方には東京です。一日半の過去との邂逅。「有難う」と「さようなら」を。また、いつかここへ来ます。今度は、あなたのために。

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