六曲目『思い出したくない記憶』
トントントン、とリズムよく玉ねぎに似た野菜をみじん切りにする。
それから台所に置いてある、魔力を動力にしている冷蔵庫を開け、そこからモンスターの挽き肉と卵を取り出した。
ボウルに挽き肉と卵、みじん切りにした野菜と小麦粉を入れ、手で力強く捏ねる。
「……あら? 何を作ってるのかしら?」
すると、研究がひと段落したのか魔女は料理をしている俺を見て首を傾げながら覗き込んできた。
__ハンバーグだよ。
捏ねる作業を続けながら今作っている料理の名前を教えると、魔女は訝しげに眉を潜める。
「はんばーぐ? 初めて聞く料理ね。見たところ肉料理のようだけど」
__あぁ、そうか。この世界ではハンバーグはなかったな。
「つまり、坊やの世界の料理ね。美味しいのかしら?」
__まぁ、それは食べてからのお楽しみだ。
捏ねるのをやめて、次はちょうどいいサイズに混ぜ合わせた挽き肉を手に取り、空気を含ませるように叩いて成型する。
綺麗に楕円形にしてから、魔力を動力にしているコンロのスイッチを入れた。
魔力を通したことでコンロの中に入っている鉱石から一気に炎が立ち上がり、中火ぐらいに調整してからフライパンを置く。
熱したフライパンに油を引いて、成型した二つの挽き肉を並べた。
ジュウ、と肉が焼ける音と立ち込める匂いに魔女はうっとりとした表情で笑みを浮かべる。
「いい匂いね……坊やの手際もいいし、これは期待出来そう」
__出来るまでまだ時間かかるから、それまで待っててくれ。
「分かったわ」
魔女は子供のようにウキウキとしながら、リビングの椅子に腰掛ける。焼き加減を見ていると、背中に視線を感じた。
チラッと振り返ると、魔女は料理をしている俺の背中を頬杖しながら見つめている。
あんまり見られてると気になるんだよなぁ、と思っていると思考を読み取った魔女はクスクスと笑みをこぼした。
「私のことは気にしないで。誰かが料理をしている姿を見るのが久しぶりなのよ」
__長いこと使われてなかったみたいだけど、誰かここで料理をしていたのか?
料理を始める前。台所は誰も手をつけてないように綺麗なままだった。
思わず気になっていると、魔女は懐かしそうに頬を緩める。
「アスカよ。あの子、魔法を教えて貰う代価として私に料理を振る舞ってくれたわ。この世界にはない、珍しい料理ばかりだったわね」
そうか、そういえばアスカ・イチジョウは魔女の弟子__教え子だったな。その時に料理をして貰ってたのか。
この世界の住人にとって、俺たちの世界の料理は……まぁ、似たような料理もあるけど、大体は珍しいだろう。
話を聞いて納得しながらハンバーグをひっくり返して片面を焼いていると、魔女は小さく笑った。
「でも、アスカよりも坊やの手際の方がいいわね。慣れてるのかしら?」
__まぁ、それなりに。旅をしていた時もよく作ってたしな。
この異世界を旅している最中、料理当番は俺かウォレスだった。
やよい、真紅郎はあまり料理をしたことがなく、サクヤは料理自体したことがない。だから、料理が出来る俺とウォレスが交代で料理当番をしていた。
俺もそれなりに出来ると自負してたけど、ウォレスの方が上手いんだよな……さすがは大家族の長男。
__あんたは料理しないのか? こんなに食材があるのに、ほとんど手付かずだったぞ?
「たまーに、気が向いた時だけね。面倒だからいつもは今日の昼に出したあれを食べてるわ」
あれ、とはただ苦いだけで味を度外視している茶色い塊のことか。栄養はあるんだろうけど、ずっとあれだけは勘弁して欲しいな。
すると、俺の思考を読み取った魔女が頬を膨らませてプイッとそっぽを向く。
「いいでしょ、別に。栄養さえあれば味なんてどうでもいいのよ。それに、あれはあれで味わい深くて気に入ってるわ」
__まぁ、別にいいけどさ。少なくとも俺がいる間はちゃんとした料理を食べて貰うから、そのつもりで。
「当然ね。それが坊やがここで暮らすための代価なんだから。それにしても……本当、いい拾い物をしたわね。面倒な家事全部をしてくれるから、助かるわ」
拾い物って……せめて人扱いして欲しいんだけど。
文句を言っても仕方ないと諦め、焼き終えたハンバーグを皿に乗せる。
「坊やは誰に料理を習ったのかしら?」
__バイト……仕事で料理をしてたんだよ。そこで色々教え込まれた。
魔女の問いに答えながら、ハンバーグにあらかじめ作って置いたソースをかける。
あとは付け合わせだな、と野菜に向かって手を__。
「仕事?
伸ばそうとして、ピタリと動きを止める。
時が止まったように動きを止めた俺に、魔女は特に気にした様子もなく話を続けた。
「一般的に料理は母親に教えて貰うものだと思っていたわ。アスカもそうだったし。まぁ、人それぞれってことかしらね」
魔女が何か言っているけど、頭に入ってこない。
母親。その単語を聞いた時から、俺の心臓がバクバクとうるさく感じる。
頭の中でノイズが走る。
砂嵐の中、目元が影で隠れて顔が分からない女性が、俺に向かって怒鳴っている。
感情的に女性は何かを叫んでいるけど、その言葉全てが雑音にしか聞こえない。
でも……ただ、一言。その言葉だけが、今もずっと心に残っている。
__あいつそっくりなその顔が! その目が気に入らないわ! どうしてあんたは、いつもそうなの!? あんたなんて……ッ!
「……坊や? どうかしたの?」
魔女の声で我に返った。
いつの間にか額に脂汗が滲み、心臓の鼓動が激しくなり、息が荒くなっているのに気付く。
俺は頭に過った光景を__
__別に、なんでもない。それより、出来上がったから運ぶぞ。
「あら、もう出来たの? 早く運んでちょうだい」
まるで女王様だな、と苦笑いしながらハンバーグを乗せた皿をテーブルに運んだ。
魔女は初めて見るハンバーグをキラキラとした目で見つめ、嬉しそうに頬をほころばせた。
「食べなくても美味しいのが分かるわ! はんばーぐ、だったわね……覚えておくわ」
__冷めない内にどうぞ。
「……でもその前に。坊や、顔を洗ってきなさい」
俺も席に着こうとすると、魔女がジッと見つめながら言い放ってくる。
どうして、と思っていると魔女はため息を漏らした。
「鏡がないから分からないでしょうけど……今の坊やの顔、
魔女の言葉にまた動きが止まる。魔女がわざわざ言うってことは、今の俺の顔はよほど酷いんだろう。
すると、魔女は真剣な表情で俺を見つめながら、口を開く。
「坊やにとって、母親のことはあまり思い出したくない記憶だったようね」
__それは……。
「言ったでしょう? 私は坊やの考えていることが手に取るように分かるの。坊やの奥底に眠っていた記憶の欠片も、ね」
世間話のつもりで魔女が口に出した母親という単語がトリガーとなり、俺の思い出したくない記憶が蘇ってしまった。それが魔女にも伝わったらしい。
グッと息を呑んで俯いていると、魔女は優しく頬を緩ませた。
「今は聞かないわ。いいから早く顔を洗ってきなさい。そうしたら、このはんばーぐを食べましょう?」
__分かった。ちょっと、待っててくれ。
魔女なりの優しさなんだろう。深くは聞かないでいてくれることに感謝しつつ、リビングを出て洗面台に向かう。
鏡を見てみるとたしかに、酷い顔をしていた。
目は虚げで、青白くなった表情は死人のよう。脂汗で前髪が垂れ下がり、目元を隠している。
__昔の俺みたいだな。
その姿を見て、思わず自嘲するように鼻を鳴らす。
今の俺を幼くし、赤く染めた髪を黒にして、前髪をもっと長くすれば……昔の俺の出来上がりだ。
水を貯めていた桶でパシャパシャと顔を洗い、また鏡を見つめる。
記憶の奥深くに仕舞い込み、二度と思い出さないように蓋をしていた、今もなお心にへばりつい離れない__母親からの言葉。
__あんたなんて……産まれてこなければよかった!
心臓が、痛い。胸元を握りしめ、歯を食いしばる。
ゆっくりと深呼吸して気持ちを落ち着かせてから、濡れた頬をパチンと叩いた。
__魔女が待ってるし、早く行かないとな。
どうにか気持ちを切り替え、俺はリビングに戻っていった。
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