五曲目『本物の想い』

 抵抗することを諦め、魔女に連れられて森の中を進む。

 俺の頭の上に乗っかったキュウちゃんは、俺の憂鬱な気持ちとは裏腹に楽しげに尻尾を揺らしていた。

 森を歩いていると徐々に威圧するような雰囲気が感じる。それは多分、あの時出会ったクリムフォーレルが醸し出しているものだろう。

 また襲われたらどうしよう。不安な気持ちから指輪状態にしている魔装を撫でると、前を歩いていた魔女がいきなり振り返ってきた。


「坊や。その魔装をよこしなさい」


 __え? なんで?


「お世話をするのに武器なんて必要ないわ。ほら、早くしなさい」


 そう言って魔女は俺の魔装を取り上げる。武器を失った俺は、この身一つでクリムフォーレルという危険なモンスターの前に行かないといけなくなった。

 すると、魔女は立ち止まり、俺に向かってニヤリと笑う。


「この先にいるわ。ほら、坊やが先に行きなさい」


 魔女に言われ、前を歩く。

 そこは、四方を森に囲まれた円形に開けた場所だ。


 そして__その中央には俺を襲ってきたクリムフォーレルが丸まって眠っていた。


「……グルルル」


 すると、俺の気配を感じたのか眠っていたクリムフォーレルが静かに瞼を開く。細い縦長の瞳孔で俺を睨むと、クリムフォーレルはゆっくりと起き上がった。

 傷だらけの紅い甲殻、丸太のように太い尻尾。バサリとボロボロの翼膜の大きな両翼を広げる。

 それからクリムフォーレルは俺を威嚇するように、牙をむき出しにしてうなり声を上げていた。

 ギョロリと睨んでくるクリムフォーレルに思わず後ずさると、魔女に背中を押される。


「ほら、行きなさい」


 __いや、でも……。


「大丈夫、この子は大人しいから」


 魔女は軽い足取りで近づくと、クリムフォーレルは頭を下げた。

 そのまま魔女は優しく頭を撫でると、クリムフォーレルは落ち着いた表情で目を閉じ、丸まり始める。


「ほら、大丈夫でしょう? 坊やもこっちにいらっしゃい」


 __わ、分かった。


 恐る恐る近づくと、クリムフォーレルは丸まったまま片目を開き、すぐに興味がなさそうに目を閉じた。

 手が触れられる距離まで来ても、襲ってくる気配はない。

 ホッと一安心していると、魔女はクリムフォーレルを撫でながら微笑んだ。


「この子は長く生きているクリムフォーレルなのよ。傷つき、死にそうになっているところを私が保護しているわ」


 甲殻に痛ましく刻まれた傷跡を指で触れながら、魔女は語る。

 このクリムフォーレルは他の同個体よりも長く生きているらしい。年老いたクリムフォーレルを見つけた魔女は、ここで保護することにしたようだ。

 ジッとクリムフォーレルを見つめていると、魔女は笑みを浮かべながら言い放つ。


「という訳で、坊やにはこの子の面倒を見て貰うわ。これから毎日、この子のお世話をしなさい」


 __え? ま、毎日?


「えぇ、そうよ。毎日、朝昼晩、しっかりとね」


 マジか、と愕然とする。

 今でこそ襲ってこないけど、これは魔女がいるからだろう。もしも俺一人だったら、襲われるかもしれない。

 不安に思っていると、魔女は関係ないとばかりに続ける。


「襲われないよう、ちゃんと愛を持って接すればこの子も分かってくれるわ。ほら、撫でてみなさい」


 そう言われ、仕方なくおずおずと手を伸ばした。

 すると、クリムフォーレルは俺の手が触れる直前で動き出し、尻尾で俺の体を薙ぎ払う。

 直撃した俺は軽々と宙を舞い、背中から落下した。


 __ぐえぇ……。


「あらあら、嫌われてるわね。ま、そういうことだから、頑張ってね。それじゃあ、ご飯にしましょう」


 俺が攻撃されるのを事前に察していたのか、いつの間にか俺の頭から逃げていたキュウちゃんを腕に抱きしめた魔女は、俺を心配する素振りも見せずに家へと戻っていく。

 地面に倒れたまま俺は、ため息を漏らした。


 __やっていける気がしないなぁ……。


 痛む腹部を抑えながら、魔女を追って歩き出す。

 ふとクリムフォーレルを見ると、俺をジッと睨みながら喉を鳴らしていた。

 完全に嫌われてるな、とこれからのことを思うと憂鬱になる。


 __でも、やるしかないか。


 今の俺に拒否権はない。諦めて魔女を追った。

 それから家に戻った俺はリビングの椅子に座る。今日は魔女がご飯を用意してくれるらしい。

 どんな料理が出来るのか期待少し、不安大半で待っていると、魔女がテーブルに料理を運んできた。


「はい、どうぞ。次からは坊やがやるのよ?」


 __え、何、これ……?


 出された料理は、何かを潰して混ぜ合わせ、無理やり固形化したような、茶色の四角い塊だった。

 なんだこれは、と魔女を見ると魔女はその塊を口に運ぶ。


「あら? 食べないの?」


 __いやいや、これ何? 食えるの?


「当たり前でしょう? これは私が作った、栄養満点の食べ物。あらゆる食材や薬草を混ぜ合わせ、一口で食べれる気軽さを追求させた、至高の一品よ。ほら、遠慮なくお食べなさい?」


 これは料理じゃない。間違いなく、料理とは言えない。

 料理としての楽しみを排除し、栄養と効率を重視して作り上げられた、ただ食べるだけの物体だ。

 たしかに栄養はあるだろう。片手で食べられる気軽さも理解出来る。


 だけど、もう一度言おう。これは、料理じゃない。


 __い、いただきます……。


 一口食べてみると、苦味が口の中に広がっていった。

 甘味も辛味も、酸味もない。味の深みのなければ、旨味もない。ただただ苦い。

 うげ、と吐き気を催していると、魔女は心外だと言わんばかりに肩を竦めた。


「失礼ね。そんなにまずいかしら?」


 __まずい、というより苦い。苦味しかない。


「そう? 慣れれば味わい深いわよ?」


 まさか味すらも度外視しているとは。これは、自分のためにも料理を頑張らないといけないな。

 決意した俺は、茶色の塊をどうにか食べ終える。口の中に残った苦味を水で押し流していると、魔女は「さて」と立ち上がった。


「私は今からお仕事するから、坊やは適当に過ごしてなさい」


 __仕事?


「えぇ、仕事。と言っても、趣味みたいなものだけどね」


 魔女がする仕事ってなんだろう?

 首を傾げていると魔女は自慢げに豊満な胸を張りながら、答えた。


「私がしているのは、魔法の研究よ。ありとあらゆる魔法を研究し、新たな技術や可能性を模索しているの。魔法は奥が深いわよ?」


 __魔法の研究……。


「私はこれを<魔導>と呼んでいるわ。魔法は戦闘に使うもの……そんな考えは古い。魔法は、可能性に満ち溢れた学問・・。その全てを解き明かすのが、私の仕事であり__使命よ」


 まるで子供のように無邪気に楽しそうに話す魔女。こんな辺境で魔女は一人、魔法の研究……魔導を極めようとしているのか。

 知識欲求の塊みたいな魔女にとって、魔法は最高の研究テーマなんだろうな。

 納得していると、魔女は部屋に戻る前に口を開いた。


「私が研究している間、坊やにはあることを命じるわ」


 __あること?


「そう__坊やがこの先どうするのか・・・・・・。それを考える時間を与えるわ」


 魔女の一言に、心臓が跳ねる。

 まるでカサブタを剥がされたように、心臓に痛みが走った。


 これからどうするのか。どうしたいのか。魔女が俺に命じたのは__答えを出すこと。


 その答え次第で俺は、魔女に殺される。それが、俺がこの家に過ごすことを許す代わりに提示された、魔女に払う代価だ。

 

「期間はそうね……一週間。その間に、答えを出して貰うわ。前に話したけど、私の琴線に触れないようなら、私が直々に優しく殺す。答えが出なくても、同じよ」


 そして、魔女は期間を一週間と決め、それまでに答えが出せないといけなくなった。

 だけど、俺にはどんな答えを出せばいいのか__どうしたいのかなんて、分からない。


 このまま人の真似事をする人形のまま生きるのか、それとも死ぬのか。

 

「んじゃ、頑張りなさい」


 悩み苦しむ俺を無視して、魔女は部屋へと戻っていった。

 残された俺は天井を見上げる。


 __頑張れって言われても、どうしたらいいのか分かんねぇよ。


 今の俺に、やりたいことなんてない。

 戦う気力もなく、大好きだった音楽への情熱も失われ、ただ漫然と生きることしか出来ない。

 そんな俺に生きる価値があるのかすら、分からなかった。

 そもそも、俺は自分の命にすら価値を見出していない。誰かを救う、助けることこそが、自分の価値だと思ってるぐらいだ。


 __偽善者。偽物。本当の俺なんて、この程度だ。


 自嘲するように、呟く。

 自分で何かを生み出すことも、作り出すことも出来ない真似事ばかりの人生。

 音楽も、正義感も__誰かの真似をしているだけだ。


「きゅきゅ!」


 沼にハマるように思考が深みに飲み込まれていくと、キュウちゃんがペチペチと俺の足を叩いてきた。

 怒ったように鳴いたキュウちゃんは小さな前足で部屋の扉を指し示してくる。


 __どうしたんだ、キュウちゃん?


 声にならない声で話しかけると、キュウちゃんは急かすようにピョンピョンと跳ねた。

 どこかに行きたいのか? そう思って扉を開くと、キュウちゃんは俺の足を噛んで引っ張ってくる。

 

 __俺も来いって?


 キュウちゃんは何度も頷くと、扉の向こうへと走って行った。どうしたのか疑問に思いつつ、キュウちゃんを追っていく。

 

「きゅきゅきゅ!」


 そのままキュウちゃんは外に出て、俺を呼び続けた。

 どこかに導くように走るキュウちゃんを追っていくと、向かった先は森の奥__クリムフォーレルがいる開けた場所だった。


 __お、おいキュウちゃん!? まさか、あいつのところに行くのか!?


 声に出てないのにキュウちゃんは肯定するように頷く。

 俺一人であのクリムフォーレルのところに行くのは、正直怖いんだけど。

 だけど、キュウちゃんは俺の不安を無視してどんどん先に進んでいく。


 __あぁ、もう! 分かったよ!


 強引なキュウちゃんに俺は頭をガシガシと掻いてから走り出した。

 そして、開けた場所にたどり着くとクリムフォーレルは中央で丸まっている。


「グルルル……」


 すぐに俺の気配を察すると、クリムフォーレルは近づくなと言わんばかりにうなり声を上げて睨んできた。

 俺を嫌ってるクリムフォーレルは、近づけば即座に攻撃してくるだろう。

 どうしたらいいのか、と悩んでいるとキュウちゃんはテクテクとクリムフォーレルに近づいていく。


 __お、おいキュウちゃん! 危ないって!?


 俺の警告を振り切り、キュウちゃんはクリムフォーレルの目の前まで歩いて行った。

 そして、クリムフォーレルを見上げるとピョンと跳ねながら鳴き始める。


「きゅ! きゅきゅ! きゅー?」

「……グルルル」


 キュウちゃんはクリムフォーレルと何か話していた。すると、クリムフォーレルは首を横に振ると、ジッと俺を見つめてくる。

 その視線からは、敵意を感じなかった。


「きゅきゅ!」


 __来い……って言ってるのか?


 言葉は通じないけど、そう言ってる気がした。

 俺は恐る恐る近づいていくと、クリムフォーレルはずっと俺を見つめたまま__襲ってくる気配はない。

 そして、クリムフォーレルの前までたどり着くと、キュウちゃんが俺の体をよじ登って頭の上に乗っかった。


「きゅきゅー!」


 キュウちゃんは前足を伸ばし、クリムフォーレルに向ける。それから俺の頭をペチペチと叩いてきた。

 触れ、って言ってる気がする。でも、いいのか?

 悩んでいると、クリムフォーレルはため息のように短く息を吐くと、ゆっくりと顔を近づけてきた。


 __さ、触るぞ?


「グル……」


 一言告げると、クリムフォーレルは早くしろと言いたげに鼻を鳴らす。

 ゴクリと喉を鳴らしてから手を伸ばし、優しくクリムフォーレルの頭に乗せた。

 それから少しずつ撫でていくと、クリムフォーレルは目を閉じたまま顎を地面に着ける。

 多分、キュウちゃんが説得してくれたんだろう。これなら襲われる心配はなさそうだ。


 __ありがとうな。


 堅くなっていた頬を緩ませて声にならない声でお礼を言うと、クリムフォーレルはフンッと鼻を鳴らして返した。

 ふと、クリムフォーレルの甲殻に刻まれた傷跡に目が止まる。


 __お前はずっと、戦ってきたんだよな。


 深く、いくつもの傷から、このクリムフォーレルが長年戦ってきたことが伝わってきた。

 魔女の話では、かなり年老いているらしい。改めて見てみると、かなり弱っているのが感じ取れた。


 __お前、もしかして……もう、長くないのか?


 心で思ったことが思わず口から出た。

 長い年月を生き抜き、幾多もの戦いをくぐり抜けた歴戦の覇者。だけど、歳には勝てずに誰も近寄らないこの森で、最期の時を過ごしている。

 刻一刻と命の灯火が消えかかっているクリムフォーレルを見て、俺は力が抜けた。


 __それに比べて俺は……。


 脱力した俺は、膝を着く。

 二十代の俺は、寿命なんて考えたこともない。体は健康そのもので、老いも感じてない。


 だけど、心は__生きることを放棄していた。


 このクリムフォーレルには及ばなくても、俺だって色んな戦いを経験している。死にそうになったことだってある。

 その度に諦めず、頑張って生き抜いてきた。仲間と共に、絶対に元の世界に戻ろうと努力してきた。


 でも__今の俺はどうだ?


 偽りの仮面を剥がされ、弱く情けない自分を引きずり出され、戦う気概も音楽への情熱も失われ、自分の命なんて無価値だと思いながら、生きることを諦めている。


 こんな俺に比べて、こいつはどうだ?


 長い年月の果てに、寿命を迎えるその時まで生きているクリムフォーレル。そこに生きることへの諦めを感じなかった。


 __お前はまだ、やりたいことがあるのか?


 何か心残りがなければ、クリムフォーレルはとっくに死んでいるだろう。

 だけど、今もなお生きているということは__何か、やりたいことが残っているからなのかもしれない。俺は、そう感じた。

 誰か会いたい相手がいるのか? 食べたい物でもあるのか? 何をやり残しているんだ?


 __なぁ、教えてくれよ。お前は、何をしたい? 何をやりたい?


 本能が囁く。そこに答えが__俺の求めている答えが、ある気がした。

 クリムフォーレルの目を見ながら問いかけると、クリムフォーレルはゆっくりと長い首をもたげて空を見上げる。

 木々が開けたこの場所は、しっかりと空を見ることが出来た。そこに広がっているのは、青く透き通った空。

 クリムフォーレルはその空を見つめながら__何かに焦がれているように見える。


 __空を、飛びたいのか?


 ふと、俺はクリムフォーレルの両翼……ボロボロになった翼膜を見やった。痛々しいその翼では空を飛ぶことは出来ないだろう。

 だけど、クリムフォーレルは空をジッと見つめている。遠くを見つめ、何かを求めているかのような瞳に、俺は思わず笑みをこぼした。


 __そっか。凄いな、お前。


 年老いて、ボロボロで、命の灯火が消えかかってもなお__こいつは夢を追っている。

 またいつか空を飛びたいと、願っている。

 その想いは、感情は……誰かに与えられたような、真似しているようなものじゃない。

 

 自分の内から生み出された__本物・・だ。


 __羨ましいよ。


 俺も空を見上げ、遠い彼方を見つめる。

 このクリムフォーレルのような本物の想い__それこそが、俺が出すべき答え。

 それがどんなものなのかは分からない。だけど、俺はその答えを導き出さないといけない。


 理性でも本能でもない__魂が、答えを求めていた。


 それから俺はクリムフォーレルと長い時間過ごし、いつの間にか夕暮れ色に空が染まり始めている。

 答えは出ないまま、俺は家へと戻るのだった。

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