二十九曲目『哀哭のドラゴンの過去』
ある日、ドラゴンがいる洞窟に人間は戻ってきた。
人間の臭いに気づいたドラゴンは、喜びながら人間の元へと急ぐ。
しかし、そこにいた人間は足を引きずり、傷だらけで今にも死にそうになっていた。
「どうしたの!? どうしてそんな怪我をしているの!?」
驚いたドラゴンがそう尋ねると、人間は苦しそうにしながらどうにか笑みを浮かべて答える。
「私の■が全て虚言だと言われ、大嘘つきとして捕まり、今までずっと幽閉されていたんだ。この傷は拷問された時のもの……命からがら、どうにか逃げてきたんだ」
ドラゴンは愕然とした。
同じ人間、種族なのに、どうしてそんなに酷いことが出来るのだ、と。
そして、人間はとうとう地面に倒れる。血が広がり、人間の顔はどんどん青ざめていく。
ドラゴンは察した。人間の命が、もう尽きようとしていることを。
「どうして! どうして、ここに戻ってきたの!?」
死に体になりながら、それでも洞窟に戻ってきた人間にドラゴンは泣きながら聞いた。
すると、人間は儚げに笑いながら答えた。
「約束、したからさ。大事な友達との約束は、絶対に守らないといけないからね……」
その言葉に、ドラゴンは涙を流しながら頭をすり寄せる。
真っ白な身体に赤い血が付いても、気にせず翼を広げて人間を抱きしめた。
人間はドラゴンの頭を優しく撫でながら、静かに語り出した。
「世界は美しいだけじゃない。だけど……それでも、私は……」
そして、人間はドラゴンの頭を撫でるのをやめる。頭に乗っていた手がズルリと滑り、地面に落ちた。
人間は笑いながら、二度と動かなくなった。
それが「死」だと、ドラゴンは初めて知った。
もう二度と会えない。もう二度と美しい声が紡ぐ__あの
ドラゴンは動かなくなった人間を翼で包みながら、涙を流して天に向かって慟哭した。
「どうして! この人間は何も悪いことをしてないじゃないか! なのに、どうして……どうして、ボクの大事な友達を……仲間を……家族を……ッ!」
ドラゴンにとって人間は初めて出来た友達で、同じ境遇の仲間で、たった一人の家族だった。
その家族を奪われ、ドラゴンは初めて「悲しみ」を知った。
ドラゴンは泣き続ける。そして、訴える。姿もない、自分よりも大きな存在に対して、問い続ける。
だけど、その問いかけに誰も答えてはくれなかった。
「誰が、やった……?」
ドラゴンは呟いた。優しく、純粋なドラゴンが牙を剥き出しにしながら。
「ボクの家族を殺したのは、誰だ……?」
ドクン、と大きな鼓動が響き渡る。
「誰が殺した? 誰が奪った? 誰が……誰が!?」
ドラゴンは初めて「怒り」を知った。
小さなドラゴンの身体が、徐々に大きくなっていく。
人間の血で赤く染まった白い身体が、ジワジワと浸食されていくように黒く、ドス黒く染まっていく。
狭い洞窟いっぱいに大きくなったドラゴンは、静かに涙を流しながら動かなくなった人間を見つめた。
「そうか、分かった……誰が、奪ったのか……ッ!」
巨大な翼を広げると、洞窟が轟音を響かせながら弾け飛んだ。
風が吹き荒れ、空が暗雲に覆われ、稲光が走り、豪雨が降り注ぐ。
ドラゴンは紅く染まった瞳で空を見上げる。
「世界が……我が家族を、誇りを汚した。殺し、奪った……ならば我はその不条理を__世界の全てを討ち滅ぼそう」
血涙を流しながら、ドラゴンは咆哮する。
世界中に響く産声を上げ、ドラゴンは大きく羽ばたいた。
ドラゴンは初めて__「憎しみ」を知った。
優しかった小さなドラゴンはもういない。
今いるのは、世界の全てを滅ぼす__
それから数ヶ月後。
突如として現れた黒きドラゴンは世界に恐怖を与えた。
業火の炎を吐き、暴風を巻き起こし、豪雨を降らせ、雷を操り、地を砕いた。
あらゆる攻撃を通らぬ強固な外殻、空を覆うほどの巨大な双翼、一振りで街を薙ぎ払う長き尻尾。
眼は血のように紅く、憎悪に染まっていた。
美しい国をそのドラゴンは全てを灰にした。
平和に暮らしていた人間を、容赦なく蹂躙した。
耳をつんざくほどの雄叫びを上げ、全てを破壊して回るドラゴン。
その姿はまさに、生きた災害。
禍々しいその姿、圧倒的な力、無慈悲なまでなその所業。
故に、人は黒きドラゴンをこう呼んだ。
__災禍の竜、と。
天に轟くその叫びは、怒りと憎しみに染まっていた。
だけど、何故だろう。
その叫びが、
◇
遠くの方から鉄を叩く音が聞こえてくる。その音で意識が浮上していき、重い瞼を開けた。
「今、のは……」
カラカラに乾いた喉で呟く。
夢で見ていた、小さな白いドラゴンと一人の男の……別れの光景。
あれは夢なんかじゃない。間違いなく、誰かの記憶__災禍の竜の過去だ。
ふと気づくと、頬に雫が流れ落ちていた。災禍の竜……小さな白いドラゴン想いが、感情が痛いぐらいに伝わり、自然と涙を流していた。
「災禍の竜……だからお前は……」
災禍の竜が世界に牙を剥いた理由。それは、大切な人が理不尽に殺されたから。
ドラゴンは誇りを__絆を結んだ存在を何よりも大事にする種族。その誇りを傷つけられることが、ドラゴンにとって逆鱗に触れる行為。
だから災禍の竜は誇りのために、世界の全てを滅ぼそうとしたんだ。
それは決して許されることじゃない。どんな理由があっても、罪のない人たちが殺されていいはずがない。
だけど俺は__災禍の竜に同情していた。
俺だって大事な人……やよいたちが理不尽に殺されれば怒り狂うし、災禍の竜と同じように世界に対して牙を剥く可能性だってある。
でも、それはやよいたちが望まない。だから、もし俺が同じような立場になっても、踏み止まることが出来るだろう。
災禍の竜は踏み止まることが出来ず、どうしようもない悲しみや怒りを__世界にぶつける考えに至ってしまった。
心優しく、純粋無垢だったからこそ……災禍の竜は狂ってしまったんだ。
「お前は哀しいドラゴンだったんだな……災禍の竜」
哀しく、そして誰よりも優しいドラゴン。それが、災禍の竜の本来の姿。
災禍の竜が守ろうとしていた岩で出来たタワーは、夢で出てきた男のお墓だった。例えどれだけの年月が経とうとも、災禍の竜はお墓を__思い出を守りたかったんだ。
人とドラゴン。一人と一匹が過ごした大事な時間を、美しい思い出を、災禍の竜は一生、忘れることはなかった。
「あの人はきっと、吟遊詩人だったんだろうな」
男は歌いながら旅をしていたらしい。つまり、吟遊詩人だった。小さい頃の災禍の竜に歌を聴かせ、色んな国のことを教えていたんだろう。
ふと、その光景を幻視して、思わず頬が緩んだ。
「……って、あれ? ちょっと待てよ……」
不意に、俺はあることに気付いた。
__この異世界には、
なのに、どうして吟遊詩人がいる? 音楽どころか歌すらも、この異世界に住む人たちは知らないはずなのに。
「大昔には、歌が……音楽があったのか?」
今はないだけで、災禍の竜が小さい頃__大昔には音楽文化が存在していた?
そして、長い年月の果てに廃れ、なくなった?
いや、それはおかしい。音楽文化がなくなることなんてありえない。それこそ俺たちの世界では何万年も前から音楽……音を奏でる文化があったはずだ。
それなのに、音楽だけがすっぽりと消えている。
まるで、
明らかにおかしい違和感に頭を悩ませていると、コンコンとノックが聞こえてきた。扉が開かれると、やよいだった。
やよいは俺を見るなり急いで駆け寄ってくる。
「タケル! よかった、目が覚めたんだ!」
「やよい?」
「もう、寝過ぎだよタケル。二日も眠ってるから心配したんだから」
二日。そうか、そんなに寝てたんだな。どうりで体がバキバキだし、ギュルルと腹の虫が鳴る。
すると、やよいはクスクスと小さく笑みをこぼした。
「お腹空いてるでしょ? 何か食べる物を持ってくる!」
「いや、いいって。起きるから……イデデデ!?」
やよいを呼び止めて起き上がろうとすると、身体中に痛みが駆け巡った。
痛みに悶えている俺を見て、やよいはため息を吐く。
「無理しないで。あれだけの戦いのあとなんだから、今はとにかく寝てて」
「わ、悪いな」
「気にしない気にしない! みんなにもタケルが目を覚ましたこと伝えてくる!」
そう言ってやよいは部屋から出て行った。
ゆっくりと息を吐いて脱力しながら、やよいが食事を持ってくるのを待つ。
すると、激しく鉄を打つ音が聞こえてくる。どうやら俺が寝ている間に機竜艇の修理をしているんだろう。
たしか、修理に二、三日かかるって言ってたし、明日には治ってるはずだ。そうしたら、また旅が始まる。次はどこに向かおうか……。
そんなことを考えていると、ノックもなしに勢いよくドアが開かれた。
「ハッハッハ! ヘイ、タケル! 元気かぁ!?」
「ちょっとウォレス……せめてノックぐらいしようよ」
「……おはよ、タケル」
「キュー!」
「はいはい、ちょっとどいて! ご飯が通るから! ウォレス邪魔!」
部屋に騒がしく飛び込んできたウォレスと、苦笑いを浮かべながら嗜める真紅郎。ヒラヒラと手を振るサクヤと、その頭の上に乗って前足を上げるキュウちゃん。そこから遅れて食事を持ってきたやよい。
「__おはよう、みんな」
Realize全員の顔を見てようやく戦いが終わり、日常が戻ってきたことを自覚して笑みがこぼれた。
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