二十九曲目『師と弟子』

「よし、これでいいな」


 倒れたベリオさんをベッドに寝かし、とりあえず一安心する。ベリオさんの容態は落ち着き、今はぐっすりと眠りについていた。

 それを確認してから、俺たちは部屋から出て地下工房に向かう。そこで、真紅郎が心配そうに口を開いた。


「ベリオさん、かなり疲労が溜まってたみたいだね」

「そりゃなぁ……だって作業を始めて四日が経ったけどベリオさん朝から晩まで、それどころかほとんど寝てなかったみたいだし」


 機竜艇の改修作業を始めて、今日で四日。十日で直す、と宣言したベリオさんは寝る間も惜しんでずっと作業に没頭していた。

 食事も軽く済ませるぐらいで、ほとんど徹夜で作業してれば疲労も溜まるだろう。


「機竜艇を直せるのはベリオさん一人しかいないからなぁ」


 俺たちや黒豹団が出来ることは、資材の運び出しと手伝いだけ。機竜艇を直すのはベリオさん一人しか出来ない作業だ。

 こればっかりは素人が手出し出来るもんじゃない。とは言え、さすがに一人で直すのはやっぱり無謀だ。

 地下工房に入るとベリオさんという監督がいなくなってしまい、どう動いていいのか分からずに戸惑っている黒豹団たちの姿。

 指示を出す人がいないと、俺たちはどうすればいいのか分からない。これはベリオさんが戻ってくるまで、一旦作業は中断かな。


「あれぇ? 兄貴、どこッスかぁ?」


 そこでシエンがキョロキョロと地下工房を見渡しながらアスワドを探していた。

 そう言えば最近、アスワドの姿が見えない。魔族との戦いから四日経ち、ある程度動けるようになってからアスワドは地下工房にいることが少なかった。


「……ん? ヘイ、タケル。そういやボルクはどこだ?」


 ウォレスに言われ、地下工房にボルクの姿もないことに気づく。

 ボルクのことだから資材集めに行ってるんだろうけど、今日一日その姿を見ていない。どこまで探しに行ってるんだ?


「まぁ、とりあえずベリオさんが戻ってくるまで作業は中断しよう。みんなも一度休んで……」

「ーーその必要は、ない」


 黒豹団たちに休むように言おうとした時、後ろからベリオさんの声が聞こえた。

 慌てて振り返ると、そこには青ざめた顔でフラフラしながら壁に寄りかかっているベリオさんの姿。


「ちょ、ベリオさん!? 休んでなきゃダメだって!」

「そういう訳には、いかん。早く、機竜艇を復活さ

せなくては……ぐっ」


 俺の制止を無視して歩き出そうとしたベリオさんが、ガクッと膝を折る。倒れる前にウォレスが支えると、ベリオさんは肩で息をしながらウォレスの肩に掴まって機竜艇に向かおうとしていた。


「ヘイ、ベリオ! 休めって! そんな急ぐ必要は……」

「いや、急がなければならない。休んでいる暇など、ないんだ……ッ!」


 そう言ってベリオさんはふらつきながら機竜艇に近づいていく。巨大なレンチを拾い上げて杖代わりにしながら歩くベリオさんの目は、真っ直ぐに機竜艇を見つめていた。


「長年の夢だった機竜艇の復活が、もうすぐで叶う。もう少しだ……もう少しで……」


 取り憑かれたようにブツブツと呟きながらベリオさんは機竜艇の船体に手を置く。

 この四日間、寝食を忘れて作業していたベリオさんの体は限界だ。ベリオさんを支えているのは、夢への情熱。もはや気力だけで立っているようなものだ。

 それでも、ベリオさんは諦めない。長年夢焦がれていた機竜艇の復活が、もう手が届くところまで来ているんだから。

 その気持ちは痛いほど分かる。でも、だからと言って倒れたら元も子もない。

 すると、ベリオさんは機竜艇にすがりつくようにもたれ掛かりながら膝を着いた。


「ベリオさん!」


 すぐに駆け寄ってベリオさんを支えようとすると、ベリオさんは悔しげに歯を食いしばりながら拳を地面に押しつける。


「ぐっ……老いたものだな、俺も……体が言うことを聞いてくれん……ッ!」

「無理しないで、ベリオさん。このままだと死んじゃうって」


 こんな状態で作業を続けてたら、ベリオさんの体が持たない。下手すると過労で死ぬ可能性だってある。

 ベリオさんは顔をしかめながら、機竜艇を見上げた。


「俺の夢が……」


 今にも消え入りそうな、悲しげな声が地下工房に響く。体が心についていけてないのが、悔しくて仕方ないんだろう。

 気持ちは分かるけど、とにかく今は休ませよう。そう思って声をかけようとすると……。


「ーー親方!」


 地下工房の入り口から、ボルクの声が響いてきた。

 振り返るとそこには息を荒くさせたボルクが、汗を拭いながらニッと笑う。


 そしてーー十人のドワーフ族の男が、ボルクの後ろから地下工房に入ってきた。


「お、お前たち……ッ!?」


 ドワーフ族たちを見たベリオさんが、目を丸くして驚く。どうやら知っている顔のようだ。

 この地下工房は俺たちしか知らないし、誰にも教えないようにしていた。ベリオさんはこの国の職人たちに仲間外れにされ、あざ笑われている。

 もしかしたら機竜艇を見たら何か邪魔してくる可能性があるから、内密に修繕作業をしていたはずなのに……どうしてここに?

 首を傾げていると、ドワーフ族たちは何も言わずにズンズンとベリオさんに近づいてくる。

 まさか機竜艇に何かするつもりなのか、と警戒しているとベリオさんが俺の肩を掴んで止めてきた。


「やめろ、タケル。あいつらは俺の昔の弟子たちだ」

「で、弟子?」


 弟子って言えば、ベリオさんの元から去っていった職人たちのことか?

 ますますどうしてこんなところにいるのか分からずにいると、ドワーフ族たちはベリオさんの前にズラッ並び、機竜艇を見上げる。

 そして、ドワーフ族の一人がモサッとした髭を撫でながらニヤリと笑みを浮かべた。


「こいつはすげぇ。鋼鉄と魔鉱石を使った装甲か……今じゃ魔鉱石を混ぜ合わせるなんて考えられねぇな」

「おい、船体は<神樹イグドルティン>か? そりゃあ、幻の木材使ってれば何百年も形を保てるわな」

「翼のは飛膜はただの布じゃねぇ。ありゃ色んなワイバーン種の翼膜を何重にも重ねて作ったもんだな。頑丈で長持ちするだろうが、さすがに劣化してるな」

「あぁ、それならうちの工房にいくらでもある。それを使うか」


 十人のドワーフ族たちは機竜艇全体を見渡しながら、どんどん話を進めていく。

 まるで今から修繕作業に取りかかるための下見をしているかのように。

 俺が支えられながら立ち上がったベリオさんは、ドワーフ族たちを唖然と見つめながら口を開いた。


「お前たち、どうして……」


 ドワーフ族たちはベリオさんを見ると、申し訳なさそうにしながら頬を掻いた。


「ベリオさん。やっぱり俺たちは、あんたの夢を手伝いてぇんだ」

「そうだぜ、ベリオさん。あんたが追っている夢を、俺たちだって追いてぇ」

「他の職人からのけ者にされて仕事が来なくなった時……俺たちが食っていけるよう、あんたは俺たちを追い払った。そのおかげで俺たちは職人として生活は出来るようになった」


 弟子たちは自分からベリオさんから離れたんじゃなく、ベリオさん自身が追い払っていたのか。他の職人から夢をバカにされ、仲間外れにされていたベリオさんが、弟子たちだけでも守るために。

 ドワーフ族の一人は拳を握りしめながら、ベリオさんと真っ直ぐに目を合わせて言い放つ。


「でもよ、俺たちはやっぱりあんたと一緒に仕事してぇ! 今までは他の奴らにバレねぇよう、こっそり資材を横流しすることしか出来なかったけどよぉ! もうそんなのは終いだ!」

「そうだ! 俺たちはもう、他の職人どもなんて気にしねぇ! 誰がなんと言おうと、俺たちはあんたと一緒に夢を追う!」


 ベリオさんから追い払われたあとも、弟子たちはベリオさんのために動いていた。だけど、これからは隠すことなくベリオさんと一緒に働くことを決めたらしい。

 弟子たちの想いを聞いたベリオさんは、顔を俯かせながら体を震わせ……鼻を鳴らした。


「フンッ……この、バカ共が……」

「何言ってんだよ、ベリオさん! あんたの弟子だぞ? バカじゃない訳ねぇだろうよ!」


 弟子たちは豪快な笑い声を上げ、それから真剣な職人としての顔でベリオさんに問いかける。


「ベリオさん、指示をくれ。どっから手をつける?」


 ベリオさんはゆっくりと深呼吸すると、顔を上げてニヤリと笑った。


「ーー見て分かるだろうが、船体は神樹を使ってるから無事だ。だが、装甲は劣化してる。全ての装甲を引っ剥がし、新しい装甲に変えるぞ。翼も俺が考えていた設計を元に一から新しく作って取り付ける。船内もかなりガタが来てるからな、修繕していくぞ」


 一息で修繕作業の全容を話すと、弟子たちは「おう!」と威勢のいい返事をしてから動き出す。

 テキパキとした動きで工具を片手に船体の装甲を剥がし、翼の取り外し作業を始めていた。

 来ていきなりとは思えないほど、流れるように作業が進んでいく光景に俺たち全員が呆然としていると、弟子の一人が俺たちに声を張り上げた。


「お前らボーッと突っ立ってるんじゃねぇ! 早くこっち手伝え!」

「おい! そこの資材持ってこい!」

「おら! 早いとこ翼を支えろ! そうじゃねぇといつまで経っても翼を取り替えられねぇだろうが!」


 ドワーフ族の低音の怒鳴り声に黒豹団たちは急いで指示通りに仕事を始める。地下工房は一気に騒がしくなり、どんどん作業が進んでいく。

 すると、いつの間にいたアスワドが俺とベリオさんのところに近寄ってくると、楽しげに笑みをこぼしながら声をかけてくる。


「ベリオのおやっさん、驚いただろ?」

「……お前が呼んだのか?」


 ベリオさんが聞くと、アスワドは首を横に振った。


「いいや、俺はなんもしちゃいねぇよ。あいつらを呼んだのは……あのガキだよ」


 そう言ってアスワドが指さしたのは、ボルクだ。

 予想外の答えにベリオさんは目をパチクリさせながら驚いている。


「ボル坊が、だと?」

「あぁ。あいつのこと、見直しちまったよ。あいつ、昨日からおやっさんの弟子たち全員に頭下げて頼み込んでたんだよ。親方に力を貸してくれ、ってな」


 ボルクがベリオさん以外の職人に頭を下げて回ってたなんて、にわかには信じられない。

 ベリオさんをバカにしていた職人たちに、ボルクはずっと怒りを覚えていたはず。最近ではベリオさんに言われて、闇雲に突っかかることはしなくなったけど……それでも、怒りまでは忘れてなかったはずだ。

 アスワドはその光景を思い出してか、ククッと小さく笑う。


「あのガキ、おやっさんが無理してることが分かってたんだろうな。この四日間、ずっと作業してたおやっさんはいつ倒れてもおかしくなかった。だからあいつはおやっさんを助けるために、頭を下げて弟子たちを集めたんだよ」

「ボル坊……お前って奴は……」


 ボルクは自分の感情よりもベリオさんを助ける方を優先した。今までの恨みや怒りを押し殺し、少しでもベリオさんの役に立とうと。

 それを知ったベリオさんは煙管を口に咥えると火を点、ゆっくりと吸い込む。

 口から静かに紫煙を吹いたベリオさんは……目元を手で覆った。


「まったく……煙が目に染みるな」


 手で目を覆いながら、小さく呟く。

 そのまま肩を震わせていたベリオさんは何かを拭うかのように手で目を擦ると、煙管を口に咥えたまま腕に巻き付けていたバンダナをギュッと頭に巻く。


「おぉい、ベリオさん! 炉はどうする!?」


 そこで機竜艇の甲板にいた弟子の一人が、ベリオさんに声をかけた。

 それを聞いたベリオさんは巨大なレンチを拾い上げると、地面にゴンッと突き立てながら答えた。


「その炉はこっちでやる! お前たちは他の作業をやってくれ!」

「あいよぉ!」


 そして、ベリオさんはボルクに目を向けると、ニヤリと笑いながら叫んだ。


「ーーボルク・・・! こっちに来い!」


 ベリオさんに呼ばれたボルクは、目を丸くしながら戸惑った様子で近づいてくる。


「お、親方? い、今、オレのこと、なんて……?」


 今、ベリオさんはボル坊じゃなく、はっきりとボルクと呼んでいた。

 するとベリオさんは何も答えず、腰に巻いていた工具が入った布袋を漁るとそこから一本の古びたレンチを取り出す。

 そして、そのレンチをボルクに向かって軽く投げ渡した。

 慌ててレンチを受け取ったボルクは、手に持ったレンチとベリオさんの顔を何度も見る。


「親方、これは……」

「そいつは俺が若い時に使ってた工具だ」

「ど、どうしてそれを、オレに……?」


 声を震わせながらボルクが聞くと、ベリオさんは鼻を鳴らして背中を向けた。


「今から機竜艇の炉の修理をする。それ使って、お前も手伝え」

「お、オレが? いいの? だって、オレ……」

「お前が自分で機竜艇のことを調べていたのは知っている。俺に無断で機竜艇の設計図を見ていたこともな」


 ボルクはビクッと肩を震わせると「ば、バレてたのか……」と申し訳なさそうに顔を俯かせる。

 だけどベリオさんは怒る様子もなく、クツクツと笑っていた。


「お前なりに機竜艇の設計を考えていただろう? お前が寝ている時にその設計図を見た」

「げ、見られてたのか……」

「フンッ、隠すつもりならもっと上手くやるんだな。まだ未熟だが……俺にはない面白い発想もあった」

「え!?」


 ベリオさんの言葉に、ボルクは勢いよく顔を上げる。

 分かりづらいけど、ベリオさんはボルクが作った設計図を褒めていた。

 

「お前にしかない発想は、炉の修繕に役立つだろう。だから、炉の修繕作業は俺とお前でやるぞ」

「お、オレもやっていいのか!?」


 どんどん目が輝いていくボルクに、ベリオさんは背中を向けたまま歩き出した。


「当然だろう? お前は俺の弟子・・なんだからな、ボルク」


 今までずっとボルクを弟子にしないと言っていたベリオさんが、ようやくボルクを弟子として認める。

 長年の努力が実を結び、弟子として認められたボルクの頬に涙が流れ落ちた。

 嬉しそうに頬を緩ませたボルクは、強引に腕で涙を拭う。そして、手渡された古ぼけたレンチを握りしめるとベリオさんの背中を追いかけた。 


「親方! オレ、頑張るよ!」

「フンッ、当たり前のことを偉そうに言うな。俺が昔使ってたレンチ、なくすんじゃないぞ」


 二人は機竜艇に乗り込み、一番大事な炉の修繕作業に向かう。

 ボルクの今の顔は、今までの未熟な少年じゃなくーー立派な職人見習いとしての顔をしていた。

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