二十七曲目『母の願い』
「……ラピ、ス?」
突然聞こえてきた優しい女性の声を聞いて、倒れていたデルトが目を見開きながら呟く。
すると、サクヤの周りに舞う砕けた宝石の破片が蒼い光を放ち始めた。眩しさに目を細めていると、その蒼い光が何かの映像のようなものを映し出していた。
映像には静かに寝息を立てた二歳ぐらいの子供を腕に抱いている女性が映っている。
綺麗な白く長い髪をした女性は、眠そうに瞼を半分だけ開いた目で子供を優しく見つめ、聖母のように慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。
その表情は……サクヤにそっくりだ。
生き写しと言っていいかもしれない。この人がラピスさん、サクヤの母親なんだろう。これだけ似てれば、誰もがサクヤを見てラピスさんと見間違うはずだ。
映像の中でラピスさんは腕に抱いている子供……幼い頃のサクヤの頭をゆっくりと撫でながら口を開く。
「私の可愛いオリン。あなたがこれを観る時はいくつかな? ふふっ……どう成長しているのか、今から楽しみね」
ラピスさんはまるで目の前にいるサクヤを見つめるように顔を上げると、クスクスと小さく笑みをこぼしていた。
「もしかして、この石のことを知らなくて驚いてる? この石はね、ダークエルフ族の母親が子供に贈る……お手紙のようなものなのよ。<
首飾りの蒼い宝石、それが心願石だったのか。それが砕けたことで、石に込められていた映像が映し出されているようだ。
記憶を失ってから初めて見る母親の顔を見て、サクヤの頬に涙が流れ落ちる。
「……お母さん、なの? あなたが、ぼくの……ッ!」
サクヤは映像のラピスさんに向かって手を伸ばす。だけど、それは幻。そこには、ラピスさんはいない。
だけど、サクヤが差し出した手に向かってラピスさんは手を伸ばしていた。
「オリン。私の、私たちの可愛いオリン。あなたは、今どうしてる? 幸せに暮らしてる? そこに……私たちはいる?」
サクヤとラピスさんの手が重なろうとしたけど、触れることはなかった。空を切るサクヤの手に、ラピスさんは悲しげに眉を潜める。
「家族揃って暮らしていたらそれでいいの。でも、もしかしたら……私たちはもういないかもしれない。私かデルトのどっちかが一緒にいないかもしれない」
この場にはラピスさんはいない。それどころかこの三十年間、サクヤは唯一残された肉親のデルトとも離ればなれだった。
見知らぬ土地に連れて行かれて、非人道的な辛い研究の実験体にされ続けていたサクヤは、大事な記憶すらも失ってしまった。
サクヤはボロボロと涙を流しながら、ラピスさんに手を伸ばし続ける。こんなに近くにいるのに、遠くにいるラピスさんに縋るように。
「オリン。例え私たちがいなくなっても、強く生きなさい」
ラピスさんの凛とした声に、サクヤの動きが止まった。真っ直ぐにサクヤの目を見つめるラピスさんは、目に涙を浮かべながらも言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「私たちダークエルフ族は長命。出会いと別れを繰り返す種族。それでなくても、生きていれば別れは必ず来るもの。忘れろとは言わない、でも決して膝を着いてはダメよ。強く、逞しく生きるの」
ダークエルフ族は数百年単位で生きる長命種族だ。この異世界でもそれだけ生きられる種族は限られてい
る。
俺たちだって、いつかはサクヤと別れる時が来る。それだけは、避けられない現実だ。
ラピスさんは涙を拭うと、頬を緩ませて腕に抱いている幼い頃のサクヤの頭を撫でた。
「それはきっと、辛いことかもしれない。でもね、だからこそ……笑顔で過ごすの。私はずっと願ってる。オリンの……私の可愛い息子の幸せを」
映像が徐々に薄れていく。もう別れの時間のようだ。
「待って、お願い、行かないで……ぼくを、置いていかないで……ッ!」
泣きじゃくりながら薄れていくラピスさんに向かって必死に手を伸ばすサクヤは、バランスを崩して倒れ込む。
それでも手を伸ばし続けるサクヤに、ラピスさんは頬を緩ませていた。
「進む道が険しくても、誰かと一緒なら歩いていける。そんな大切な人を作りなさい。明るく、楽しく、笑いながら。あなたならそれが出来る。私はそう信じているわ」
「ーーお母さん!」
朧気になっていくラピスさんに向かって、サクヤが声を張り上げた。こんなに子供のように感情を剥き出しにして大声を上げるサクヤを見るのは、初めてだ。
ラピスさんは静かに深呼吸して、懐かしそうに遠い目をしながら口を開く。
「最後に、お母さんからこの言葉を贈るね。前に集落に来た人間の女の子が言っていた……私の大切な友達の言葉」
ラピスさんは花が咲いたような笑みを浮かべて、言った。
「ーー夢を見るから、人生は輝く……オリン、夢を持って生きなさい。そうすれば、きっと……例え険しくても、あなたの進む道は明るくなるから!」
その言葉を最後に、映像がフワリと静かに消える。
蒼く光る宝石の欠片たちが、風に乗って夜空へと舞っていく。
ーーんん、おかあさん、だれとはなしてるのぉ?
ふと、幼い子供のふにゃふにゃとした寝起きの声が聞こえてきた。
ラピスさんの小さな笑い声が響き……。
ーー大人になったオリンと、だよ。
優しい旋律のような声を最後に、宝石の欠片たちは消えていった。
取り残されたサクヤは、体を起こして夜空を見上げる。
「……夢を持って、明るく……」
一筋の涙が流れる頬を緩ませて、サクヤは笑った。
もう二度と会えないラピスさんに向かって、安心させるように。
最後の別れを告げるように、サクヤは笑っていた。
「……感動的ね。お姉さん、ちょっとウルッと来たわ」
膝を着いて夜空を見上げているサクヤに、様子を伺っていたレンカがライフルを向ける。
「でもね、私は坊やを見逃す訳にはいかないの。抑えられたようだけど、いつ暴走するか分からない。そんな危険分子を、私は放って置けないの……」
今のサクヤにレンカの攻撃を避けることは出来ない。
せっかくそれが映像だとしてもラピスさんに、母親に出会うことが出来たんだ。
それをーー。
「ーー邪魔させるかよ……ッ!」
痛む足を無理矢理動かして起き上がった俺は、剣を構えて紫色の魔力を込めていく。
今の俺は動くことは出来ない。なら、この場でどうにかするしかない!
「<レイ・スラッシュ!>」
歯を食いしばって痛みを堪えながら、音属性の魔力を込めた一撃を
紫色の斬撃が地面を一直線に進みながらレンカに向かっていく。俺の攻撃に気づいたレンカは即座に石の壁をせり上がらせて斬撃を防いだ。
石の壁と斬撃がぶつかり合い、音の衝撃波が石の壁をぶち壊す。レンカは舌打ちしながら砕けた石の破片をバックステップで避けた。
「くっ……何度も何度も邪魔ばかりして、いい加減にしなさい!」
レンカはライフルを俺に向けると引き金を引き、炎の槍を放ってくる。
足を怪我している俺に炎の槍を避けることは出来ない。咄嗟に剣を盾にして防ごうとすると、俺の目の前に人影が躍り出た。
「……<レイ・ブロー>」
俺に背中を向けながら、紫色の魔力を纏った拳で炎の槍を殴りつけて消し飛ばす。
ピンチを救ってくれた小さいのに頼もしく見える背中を見て、思わず笑みがこぼれた。
「ありがとな、サクヤ……ッ!」
サクヤは振り返ると、口角を上げて笑い返した。
「……仲間を助けるのは、当たり前」
眠そうな半開きの目に涙を浮かばせながら、サクヤは親指を立てる。
今のサクヤはいつも通りの……いや、いつも以上に明るく笑っていた。
これこそが、本来のサクヤの笑顔なんだろう。吹っ切れたように笑うサクヤは、また一つ大人になったように見えた。
「……そこの魔族」
サクヤはレンカに人差し指を向けながら、口を開く。
「何かしら坊や?」
「……お前がしたことは、許せない。ニルちゃんを殺し、仲間と……
「お、オリン……今、俺のことを……ッ!」
初めて、サクヤはデルトのことをお父さんと呼んだ。それを聞いたデルトがブワッと涙を流す。
サクヤは倒れているデルトをチラッと見て笑みを浮かべ、すぐに真剣な表情でレンカを見据えた。
「……今からお前を、ぶん殴る」
「あはは! 坊やにやれるのかしら? 私の防御魔法をどうにか出来るとでも?」
「……出来る」
何重にも行く手を阻んでくる強固な防御魔法に対して、サクヤははっきりとどうにか出来ると言ってのけた。
それを聞いたレンカは、楽しそうにニヤリと笑う。
「へぇ、それは楽しみね。どうやるのかしら?」
「……そんなの、簡単」
サクヤは拳を構え、体から紫色の魔力を噴出させる。その魔力におぞましさは感じられない。暴走の心配はなさそうだ。
サクヤはデルトを見ると、ゆっくりと深呼吸する。
「……お父さんの戦い方を見て、分かった」
そう言ってサクヤはさっきのデルトのように、両拳と両足に魔力を纏わせていく。
すると、遠くの山から太陽が昇り、夜明けが来た。
太陽の光が後押しするように、祝福するように……サクヤの背中に射し込んでいく。
その姿を見た俺は自然と
「行け、サクヤ! あいつを、ぶっ飛ばせ!」
俺の声援にサクヤは不敵に笑いながら、深く長く息を吐く。
「……行くぞ、魔族。今からお前を……殴る」
「やってみなさいよ、坊や!」
引き金を引き、雷の槍を放つレンカ。
地面を踏み砕き、走り出すサクヤ。
二人が轟かせた音を合図に、最後の戦いが始まりを告げた。
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