二十六曲目『暴走』

 倒れ伏したニルちゃんに、サクヤがフラフラとした足取りで近寄っていく。貫かれた箇所からは止めどなく血が流れ、血溜まりが出来ていた。


「……そん、な……」


 サクヤは呆然としながら顔を青ざめさせ、ビチャリと血溜まりに膝を着いて倒れているニルちゃんの体に手を置く。


「……ニルちゃん……?」


 ニルちゃんはサクヤの声に反応し、苦しそうにうめき声を上げながら頭を起こそうとする。だけど、力が入らないのかすぐに地面に倒れた。

 目が虚ろになり、呼吸が浅くなっていくニルちゃんを見て、サクヤの頬に一筋の雫が流れる。

 

「ぐすっ……ダメ……ニルちゃん、ダメだ……ッ!」


 子供のように泣きじゃくりながらニルちゃんにすがりつくサクヤ。流れている血の量から、ニルちゃんの命の灯火が消えかかっているのが分かる。

 あれじゃもう……ニルちゃんは助からない。


「ぐるるる……」


 すると、ニルちゃんが最後の力を振り絞るように顔を上げ、サクヤに近づいた。

 ボロボロと涙を流すサクヤの顔にすり寄ったニルちゃんは、舌でペロッと涙を拭う。

 そして、まるで子供を見るような優しい眼差しでサクヤを見つめてから……静かに目を閉じて横たわった。

 そのまま動かなくなったニルちゃんを、サクヤは焦点の合ってない目で見つめる。


「ニル、ちゃん……?」


 サクヤの呼びかけに、ニルちゃんはもう反応しない。

 今この瞬間、ニルちゃんの命の灯火は消えてしまった。


「……お願い、置いていかないで……もう、ぼくは、誰も……誰も……ッ!」


 ニルちゃんが死んだ現実を受け止めきれず、すがりつくようにニルちゃんの体に顔を埋めるサクヤ。

 今までニルちゃんのお世話はサクヤとキリがしていた。餌やりや散歩もしていた。音楽も聴かせて、楽しんでいた。

 ニルちゃんはサクヤにとって友達だった。大事な家族のようなものだった。

 それを、殺したのは……。


「あら? もしかして坊やが飼っていたの? それは申し訳ないことをしたわね」


 レンカは笑いながらサクヤに謝っていた。その軽い調子からして特に罪悪感なんて抱いていない。悪いとも思っていない。

 ゾワリ、と体中に怒りの感情が迸っていく。ギリッと歯を食いしばり、剣の柄を握った俺は、弾かれるように地面を蹴って走り出した。


「お前! よくも、ニルちゃんをやりやがったなぁぁぁぁぁぁぁ!」


 怒りのままに左腰に置いた剣に紫色の魔力を纏わせる。俺が近づいていることに気づいたレンカが、行く手を阻むように地面から石の壁をせり上がらせた。

 だけど、そんなの関係ない。紫色の光の尾を引きながら走った俺は、レンカに向かって剣を薙ぎ払った。


「<レイ・スラッシュ三重奏トリオ!>」


 音属性の魔力を込めた一撃を叩き込むと、石の壁が砕け散った。するとレンカは眉を潜めながら風の盾を展開し、俺の攻撃を防いでくる。

 俺の攻撃は、これで終わらない。音の衝撃波が風の盾を弾き飛ばす。風の盾が消えるとすぐに炎の盾が展開されていた。

 二撃目の音の衝撃波が炎の盾を吹き飛ばし、最後の三撃目の衝撃波をレンカに叩き込もうとするとーー。


「やるじゃない。でも……残念でした」


 レンカは笑みを浮かべながら四枚目の盾、渦を巻いた水の盾を展開させて俺の攻撃を全て防ぎ切った。

 俺が出来る最大の攻撃を防がれてしまい、悔しさに歯を食いしばりながら膝を着くとレンカはクスクスと笑う。

 そして、レンカはライフルを俺に向けてきた。


「私には届かなかったわ」

「タケル!」


 引き金を引いたのと同時に横からウォレスが飛び込んできて俺を押し出すと、俺がいた場所に炎の槍が着弾して爆発する。


「くっ……う、ウォレス!?」


 俺をかばって爆風に飲まれたウォレスに慌てて声をかけると、ウォレスは膝を着いて肩を抑えながら顔をしかめていた。


ちくしょうダミッ……」


 直撃は避けたみたいだけど、今の攻撃で肩をやられたようだ。ウォレスはもう戦える状態じゃない。

 ウォレスに駆け寄ろうとして右足に電流のような痛みが走り、倒れ伏す。


「くそ……足が……ッ!」


 右足を見てみると火傷を負っているのに気づいた。防具服のおかげでそこまで火傷は酷くはないけど、ジンジンと痛む。

 痛みで動けない自分に歯噛みしていると、レンカがやれやれと肩を竦めてため息を吐いた。


「やっと終わったわ。まったく、あんまり手をかけさせないで欲しいわ……さぁて、と。竜魔像を取りに行かないと……?」


 邪魔者がいなくなったとレンカが集落の方に体を向けた瞬間、ピタリと足を止めて振り返る。

 その視線の先は……ニルちゃんにすがりついているサクヤだった。


「……お前が、ニルちゃんを」


 動かなくなったニルちゃんを優しく撫でてから、ゆらりとサクヤが立ち上がる。俯くサクヤの体から、徐々に紫色の魔力が吹き出していく。


「……どうして、みんな、奪っていく……ぼくの大事な、家族を……」


 感情に呼応するように吹き出していく魔力に、サクヤの白い髪が揺れ動く。炎のように揺らめく紫色の魔力が、色を変えていく。


「……どうして、どうして、どうして……ッ!」


 おぞましく、禍々しいーー黒色に。

 勢いよく顔を上げたサクヤの目には涙で滲み……怒りや恨み、悲しみが混じり合っていた。


「……殺して、やる」


 サクヤは黒い魔力を迸らせながら、拳を血が出るほど握りしめて構える。足を踏み出して地面を砕き、体からどす黒い魔力を吹き出した。


「お前ハ、ここデ、殺シてヤル……ッ!」


 そして、サクヤは黒い魔力を推進力にして一気にレンカに走り出す。

 涙を流しながら獣のように歯を剥き出しにして一瞬でレンカに肉薄したサクヤは、黒い魔力を纏った拳を振り上げた。


「ーーガァァァァァァァァッ!」

 

 雄叫びを上げて拳を突き出したサクヤだったけど、その一撃は炎の盾に阻まれる。それでも、サクヤはそのまま何度も殴りつけた。

 いつものサクヤの戦い方とは違い、野獣のように強引な怒濤の拳の嵐。炎の盾に防がれても拳を叩き込み続けるサクヤを見て、レンカは険しい表情を浮かべた。


「その黒い魔力……もしかして」

「アァァアァァァァァァァァァァァッ!」


 何か呟いているレンカを無視してサクヤは拳を思い切り振りかぶると、体に纏っていた全ての黒い魔力が拳に集まっていく。

 そして、サクヤは黒い魔力を纏わせた拳を振り下ろし、力づくで炎の盾を消し飛ばした。

 それを見たサクヤは、三日月のように口角を引き上げて笑うとまた拳を振りかぶる。


「死ネェェェェェェェェェェェッ!」


 狂ったように叫びながら、サクヤはレンカの顔面に向かって拳を振り下ろした。

 だけど、その前にレンカは風の盾を展開して拳を防いだ。


「グッ……邪魔、ダァッ!」

「その魔力、危険だわ……」


 風の盾に爪を立てたサクヤは渦を巻く風に頬や体が裂かれても、レンカを殺そうと体を押し込んでいく。

 それを見たレンカは眉を潜めると即座に弾を交換してからライフルをサクヤに向け、引き金を引いた。

 サクヤは銃口から放たれた炎の槍を風の盾を蹴って躱しながら距離を取る。

 空中を回転しながら舞い、地面に着地したサクヤは体から黒い魔力を吹き出させながら獣のように地面を手に置いて歯を剥き出しにしながらうなり声を上げていた。

 口角を裂けんばかりに引き上げながら笑い、口から涎を流しながらレンカを睨むサクヤ。


「サクヤ……?」


 今のサクヤは正気じゃない。紫色の魔力はほとんど黒く染まり、目は憎悪に燃えている。

 本能が告げている。このままだと、サクヤがサクヤじゃなくなると。


「おい、サクヤ! しっかりしろ!」


 足の痛みを堪えながら地面を這ってサクヤに声をかける。だけど、サクヤは聞こえていないのかレンカをずっと睨みつけていた。

 レンカは弾を交換してからライフルを構え、鋭い視線をサクヤに向ける。


「本当なら誰も殺さずに済ませようと思ったけど……坊やだけは別ね。その魔力は危険すぎる……」

「ガアァァアァァァァァッ!」


 サクヤは四足獣のように低く走り出し、レンカに走り寄っていく。黒い光の尾を引きながら拳に魔力を込めていくサクヤは、バネのように跳び上がった。

 全体重を乗せて拳を振り下ろすサクヤを目掛けて石の壁が地面からせり上がる。石の壁が腹部に直撃したサクヤは、口から胃液を吐き出した。


「ごめんね、坊や」


 その隙を狙い、レンカは引き金に指をかける。空中にいるサクヤに避ける手段はない。

 助けなきゃ、と思っても足が言うことを聞かない。そして、無情にもレンカは引き金を引いてサクヤに向かって発砲しようとしてーー。


「ーーやらせん!」

 

 後ろから殴りかかってきたデルトによって邪魔をされていた。

 不意を突かれたのか防御魔法を使わずに躱したレンカに、デルトが右回し蹴りを放つ。


「おっと、危ないわね」


 だけどレンカはバックステップで軽々と避けて距離を取った。

 デルトは肩で息をしながら、拳を構える。


「外したか……ッ!」

「その傷でまだ動けるなんて、驚きだわ……でも、長くは持ちそうにないわね」


 レンカの言う通り、デルトの腹部は痛々しい火傷を負っている。足を震わせて痛みを必死に堪えながら、デルトはレンカを睨みつけていた。


「当然だ……愛しの息子の危機に、戦わない父親などいない……ッ!」

「親子愛? あはは! 私そういうの好きよ。でも、邪魔しないで欲しいわ……あんたの息子、かなり危険よ?」


 レンカは腹部を抑えながら地面をのたうち回っているサクヤをチラッと見て、口を開く。


「あの黒い魔力。あれは世界を滅ぼしかねない。あんたもそれは分かっているでしょう?」


 サクヤの黒い魔力。そのせいでサクヤは集落から忌み子とされてしまった。集落に災いを引き起こす危険な存在として。

 魔族であるレンカですら、サクヤを危険分子として消そうとしている。

 だけど、デルトは鼻で笑ってみせた。


「だからどうしたと言うんだ? 例え世界を滅ぼしかねない危険な魔力を宿していたとしても……俺の息子には変わりない!」


 はっきりと言い放ったデルトは足を踏み出し、拳を握りしめる。


「世界を敵に回したとしても……父親として! 俺は、オリンを守り抜く! もう二度と、手放したりしない!」

「……そう。なら、いいわ」


 レンカはゆっくりと息を吐くと、ライフルをデルトに向けた。


「かかってきなさい? 相手してあげるわ」

「父親を、ナメるなよ……ッ!」


 地面を蹴ったデルトは両拳と両足に魔力を纏わせ、レンカに肉薄していく。

 その行く手を阻むようにせり上がった石の壁に向かって、デルトは拳を突き出した。


「ハァッ!」


 気合いと共に石の壁に拳を叩き込み、砕く。そのまま足を踏み出し、石の壁の後ろに展開されていた風の盾を右の前蹴りで吹き飛ばす。

 三枚目の炎の盾を蹴り上げていた右足を振り下ろし、かかと落としでかき消した。


「ぐっ……ウォォォリヤァァァァ!」


 炎に足を焼かれながらデルトは左拳を突き出し、四枚目の風の盾を殴り壊す。渦を巻く風に左拳が裂けて血が吹き出していた。

 それでも、デルトは足を止めない。攻撃の手を止めない。体が傷だらけになろうとも、ボロボロになろうとも。


 愛しの息子を守るために、デルトは止まらない。


「やるわね……これならどう?」


 デルトの決死の突撃にレンカは不敵に笑いながらどんどん防御魔法を使っていく。

 その数は三枚。水、風、炎の盾を連続で展開してみ

せた。


「オ、オォ、オォォォォォォォォッ!」


 声を張り上げ、自分を鼓舞しながら拳を、蹴りを叩き込むデルト。

 水の渦に巻き込まれた右腕が捻れ、ボキボキと音を立てて骨が折れた。

 風の盾を蹴った足がズダズダに引き裂かれ、血煙が舞う。

 炎の盾を殴りつけた左拳が焼け焦げる。

 

 だけど、デルトは三枚の防御魔法を打ち破った。やってのけた。


「これで、終わりだぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 デルトは最後の力を振り絞り、左拳をレンカに向かって突き出した。

 レンカの顔面に向かっていくデルトの拳は……バチッと音を立てて弾かれる。

 弾き飛ばされたデルトは地面をゴロゴロと転がり、倒れ伏した。


「……まだ、あると、いうのか……」


 倒れながら恨めしげにレンカを睨むデルト。レンカの前にあったのは、雷の壁だった。


「私の防御魔法がここまで破られたのは久しぶりよ。誇りなさい、あんたはよくやったわ」


 レンカは静かに微笑みながら、デルトにライフルを向ける。

 デルトがあれだけボロボロになって必死に打ち破ったのに、レンカはまだ余裕があったのか。

 勝てない。今の俺たちじゃ、逆立ちしても勝てるビジョンが見えない。

 圧倒的な実力差に打ちひしがれる。


「ヤメ、ろ……」


 すると、地面をのたうち回っていたサクヤがゆっくりと体を起こした。

 陽炎に揺らめく黒い魔力を纏いながら、腹部を抑えて立ち上がったサクヤは少しずつ歩き出す。


「ぼく、の、家族ヲ、コレ以上、奪ウな……ッ」


 足を引きずりながらデルトを守ろうと、まるで黒い魔力に操られているように限界を迎えている体を動かしてレンカに向かっていくサクヤ。


「モウ、嫌ナんダ……何かヲ失ウのハ……ッ!」


 躓いたサクヤが地面に倒れる。それでも、サクヤは涙を流しながら縋るように手を伸ばしていた。

 荒れ狂う黒い魔力は、サクヤの感情を表しているように見える。


 自分の無力感に苛まれているように、大事な存在を奪われて悲しむように、何も失いたくないと嘆くように。


 サクヤの姿を見たレンカは、哀れむように見つめてライフルの銃口を向ける。


「魔力の暴走が進んで、もう抑え切れてないわね。それ以上は身を滅ぼす……周りを傷つける。その前に、私が終わらせてあげるわ」


 黒い魔力はもうサクヤの意志とは無関係に暴れ回っていた。胸元を強く握りしめなが

ら苦しそうにうめいているサクヤに、レンカは引き金に指を置く。

 このままだと、サクヤが殺される。動け、動け動け動け!


「さよなら、坊や」


 そう言ってレンカが引き金を引こうとした時、荒れ狂っていた黒い魔力がピタリと動きを止めた。

 突然のことにレンカも目を丸くして引き金を引くのを止める。

 

「まさか、そんな……暴走が、止まった?」


 信じられないと驚いているレンカが見つめているのは、黒い魔力。

 どうしたのか、とサクヤに目を向けると……サクヤの首にかかっている首飾りの宝石が蒼く輝いていた。

 蒼い光はサクヤを守るように、抱きしめるように包み込む。

 黒い魔力が宝石に吸収されていき、全ての黒い魔力を吸い終わると、宝石にピシピシとヒビが入っていった。


「……何が、起きたの?」


 黒い魔力はすっかり消え、苦しみから解放されたサクヤは目をパチクリとさせていると、首飾りの宝石が役目を終えたように砕け散る。


 ーーオリン。


 そして、どこからか女性の声が聞こえた。

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